売られた男 12話「神」

脱出の手筈はすぐに整った。


アルフレトの部下たちは、3名の大陸兵と共に、軍用トラックに乗って帰ってきた。


見るとガソリン車のようだ。


「さあ、これに乗っていこう」


「ガソリン車に乗れるなんて、大層なご身分になったことだぜ」


カガミ中尉は笑った。だが、その手はいつでもナイフが投げられるよう、そっと腰に当てていた。


「ひどい匂いだね」


レムスは鼻をつまんでいた。


「そうかい?地下室のほうがよっぽどひどい匂いだったよ。これが世界なんだ。レムスくん」


アルフレトは荷台に僕たちが乗るよう促した。足が動かない。嫌な予感がする。


「大丈夫さ。君たちは良い所で降ろすよ。恐ろしい君たちと戦った所で得るものはないし、君たちが今回のことを言いふらそうが誰も信じないだろう」


「・・・」


「できれば、僕の部下になってよ」


アルフレトに手を引かれ、僕は荷台に乗った。






ガソリン車の揺れは心地よかった。


金で買収したという大陸兵たちは、検問で許可証を見せ、時に金を配りながら、要塞から少しずつ離れていった。


デカンというアルフレトの部下は、大陸兵が小遣い稼ぎに物資や捕虜を売りに行くことはよくあるので、それに偽装していると話した。


肌の黒いデカンという男は、僕たちに茶を配ったが、誰も手を付けなかった。




検問の束を抜けると、車は勢いよく悪路を駆け抜け始めた。


途中でレムスが嘔吐したが、アルフレトがきれいに掃除し、レムスを抱きかかえた。


「我々はここから北に向かう。ひどい山道を行くが、君たちはどこで下ろせば良い?」


アルフレトが言った。


「山道に入ったらそこで良い。後はどこへでも行ける」


僕がそう言うと、彼はまた部下にならないかと言ってきた。


「我々と行けば、大戦期の兵器を思う存分使わせてやるし、それなりの役職を与えるよ。君たちほど有能なら、これから倭国での戦いも一層やりやすくなる。どうだい?」


車が止まった。


「降りろ!」


大陸語だ。


「なんだ?」


アルフレトが立ち上がろうとすると、デカンが青く光る短剣を取り出して言った。


「動かないでください。導師。いや、アルフレト」


僕たちも動かなかった。荷台の幌の裏で、冷たい銃口が突きつけられていた。


相当なやり手だ。いくら疲れがあったからといえ、我々が足音にも気づかなかった。


「おい、糞坊主。どういうことだ」とカガミ中尉が怒鳴った。


「面目ない」アルフレトは神妙な顔になった。どうやら本当に謀られたらしい。


荷台から降りると、山道の真ん中で数十人の完全武装の大陸兵に囲まれていた。


アルフレトの部下は、喉を切られて転がっていた。デカン以外の部下は。


「レムスくん、悪いなあ。まさか部下に裏切られるとはね」


レムスは震えていた。




「宗教は悪だ。子を作らないからな」


一人の男が歩み寄ってきた。大陸兵の大佐バッジを付けている。


「これはこれは、大漢連邦特殊部隊『虎跳隊』のセイラン大佐ではあるまいか」


スラッとした長身の男は、東洋系の切れ目で金髪、肌が薄灰色だった。


「スパシーバ!一度会っただけなのに覚えてくれているとは光栄だ。青坊主。どうだい?神の御子に裏切られた気分は?」


「私の落ち度さ。神のご意思ではない」


「デカンは我々のスパイさ。まさか自分が『売られた男』になるとは思いもしなかったろう」


デカンはセイラン大佐の横で膝を地につけ、お辞儀をした。


「倭州駐屯軍が腐っているとはいえ、まさかここまで簡単に要塞深部まで行けると思っていたのか?」


「どういうことだ?」


「全部私の策だよ。デカンが貴様に付いて倭州に行くことになったのも、大陸兵にスパイとして送り込まれた人選も、全て私の策なのだよ」


「さすがですね。神も恐れぬ智謀とやらか」


「神?貴様が神を語るか。はははは」


デカンはアルフレトや僕たちの武器を奪い取った。カガミ中尉が隠していたナイフもすぐに見つけ出された。


「やるなあ兄ちゃん」


デカンはカガミ中尉を殴り倒した。そして皆が後ろ手に縄で結ばれた。




「これが例の子か。まさか外に連れ出すとは思わなかった。それで、この大陸兵たちは何者だ?リストにはなかったが」


「何やら要塞内の協力者だそうで」とデカンが言った。


「では、単なる裏切り者か。生皮を剥ぎ、目玉を焼き、四肢を砕いて、野に晒せ。二度と裏切らぬよう、それこそ熱き大地で神に懺悔させよ。聞き入ってくれるとよいがな。はははは」


アルフレトが僕に目で何か合図をした。


「・・・彼らは倭人だよ。大佐」


アルフレトが言った。


「何?スパイか?それとも貴様らが共闘しているというのか?デカン!!」


「いや、存じません」


「おうおう大佐様よう。ようこそニッポンへ。何も無いけど良いところですよ」


『ヨウコソ』と日本語でカガミ中尉が付け足した。


「猿共めが!」と大佐はカガミ中尉を蹴り倒し、何度も踏みつけた。


「拷問してやるぞ!猿め。胸糞悪い倭人め。倭人として生まれてきたことを後悔させてやる!」


レムスが急に立ち上がった。そして後ろを向き、天を仰いだ。


「ガキ、貴様は殺さない。またお家に帰してやる」


「・・・ロムルス」


レムスが涙を流した。




アルフレトは僕とカガミ中尉を見て、コクっと微かに頷いた。そして僕の目を見てレムスの方へ首を傾げた。カガミ中尉には後ろを向けというように顎で背中を指した。


「なんだ?おい、ガキ、どうし・・・」






世界が真っ白になった。


音が無くなり、無になった。


そして深い深い闇が訪れた。


闇が紫色に変わる頃、地球が唸っているかのような轟音と、熱く湿った空気の壁が押し寄せた。


すべてがほんの数秒の出来事であった。


気づけば手をきつく縛っていた縄が切れた。


僕は飛ばされてくる木や大陸兵を避け、それでも立っていたレムスを抱えた。


カガミ中尉は地面を犬のように走りながら大陸兵の武器を奪い、その場に伏せていた兵士を数人殺し、車に飛び乗った。


アルフレトからは青い光が蛇のように出ていた。あれで僕たちの縄を切ったのか。


アルフレトはデカンの体を光る蛇で切り刻み、昏倒しているセイラン大佐を抱きかかえ、荷台へ走り出した。


僕はレムスを抱いて呆然としていた。すべてが破壊されていた。暴風は止まず、飛ばされた大陸兵が木にぶち当たり脳が飛散した。車は押し出され、木々にぶつかってグラグラ揺れていた。五感の情報はすべてかき消され、ただ恐怖のみが鎮座した。


「おじさん、はやく!」


レムスが僕は引っ張った。


僕は恐怖の支配する世界で、人間の持つか細くも強い光を感じた。


僕はレムスを抱え、車の荷台に飛び乗った。


「出せ!!!」


アルフレトが叫ぶと、カガミ中尉が奇声をあげながら車を走らせた。道は木や石や大陸兵の死体が転がっていた。アルフレトは分捕った銃で追いすがる大陸兵を撃ちながら、大声で叫んだ。


「神よ!神よ!神居れり。神はおわした。私は神に導かれた。天啓。あああああああ!神は居たのだ。私はこの目で見た。神の光よ!すべての邪教徒を焼き尽くせ!潰せ!脳を捻り潰せ!神よ!その力を解き放て!あはははははは!」


僕はレムスにしがみついた。レムスは母のように僕を抱き、そして小さく言った。


「ロムルス、僕は生きるよ」


レムスの目線をたどると、遠き地平線で、一本の雲が沸き立っていた。


それはまるで闇夜に咲く一輪の花のようだった。

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