第五話 ハートブレイカー 4

 その夜、その一帯で奇妙な電波障害が観測された。衛星放送のモニターが急にホワイトアウトしたり、パーソナルコンピュータのハードディスクからすべてのデータが消えたりする怪現象がいくつも見られ、テレビ局や新聞社に質問や抗議の電話が殺到した。いくつもの調査が行われたものの、原因は不明のままで、複数の証言者による「その時間、ほんの一瞬だったけど、空が光ったような気がした。なんか、地上からすごい光が空に向かって走ってったような、そんな感じで──」という情報も、結局なんの裏付けもとれないでただ消えていった。


       ●


 ……私は確かに見た。

 エコーズが光に変わって、そしてそれがまっすぐにマンティコアたちを飲み込むのを。

 そして、その寸前に、早乙女正美がマンティコアの前に、まるでかばうように飛び出したのを──

 彼が何を考えてマンティコアに味方していたのか、私にはわからないし、わかりたくもない。

 だが一つだけ認めなくてはならなかった……彼はマンティコアのために、おそらくは何人もの人々を殺したのだろうが、その目的に対する生命の軽視には、自分の生命さえもちゃんと含まれていたのだ、ということを──

 光の奔流に飲み込まれて、早乙女正美の身体は跡形もなく吹き飛んだ。

 蒸発──いや、消滅した。

 だが、エコーズが〝自爆〟する寸前に、マンティコアは彼女の仲間に突き飛ばされて、その射線から外れていた。

「……!」

 自分自身も衝撃波に吹き飛ばされながら、私は必死で事態を把握しようとした。

 だが、やっぱり私には何がなんだかわからなかった。

 私の置かれている立場では、この状況の全貌などまるっきり正体不明だった。

 エコーズは一体何だったのか、なんで人の形をしているものが光になって爆発するということがあり得るのか──そしてそれが〝報告〟というのは、いったい何に対して、どんなことを〝報告〟したのか──私にわかるはずもなかった。

(──なにがどうなっているのよ!?)

 私はごろごろと地面を転がりながら、心の中で叫んでいた。

 そしてなんとか止まったときには、もう周囲に光はなくなっていた。

「う、うう……」

 呻きながら身を起こしかけ、前に目をやった私は、そこで絶句した。

 が、一人で立っていた。

 その身体は半分焼けこげて、煙が立っていた。着ていた制服は吹き飛んでなくなっていて、月光の下に細くしなやかな肢体を余さずさらしていた──

「…………」

 ぼんやりと、空を見ていた。

 だがその目には、何も写っていないようだった。

「…………」

 口が、わなわなと震えていた。言葉にならない言葉を吐き出そうとしてもがいていた。

「…………あ、ああ…」

 その顔には表情がなかった。かわりに、ぽっかりと空洞があいていた。

 命よりも大切な物をなくしてしまった顔だった。

 半身を引き裂かれた顔だった。

 喜びを根こそぎさらわれていった顔だった。

 もうそこに、何の意味も見いだすことはできない、何にもない顔だった。

「……あああああああああああああああああああああああああっ!!」

 いつのまにか、彼女は絶叫しているのだった。

 心が張り裂けた声だった。

 叫びに、月までもが震えているようだった。

「…………」

 私は呆然として、その場に釘付けにされていた。

 だが、はっと我に返った。こんなことをしている場合ではなかった。

(に、逃げなくっちゃ……!)

 立ち上がろうとしたら、足下の砂利が音を立てた。

 その瞬間、まるで機械仕掛けのようにマンティコアの傷だらけの顔がこっちに、くるっ、と向けられた。

 目が合った。

 背筋がおぞけ立った。

 その目は、月明かり下でさえわかるほどに真っ赤になっていたからだ。白目の部分が、すべて憎悪の赤に塗りつぶされていた。

「……殺す!」

 吠えた。

「なにもかも、一人残らずすべて殺し尽くしてやる!!」

 私は、声にはじかれるようにして立ち上がり、そして走り出した。

 当然、彼女は追いかけてきた。

 こっちは走っているのに、後ろの足音は脚を引きずって、歩いている。

 それなのに、その足音はどんどん近づいてくる……!

(わあああ!)

 恐怖のあまり、私はついにおかしくなった、と思った。

 幻聴が聞こえだしたのだ。

 現実にはあり得ないほど不自然な曲が、目の前の並木の植え込みから聞こえてきたのだ。

 それは口笛であった。

 しかも、口笛にはまるで似合わない曲、ワーグナーの〝ニュルンベルクのマイスタージンガー〟なのだった。

 しかし、異常だろうがなんだろうが、その時の私には以外すがれそうなものがなかった。

 私は必死で、その声の方に走った。

 だが、あと少しというところで、私の脚は滑った。

「──ああっ!」

 思わずさけびながら、私は顔からもろに地面に倒れ込んだ。額を打ち、目の前が一瞬暗くなる。

 口笛が聞こえなくなった。

 代わりに、マンティコアの足音がさっきに数倍する大きさで耳に響いた。

「──!」

 振り返ったとき、もうマンティコアの手は私に向かって伸ばされているところだった。

 もうだめだ。やられる……! と、観念したその瞬間、

 ひゅっ、


 と空気を切るかすかな音がした。

 そして……マンティコアの手が、ぶつん、という音とともに飛んでいた。

 ──身体から切断されて、宙を舞っていた……。

(……え?)

 きらり、と光るものが目に入った。

 糸のように見えた。

 それが、まるで生き物のようにうねり、マンティコアの首に巻き付いた。

 びん、と張る。

「──!?」

 マンティコアの顔色が変わった。彼女は両手をあわてて首に伸ばした。だが手は片方しかなく、その指先がかろうじて彼女の首に巻き付いた〝糸〟をひっかけていた。

 いや、糸ではなかった。それは恐ろしく細い金属製のワイヤーなのだった。

 私は、あっ、と思った。いま私が転んだのは、地面にたるんで張られていたこれを踏んでしまったからだったのだ。

 ワイヤーの一方の端は、植木に縛られているみたいだった。

 そして、もう一方は校舎の陰の方に──と目を向けた瞬間、私の頭は空っぽになってしまった。

「────噓ぉ!?」

 大声を上げていた。

 腰を深く落として、黒い手袋を塡めてワイヤーを引っ張っているその人影は、マントを着て、黒い筒みたいな帽子をかぶっていたのである。その姿は、二年の女子の間では噂でさんざんお馴染みの──

「……手首は半分炭化していたようで切断できたが、首はそうはいかないな」

 人影は言った。

 その、男とも女ともつかない中性的な声まで、噂そのままだった。

 でもその顔は……あの人は……

「み──宮下さん!?」

 どう見ても、同じクラスの宮下藤花さんなのだった。

「今はブギーポップだ」

 彼女──いや彼は、きっぱりとした少年の口調で言った。

「ぐ……!?」

 マンティコアの目が驚愕に開かれていた。

 彼女にもこの事態が把握できないのだった。

 ワイヤーは、ぎりぎりと彼女の喉に食い込んでいく。指で必死にゆるめようとするが、その指も切れて血がにじみ出ている。

「ぐ、ぐぐ……!」

「マンティコアと言ったな──君は人間以上の力を持っているようだが、このぼくも普通人なら肉体限界のため無意識にセーブしている力を自由に使えるんだ。……!」

 ブギーポップは静かに言った。

 そして怒鳴った。

「今だ、志郎君! 射て!」

 なにを言っているのか、と考える余裕はなかった。その指示の直後に、マンティコアの胸に、と一本の矢が突き立っていたのだ。

 知っていた。

 それは弓道部が使っているジュラルミン製の矢だった。

 はっと振り返ると、さっき逃げ出したとばかり思っていた田中くんが、グラスファイバー製の頑強な弓をかまえて、こっちを──マンティコアを狙っていた。

 首を固定され、逃れる道はない。

「あ……」

 マンティコアは、自分が敗北したと悟ったその瞬間、何を考えていたのだろう。

 だが、彼女はもう胸の矢もブギーポップも狙撃手も見ていなかった。

 空っぽだった顔に、なにか浮かんだようにも見えた。それは私には──安堵に見えた。

「頭を撃て!」

 ブギーポップが情け容赦なく言った。

 その人間がもっとも美しいとき、醜くなってしまう寸前に、苦痛のないやり方で一瞬にして殺すという──あの噂の通りに。

 田中くんは手を離した。

 つるから解き放たれた矢は、正確に百合原美奈子の顔をした少女の頭部を粉砕した。

 そして──彼女の身体は一瞬、ひび割れたように見えたかと思うと、次の瞬間には紫色の煙と化して崩れ落ちた。

 四方八方に舞い散り、風に吹きちぎられていった──

 煙のかけらが少しだけ鼻先にかかった。それはひどく濃い、なまぐさい血の匂いがした。


「…………」

 私は、腰を抜かしていた。

 そこに田中くんが駆け寄ってきた。

「だ、大丈夫ですか?」

「い、いや──」

 私は頭を振って、なんとか正常な判断力を取り戻そうとした。

 しかし、目の前をブギーポップの格好をした宮下さんが通ったりするのを見て、また混乱状態になってしまった。

「あ、はなんなの?」

 田中くんに、ほとんどすがりつくようにして訊いた。

 彼は首を横に振った。

「知りません。でも弓を取って戻ろうとしたところを呼び止められて、協力するから、って──知り合いなんですか?」

「知っては……知ってはいるんだけど……」

 ブギーポップは木に縛りつけておいたワイヤーをほどくと、今度は霧間凪が倒れている茂みに近づいた。

「さっき、マンティコアはエコーズという怪人が弱すぎる、と言っていた。それは何故か──」

 ぶつぶつ言いながら、彼だか彼女だかわからないは、霧間凪をけとばした。

 すると、首を斬られて絶命していたはずの凪の身体が、ぶるるっ、と身震いして、上体を起こしたのである。

 。……

「──〝生命〟をわけていたからだ。この死にぞこないに、ね」

 私と田中くんは、もう口をあんぐりと開けるしかなかった。

「……う、ううん…」

 凪は額を押さえた。あれだけ血を出したのだから、きっと貧血だろう。

「やあ、炎の魔女」

 ブギーポップが言った。

「──おまえか」

 凪は、を見てもさほど驚かず、ため息をついた。

「──〝出て〟いたんなら、もっと早く出てこいよな!」

「いや、ぼくも君の動きで、やっと危機の正体をつかんだのさ」

「まったく、オレはいつでも自分なのに、おまえは事が起きるときだけ出ていればいいんだからな。勝手なヤツだよ、ほんとに」

「まあそう言うなよ」

 どうやら、この二人はもう何年も前からの知り合いらしい。

「……終わったのか?」

「ああ。エコーズという人の犠牲と、風紀委員長の勇気ある行動のおかげでね」

「そうか……」

 凪は立ち上がろうとしたが、よろけてまたへたりこんだ。

 しかしブギーポップは手助けせず、こっちの方に戻ってきた。

「彼女のことは任せるよ。その分あとの処理はすませておくから」

 と私たちに言った。

「…………」

 私たちには答えようがない。

 ブギーポップは地面に落ちていたマンティコアの手首を拾った。そして顔を上げ、私に向かって、笑っているような、とぼけているような──目を片方だけ細める奇妙な表情をしてみせた。

「しかし、新刻敬──君の意志の強さは見事だ。君のような人がいるから、世界はかろうじてマシなレベルを保っている。世界に代わって感謝するよ」

 芝居がかった科白は、なんのことやらさっぱりわからない。

 絶句している私たちを置き去りに、そのまま風のように走り去り、体育館の角を曲がったところで彼は私たちの視界から消えた。

 こうして──事件は終わった。

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