第一話 浪漫の騎士 4

 それから、ブギーポップが毎日毎日〝見張って〟いる時間に屋上に行くのが僕の習慣になってしまった。

「クラスのみんなはもう全然つきあってくれなくてさ」

 そんなを彼にこぼしたりもした。

「へえ、君は受験しないのかい」

「うん。親父の知り合いでデザイン事務所をやってる人がいて、ずっとバイトしてたんだけど、その人が〝おまえは見込みがある。センスを感じる〟とかめてくれてさ、大学なんか行かずに俺のところに来いって言うんで」

「すごいじゃないか。親方に見込まれた職人ってヤツだな」

 藤花の言葉だと「大丈夫なの? そんな不安定な進路で」だったが、彼は素直に感心してくれた。僕は嬉しくなって、意気込んで言う。

「そう、職人さ。デザイナーって言ってもそんな感じなんだよ。注文に応えるって言うのかな、そういうものなんだ」

「いいねえ、地に足が着いてる感じで」

 本人はおよそ浮き世離れしているくせに、ブギーポップは心底うらやましそうに言った。

「でも宮下は、すげえ危なっかしいって言うぜ」

「うん、かもな。彼女のことはよく知らないが、女の子ってロマンのある男の子には憧れよりも抵抗を感じることの方が多いからな」

「そうなのか? いや、それよか、ロマンってのは──」少し恥ずかしい単語だ。

「ぼくにはそんなものはないけれど、人間は夢がなくっちゃやっていけない。違うかい」

 ブギーポップがこういうことを言うとき、必ず目は真剣だ。

「わかんねえけど」

 そして僕は歯切れが悪い。

「夢が見られない、未来を想えない、そんな世界はそれ自体で間違っている。でもそのことと戦うのは、残念ながらぼくではない。君や宮下藤花自身なんだ」

 自称〝世界の危機と戦う男〟は遠い目をして言った。

 言葉だけなら、いやその格好も含めて完全に道化としか思えない。なにせ顔形は女の子なのに男の口調と態度なのだ。

 しかし僕は、彼が道化ならば俺も道化になりたいものだ、とか、ふと思った。


 それにしても、話をしていても、彼に藤花の影はまるっきりなかった。いったい藤花にどういう原因があって、彼が生まれたのだろう。

「あのさ、おまえが初めて〝出た〟のっていつのことだ?」

 ある日、そんなことをいてみた。

「うん。五年前ぐらいかな。宮下家の夫婦間でいざこざがあってね、離婚するとかしないとか。そのときの彼女の不安定だった気持ちから、ぼくみたいな頑固者ができたのかも知れない。しかしぼく自身は、そのとき街を徘徊していた殺人鬼と戦うのに精一杯で宮下家の方はよく知らないんだけどね」

 殺人鬼、というのは心当たりがあった。五人も少女を殺した連続殺人犯が市内で捕まりそうになって、首吊り自殺してしまって死体で発見されたのが五年前だった。もっとも有名な話だから〝彼〟の妄想に使われても無理はない。

「宮下のお袋さんは、おまえのことを知ってるみたいだったぜ」

「ああ、何度か見られてる。なんせ中学生だったからね。宮下藤花に行動の自由が少なくて。部屋の窓から出たりするところでばったり、とかね」

「驚いたろうな」

「ヒステリーになったよ。いやあのときは困った。軟禁されちゃってさ。しかたなく宮下藤花の母親を気絶させて脱出したりした。そのときに危機が迫っていたんでね」

「おいおい、マジかよ」

 道理でお袋さん、ビビっていたわけだ。そしてそれが宮下家に親子電話さえない理由なのだろう。

「その後で宮下藤花が精神科医とかに連れて行かれたらしいけど、その辺は推察の域を出ないな。ぼくは出てなかったから」

「……何も異常がなかっただろうなぁ」

 日本じゃ滅多にないそうだから、医者もまさかと思ったろう。

「だろうね。たぶん母親の方が疑われちゃったんじゃないかな。時期が時期だったし。まあそれで、父親の方も自分が悪かったとか思ったらしくて、離婚の話はなくなったけどね」

「ふうん……?」

 そう言われると、例の本にっていた症例を思い出す。これは多重人格ではなく躁鬱症の少女の話だったが、学校では他人と口も利かない少女が、家庭だとすごく朗らかな性格に変貌するというのだ。両親や祖父母の仲が冷め切っていて、彼女はその暗い家庭を必死で明るくしていたらしい。ただしそれは無理のあるものだったので、反動が外に全部出た、ということらしかった。そしてとうとう異常な言動が出始め、医者に診せたところ全貌が明らかになったらしい。彼女は治療され、家族たちも反省からそれ以来家庭は穏やかになったという。こういう〝調停者〟のことをトリックスターと言うそうだ。

 何となく、ブギーポップの話と似ている。

「あのさ──」

 と、そのことを言ってみると、彼はまた例の奇妙な表情を浮かべた。

「宮下藤花から見れば、きっとそういうことになるんだろうな」

「でもおまえは、そのことが終わってからも出ているよな。どうしてだろう。もう家にも姿は見せないんだろう?」

「ああ」

「なんでかな」

「さあね。ぼくにはわからないね。ぼくは義務でいるだけだから」

「〝危機〟が過ぎればいなくなる、か?」

「うん。今回はちょっと寂しいけどね。君と別れなくっちゃならないから」

 そう言われて、僕はどきっとした。

「……別れる、のか」

「そうだよ。宮下藤花はずっといるだろうけどね。君にはその方がいいかな」

 彼はちょっと肩をすくめて見せた。

「…………」

 僕は、言葉に詰まって黙り込んだ。

 夕焼け空をぼんやりと、ふたりで何を話すでもなく眺めた。

 ブギーポップが口笛を吹き始めた。明るく、アップテンポな曲で、しかも呼吸に緩急があってすっごく上手だったが、しかし口笛なので、やっぱりそれはどこか寂しげだった。

 そして、藤花は口笛が吹けないことを思い出した。

(押さえつけられている可能性、か……)

 彼女の彼氏である僕も、やっぱりその押さえつけている側の一部ってことになるのだろうか。

 それを考えると気が重くなった。

 口笛が終わった。僕は拍手した。

「うまいんだな。なんて曲だい?」

「〝ニュルンベルクのマイスタージンガー〟第一幕への前奏曲さ」

「なんだいそれ」

「ワーグナーって大昔のやかましいロマンチストがつくった、一番派手な曲だよ」

「クラシックか。へえ、てっきりロックかと思った」

「〝原子心母〟の方がよかったかな。どうも昔のものが好きでね」

 そう言って、彼は片目を細める。

 僕らのとりとめのない黄昏たそがれどきはそんな風にして過ぎていくのだった。

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