第13話 母親の気持ち
「お帰りなさいませ、勝家殿」
「「「お帰りなさいませ、殿」」」
「う、うむ」
勝家の屋敷に着くとすぐ、意思の強そうな目をした妙齢の女性と家人達に迎えられた。家人達は希美の顔を見て一瞬目をむいたが、すぐに髭無し勝家を受け入れた。よく躾けられているようだ。
(家人はともかく、この女性、勝家のお姉さんだ)
「姉上、なぜここに?」
「あなたが頭をやられ、錯乱したと聞いて」
ひどい言い種である。
「先触れもなく申し訳ありませんな、殿」
「これは次兵衛殿。某も今戻ったばかりで先触れも何もない。気になされるな」
義兄の吉田次兵衛は柴田家の家老である。勝家の姉を室としており、家臣としても一門衆としても柴田家を支えるなくてはならない人物だ。
その吉田夫婦に隠れるように、幼児がこちらを伺っていた。もじもじして、なかなか挨拶の勇気が出ない様子だ。
「そこにいるのは、伊助かな?」
吉田夫婦の息であり、数えで4才だったか。希美は同じ年頃の我が子を思い出し、胸がつまった。
「伊助、きちんとご挨拶なさい」
姉がぴしゃりとやる。
「叔父上、お帰りなさいませ。伊助です」
一礼すると、ぴゅっと母親の後ろに隠れた。
「まったく、男ならば堂々となさい」
「その年ならば、ようやった方ではないか?」
「いい加減なことを言われますな。甘やかせばこの子のためになりませぬ」
(助け船を出したら返す刀でバッサリで御座る)
柴田家の女は強い。特に男には容赦ない。勝家の記憶を覗いた希美は、治兵衛と伊助に同情した。
「ま、まあこのような所では落ち着きませんから、後は部屋にて。……久太郎、案内を」
「はっ」
希美達は場所を来客用の部屋に移した。
「さて、勝家はこの通り無事です。ご心配をおかけ申した」
希美は頭を下げた。勝家の姉は礼儀にうるさいのだ。
「その事ですよ、勝家殿。」
「その事とは?」
「今回、もしそなたに万が一の事があった場合、跡継ぎもおらぬでは柴田家が混乱すると言っておるのです。庶子では跡取りにはならぬのですよ」
「はあ」
勝家は、男やもめである。
最初の妻は子を産んですぐ死んだ。子も夭折した。
その後、勝家は嫁取りを避けるようになる。愛した者があっけなく手からこぼれ落ちる、もう一度そのような思いをするのは耐え難かったのだ。
元々女にもてる容姿や性格でもない。来る縁談を濁し続けてきたら、いつの間にか年をとっていた。元々少なかった縁談の数も減った。
その内織田家の跡目争いに巻き込まれ、負けた。
信長、信之の母である土田御前の取り成しによって赦免されたものの、縁談はほとんど無くなった。
とはいえ、男である。正室は持たなかったが、女中や湯女などと関係は持っていた。庶子も産まれている。だが、確かに庶子では柴田家の跡取りにはなれない。
「新たに妻を迎えるか、養子をとれ、ということですか。」
「そうです。まあそなたが縁談を避けているのはわかっています。ならば、伊助を養子に迎えてはどうですか?」
「伊助ですか。それは構いませぬが……」
「ならば伊助付きの侍女はこちらで用意しますので、そなたは守役と伊助の部屋を用意なさい」
「?伊助の名だけを柴田にして、元服に合わせてこちらに来ればよいのでは?」
「何を言うのです。養子に出すということは親子の縁を切って柴田と縁を繋ぐという事。根から柴田の人間になるには、早くからこちらに慣れるようこちらで過ごさねば」
「いや、こんな幼子を母から離すなど……」
「養子に出せば母ではなくなるのです。私は会うつもりはありません。甘えが出ては、柴田の人間に成りきれませぬ」
(こいつ、何言ってるんだ?)
「馬鹿な、伊助はまだ母親が必要な年ですよ」
「伊助は武家の子です。甘えは許されませぬ」
希美は伊助を見た。そしてその先に、遠い未来に遺してきた我が子を見た。
まだ4才だった。あの後どうなっただろうか。今まで思いもよらぬ事の連続で、あちらの事を考える余裕もなかったが、今まさに母から引き離されようとしている伊助の姿は、どうしても希美に我が子を思い起こさせた。
(もう会えない。私は会いたくても手が届かないのに)
これまで敢えて無意識に考えないようにしていたのかもしれない。だが意識してしまえばもう駄目だった。
「ふ、ふざけんな!!」
希美は泣いていた。
勝家らしくないとわかっていたが、涙が止まらなかった。
「勝家殿、どうなされたのです?」
希美はぐちゃぐちゃの顔で姉を見据えた。
「子どもに会いたくても会えない人間もいる、親に会いたくても会えない人間もいるんだ。それがどんなに不幸なことか……望めば子どもの傍にいられるあんたがよくもそんな事が言えたな!」
希美は止まらなかった。
「親はまだいい。大人だし、辛さを抱え込むのは自分だからね。でも子どもに不幸を抱え込ませるなんて、親のできる事じゃないでしょうが!」
「親の都合で子どもを不幸にするな!!」
希美は腹が立ってしょうがなかった。もう二度と我が子を抱けない自分に比べ、子どもに触れられる姉が心底羨ましかった。
(私はこんなにも手離したくなかったのに!)
希美は姉の顔を見たくなかった。
「勝家殿……」
「失礼する」
姉が自分に何か言いかけたが、無視して部屋を飛び出した。
適当な無人の部屋をみつけ、飛び込む。
そして、大声で泣いた。
(会いたい。抱きしめたい。また「お母さん」と呼んでほしい)
希美はうずくまって、ただただ嗚咽した。
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