確かにこれは単純な構成ではなく、複雑化した物語がやがて一つとなる構成になっている為、人を選ぶのは間違いないでしょう。
しかし、そんな事さえも忘れてしまう程の面白さがこの『ブギーポップシリーズ』である。
自分はアニメから入った者だが、登場人物達が真実に到達する為に努力をして、やがて現れた黒幕を前に成す術なくコテンパンにされてしまう。
だが、真実にたどり着いた者達を救済する者がいる。
それが、宮下藤花に宿るもう一つの魂であるブギーポップ。
肉体はただの女子高生な筈なのに、その圧倒的な強さは昨今の『強い系主人公』をも凌駕する説得力がある。
極細のワイヤーを巧みに操り、敵に反撃の余地すら与えず、首を落とす。
間違いなく敵に回したくない。
この物語は、上級者向けだが、深い味わいの物語を楽しみたい人には打って付けで、最近のものに飽きていたら是非とも読んで欲しい作品である。
上遠野浩平先生の傑作は伊達じゃないです!
普通、アニメを先に見てしまうとあらすじが分かってしまうのでわざわざ小説を読む気がしないのですが、この小説は違いました。キャラの考えていることや気持ちがより深く理解できて、読み終えた時にはすべてのキャラを好きになってました。
主人公と敵対する立場の相手を、これほど思いやった作品にはなかなか出会ったことがありません。
アニメの3話までが「ブギーポップは笑わない」という書籍第1巻にあたるお話、それに続く「ブギーポップ・リターンズVSイマジネーター」というお話も引き続き読めます。
「夜明けのブギーポップ」はアニメにはなかったお話ですが、これもよかった。アニメではそれほど興味を持つこともなかったナギ姉さんをめちゃめちゃ好きになりました。
書籍版はこの他のシリーズもあるようですが、続きを追っていくともしかするとすごく大切なことを考えさせてくれる深い作品なのかもしれません。
何度こころを救われたかわからない。
第一作の笑わないだけではなく、その後のシリーズ作品、イマジネーターにも、パンドラにも、歪曲王にも、夜明けにも、ペパーミントにも、どれだけ助けられて、何度ページをめくったかわからない。
パンドラなどは、いまでも毎日のようにページを開いて、あの六人のいるカラオケに赴いてしまう。“まるでその言葉が黄金ででもあるかのように”、友達、という語を口にする人物が、パンドラには出てくる。この本も、この本の登場人物たちも、古い友達のように私を支え続けてくれている。それは本当に、黄金と呼ぶに値することだと思う。
“君たちは、泣いている人を見ても何とも思わないのかね!”
何とも思わないわけじゃない、と抗弁する人は、この本を読むのに向いていると思う。まさにいま、こころが泣いているという人も。
1998年出版。もう二十年前!
ライトノベルという枠組みが、おおむね「剣と魔法のアニメファンタジー」ものから「不思議青春ファンタジー」に舵を切った瞬間の作品です。
同時代人ではないですが、最初に読む作品がブギーポップか否かで、ライトノベルへ抵抗があるかないかが別れる、それくらい「不思議」な作品でした。
ジェブナイルとして出すには、ヒーローものという言い方が子供っぽすぎた。
一般文芸を気取れば、白眼視されたでしょう。
児童書として売るには、明快さがない。
子供っぽい青春と、大人びたニヒルさと、子供っぽい発想と、大人びた構成。
本屋の棚の、どこに置いていいのかわからない、けれど確かに中高生が絶対に抱えているやりきれなさを定義するには、ライトノベルというジャンルしかなかった。
だからこそこの作品はライトノベルとなって、以後「想像力に制約がない」というそのジャンルの方向性を決定づけられたといえます。
二十年も経ちますから、ブギーポップの子供みたいなクリエイターがたくさん排出されて、今も第一線で活躍しています。
ライトノベルというジャンルではもう古典に位置する作品ですが、アニメ化などを通して、ここから再び、未来のクリエイターに影響を与えていくのでしょう。
古き良き、しかし今再び新しい、ライトノベルというジャンルの想像力を読んでみましょう。