第111話

「陸上部に復帰? 誰が」

「お前だよ、お前」

 訳の分からない悠生に、じれったそうな豊田が言った。

「もう疑いが晴れたんだ、また陸上やって何が悪い」

「しかし、それとこれとは」

 躊躇する悠生。

 豊田は悪ガキのような顔をして言った。

「知ってるんだぜ、毎日トレーニングして現役並みのコンディションに戻ってるらしいじゃないか」

「何でその事を」

「西野さん、って分かるか?」

 いきなりの質問に、戸惑いながらも悠生は答える。

「うちの支店にいる、受付の人だろ」

「彼女の本当の名前は、大西弥生(おおにしやよい)だ」

「大、西?」

「しかも大西征五郎の孫、二代目稔流の娘だとよ」

 衝撃的な事実に、悠生は暫く思考が付いて行かなかった。

「驚くのも無理は無い、最初は俺もびっくりしたからな」



 豊田が見た彼女の名刺。

 そこには、『株式会社ビッグウエスト専務取締役 大西弥生』と書かれてあった。


「最近まで欧州に留学してスポーツ技術を学んでいたらしい、今後はウチの運動部も担当するらしいぜ」

 夜の公園で見た彼女の笑顔を、悠生は改めて思い出した。

「でも、なんで、そんな偉い人が地方支店の受付なんか」

「お前を守る為さ、二代目の命令でね」

「はあ」

 いささか不思議な気持ちで、悠生はその言葉を受け止めた。

 きっと、まだまだ自分の知らない事情があるのだろう。

 彼は一度、弥生とゆっくり話がしたいと思っていた。

「とにかく、彼女はお前をえらく買ってるんだよ。さあ早く復帰しろ」

「俺には、お前の方が彼女に入れ込んでいる気がするんだけどなあ」

「うるせえ」

 図星を突かれた豊田は、ムスっとして背中を向けた。


「有り難う」

 背中に掛けられた意外な言葉に、振り返った彼。

「じゃあ、戻ってくれるのか?」

「それは、しばらく出来ない」

 清々しい表情を見せて、悠生が言った。

「ここに、大切なものがあるから」


 その言葉を聞いた豊田は、きまりが悪そうにくしゃっと頭を掻いた。

「そんな顔して言われちゃ、引き下がるしかないな」

「悪い」

「いいさ、お前にタスキを繋ぐ日を、俺は気長に待ってるぜ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る