虫
虫 1
〝あなたの中に一匹の虫がいる〟
〝それはあなたが〈考えてもしょうがないもの〉として無理矢理忘れようとすることを食べながらあなたの中で大きくなっていく〟
〝あなたの虫は、いずれあなたの運命を決定するだろう〟
〝そして──おそらくあなたはそのために死ぬ〟
「…………」
何故か、急にそんな言葉を思い出した。
それは彼モ・マーダーが数年前に殺した少年の言葉だった。他人の秘められた才能を開花させるという特殊な能力を持ち、それ故に危険と認定された〝今の社会にとっての敵〟が死に際に、彼に向かって言った言葉──
「──何か言った?」
彼の前に座っている外見が十八歳くらいの少女が
「いえ……なんでもありません」
彼は頭を振る。彼の服装も普通のスーツに銀縁眼鏡で、
場所はファーストフードのドーナツ屋のボックス席である。まわりには女子高生や買い物帰りの親子連れなどがたくさんいる。
そのテーブルの上に、何枚かの写真が広げられている。正確には写真ではなくプリントアウトされたコピーだ。
そのどれにも、奇妙なものが写っている。
踊っているような格好で横たわっている人の姿があり、そしてそのどれもが自分の頭ほどの大きさにまで口を拡げているのだ。そこまで皮膚というものは伸びるものか、という奇妙な発見すらある。コメディ映画『マスク』のなかで怪人がとんでもない大きさにまで口を拡げて見せ観客をおどかすシーンがあるが、ちょうどそんな感じの写真ばかりが並べられている。ぱっと見ても、それがなんなのか即座に判断するのは難しいだろう。
それらが頭蓋骨を解体されて、中身を刳り抜かれてしまっている死体だということを。
「……
モ・マーダーがそう言うと、少女がせせら笑った。
「あんたがそんなことを言うとはね、暗殺者のくせに」
その笑いには、はっきりと悪意というか、攻撃的なものがあった。
「…………」
モ・マーダーはそれを無視して、あらためて写真を見入る。確かに自分でも、さんざんこれまで人を殺しておいて他の
(それであの言葉を思い出したのか)
考えまいとすることが膨れ上がって、やがて彼を殺すだろうという、あの不吉な予言。ずっと忘れていたのだが。
「それで? 見当はついたの。どうしてこんな殺し方をするのか、って。同じ殺人鬼でしょ、ん?」
少女が挑発的な口調で言う。
「いえ」
モ・マーダーは正直に言う。
「そう──ならそれが今度のあんたの仕事。どうして犯人はこんな殺し方をするのか突きとめて、場合によっては犯人を殺せって。殺しに慣れた同類なんだからなんてことないでしょうよ」
少女は投げやりに言う。さっきからこの女の態度は〝こいつと一緒にいると不愉快〟という感情があからさまだった。
さすがにモ・マーダーも気になり、
「ピジョン、とか言いましたっけ。君は少し感情を表に出しすぎですよ」
と注意した。
するとピジョンと呼ばれた少女は、急に表情を厳しいものに変えた。
「──殺人機械にそんなことを言われる筋合いはないわ」
もはや敵意は歴然であった。
「君が暗殺を毛嫌いする気持ちはわかりますが、しかしそれをバックアップするのも君の使命のうちですよ」
モ・マーダーは平静に言う。
こんな会話をしているが、しかしこの周囲では同時に学校帰りの女子高生の
「────」
ピジョンはモ・マーダーを睨みつけている。
モ・マーダーはそれを無言で受けとめる。
やがて彼女は顔をそむけた。
「……仕事の話に戻るわよ」
「そうですね」
それはこのところ連続して起きている奇怪な殺人事件のことだった。被害者はすべて十代後半の女性であり、生きながら頭蓋骨を外され中身を取り出されるというその殺し方の手口があまりにも不可思議なので、これには何か〝現在の人類には計り知れない〟特別な理由があるのではないか、と統和機構から解明指令が出たのである。そして殺人がらみのことなので、それが専門のモ・マーダーがその任に当てられることになったのだ。
ピジョンは各区域に散らばるそれぞれの端末の連絡役であり、彼に任務と関連情報を伝えに来たのである。
「だいたいわかりました。ではさっそく追跡にかかりましょう」
モ・マーダーは資料をすべて見ると、ピジョンに返した。内容は暗記してしまったのだ。
ピジョンは
「どこから調べるの?」
彼女は彼から目をそらして訊く。
「とりあえずは殺害現場に行ってみますよ。どのように殺されたのか。またそれから目的はなにか」
「そんなもの、警察がとっくにやってるわよ。それで何も出てこないわ」
「警察では気が付かないような、共通する何かがあります。この犯人は明らかに、目的を持って行動していると思う」
「……確信ありげね。とりあえずは現場を当たるのね」
「そういうことですね」
モ・マーダーは立ち上がった。そのまま店の外へと向かう。
「ふうん……」
ピジョンは上目遣いに、見据えるようモ・マーダーの後ろ姿を見つめていた。妙に底の方が
佐々木政則、それがモ・マーダーが普段使っている人間としての名前だ。表向きは某食品関係企業の営業部員ということになっている。会社に彼のことを問い合わせれば(そんなことをする者はいないが)ちゃんと「佐々木は外に出ております」と教えてくれるはずだ。しかし彼自身はその会社に一度も行ったことはない。これからもないだろう。
合成人間である彼の特殊能力は
しかしそのときも結局すぐに標的である組織の裏切り者スケアクロウは殺した。彼の真の能力は武器ではなく、殺人者としての本能的な鋭さであった。
「…………」
その鋭い目で、モ・マーダーは事件の現場のひとつを見回している。
ごく普通の公園である。住宅街の中にあって、滑り台がひとつにブランコが四つ、砂場にシーソーがある。あとちょっとした植え込みとその横に並べられた四人掛け程度の小さなベンチ。
そのベンチの上で、一番めの最初の被害者が〝解体〟されていたのである。時刻は夕方、いわゆる下校時間だ。
「…………」
モ・マーダーはそこに座ってみる。この間まではこの場所にはマスコミやら野次馬やらが押し寄せていたものだが、さすがに一月近く経った今では誰もいない。警察の調査もとっくの昔に終わっている。
モ・マーダーは周りを見回してみる。
特に、この場所を注目しなければならないような場所はない。近くには高い建物はなく、みな同じような高さの住宅ばかりだ。たとえばどこかのマンションから、いつも双眼鏡か何かでこの公園にいる被害者をいつも見ていたとかそういうことではない。
公園は坂の上に整地されていて、道路からだと犯行現場は一段高くなっていて見えない。しかし柵で囲まれているわけでもないし、もしも通り抜けようとした者がいたら簡単に見つかっていただろう。それに悲鳴が上がったとしてもやはりすぐに周囲に知れたはずだ。
(つまり……一瞬で声を上げられないようにして、なおかつあっという間に目的は達成できたわけだ。しかし──)
その技術というか、実力にしてはこの犯行はあまりにも衝動的に思える。
これだけのことをやっているのだから、それなりに慎重というか、計算があってしかるべきなのに、まるで
(見つからなかったのはたまたまだった──それは確かだ。しかし、これではまるで……)
「肉食動物の狩猟みたい、か?」
いきなり声をかけられた。
びっくりして顔を上げると、そこに一人の少女が立っていた。
その顔を見て、モ・マーダーは
霧間凪だった。
彼がかつて殺した男の娘だったのだ。
「き、君は……」
「おじさん、なんでこんなところ調べてんの?」
彼女は彼の動揺にお構いなしで訊いてきた。
「べ、別に調べてなんか……」
「噓だね」
凪はきっぱりと言った。
彼女は合成革らしい黒いつなぎなどを着ていて、歳がさっぱりわからない。たしか今年で十四歳のはずだが、大人びていて十八歳ぐらいにも見えた。
「犯行のあった場所を
彼女が男みたいな口調で喋ることに、彼はやっと気がついた。
そして同時に、この少女が自分と似たような感性を持っているということも。同じくらいに鋭い。ただひとつだけ違うのは、彼なら決してこういうところで他人に声をかけたりしないだろうということだ。暗殺者はそんなことはしない。そういうことをするのは、敵を見定める必要のある、そう〝戦士〟のような者だ。
「……調べているとして、君と何か関係がありますか?」
と言いはしたものの、彼はとっくにその理由の見当はついていた。
それは向こうにもわかっているようだった。凪はニヤリと笑った。
「オレも調べているからに決まっているじゃないか」
その不敵さは〝どこが十四歳だ〟としか思えないものである。
その顔を見て、モ・マーダーはふとほっとしている自分の気持ちに気がついた。何故かとても
(あのとき殺さなくて良かった──)
そう考えている自分に、モ・マーダーはまたびっくりした。それであわてて、
「──君、見たことありますよ。君の顔を知っている」
と気持ちを整理するため彼女に話しかけた。
「死んだ人気作家の
凪はふん、と鼻を鳴らした。
「──確かに調べていましたよ。なんというか、自分がこの事件のことを理解できるような気がしましてね」
モ・マーダーはベンチに凪と並んで座って、話し始めた。むろんごまかすためだ。本当のことなど言うはずもない。
「平凡なサラリーマンが?」
凪は渡された佐々木政則の名刺を見ながら疑わしそうに言う。
「自分でもそう思うんですが、なんでかな、そんな気がしてしょうがないんです。自分の中にこの事件の犯人と共通するものがあるんじゃないか、ってね……気味が悪いことだが、そう思えてならない」
モ・マーダーは
「…………」
凪は名刺から目を上げて、モ・マーダーを見つめた。睨むような目つきである。
その眼を見ていると、本当に子供とは思えなかった。
「──君は?」
モ・マーダーは訊き返した。
「君はなんでこの事件を調べているんですか?」
「ヒマだからさ」
凪は即答した。
「ヒマ、って──」
「ガッコに行ってないから、一日中家でごろごろしてるのも何だから、だよ。そんだけ」
「なぜ学校に行ってないんです?」
「病気でね。半年休んだらまた来年からにしなさいって言われたんだよ。休学ってヤツ」
「ああ──」
モ・マーダーはうなずいた。納得した。
「なるほどね」
「じゃあ佐々木さん、こうしよう」
凪がベンチから立ち上がる。
「一緒に調べようじゃないか、この事件を」
「え?」
「サラリーマンの身じゃ、経費なんか出ないだろう? 言っとくけど、オレは金持ちだぜ」
凪はクールに言ってのけた。その態度に無理はなかった。
「…………」
──断る理由が見つからなかった。
*
(……霧間凪だわ。なんであの
公園から五百メートル離れた、ちょうど道路と住宅の隙間を抜けて公園が見える場所の、路上に停車している車からひとつの影が二人を見つめていた。
ただしその人物、近くの総合病院に勤務している若い女医の来生真希子は双眼鏡も何も持ってはいない。
彼女は佐々木政則とか名乗っている男を追ってここまで来たのだ。途中で〝これは最初の現場に行く〟と見極めがついたので、遠くから見られるこの場所に先回りして移動していたのである。
もちろん、彼女はすでにその統和機構の一部にまで食い込ませている情報網で佐々木政則が自分の敵であることを察知している。
しかし凪までは予想外だ。あの二人には何の関係もないと思うのだが。正義感の強い彼女の、これはお節介なのだろうか。
(凪ちゃん……どういうつもりなのかしら)
彼女は、かつて入院中の凪のカウンセリングをしていたときのことを思い出した。
どんな痛みを前にしても、決してくじけることのなかった彼女の凛々しい瞳の輝きを。
そう、おそらくは彼女も、真希子の〝味わう〟対象にふさわしい強さを持っているはずだ。
(私に味わってもらいたいのかしら、凪ちゃん……?)
来生真希子──〝
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