Episode.8 ヤマダ・アラシという男

chapter.55 2010~2014

 西暦2010年、一人のアイドルがデビューした。


 その名を虹浦愛留(ニジウラ・アイル)。


 当時、十六歳。

 ごく普通の一般家庭で育った高校生。


 街で買い物をする彼女を見つけた事務所の社長は、十代とは思えない神々しいオーラを愛留から感じ「彼女は絶対、伝説を残すアイドルになる!」と確信して声をかける。

 両親を説得して事務所に所属することになる愛留。


 そして世間ではアイドルブーム真っ直中。


 人気のグループが次々と生まれる中、虹浦愛留はグループに参加するではなく個人としてアイドル業界に参入するという大勝負に打って出た。

 社長の目論みは成功し、虹浦愛留はたちまち大人気となる。

 入れ替わりの厳しい世界で見事、勝利を納め虹浦愛留はアイドル業界に革命を起こした。

 

 デビュー曲の“虹色♯両思い”は初週40万枚を超え。

 24週新曲連続リリースは全て一位を取りランキングを総取り。

 ある年の国内と海外を合わせたライブツアー24公演は観客動員数が約90万人越え。

 ファーストアルバムも全世界で500万枚以上の売上を記録するなど数々の偉業を成し遂げた。


 アイドル業界に生きる伝説として君臨することとなった虹浦愛留。

 だが、彼女の異常とも言える成功を影から妬み、恨む者は数多く存在した。


 ◇◆◇◆◇


 時は流れて西暦2014年。


 芸能界に衝撃が走る。


【虹浦愛留、引退】


 二十歳になったばかりでこれからと言うところに入ってきた所属事務所からの公式発表。

 日本のみならず世界中のファンをも驚かせた。

 このニュースにワイドショーや週刊誌、ネットから色々な憶測が飛び交う中、一週間後に開かれた記者会見で愛留は答える。


「来年2015年三月を目処に私、虹浦愛留はアイドルとしての活動を止め、芸能界から引退します。あと一年、全力で皆様を楽しませて行けたらなと思っていますのでよろしくお願いします」

 フラッシュを浴びなから深々と頭を下げる愛留。

 質疑応答が始まる。

 各局のカメラが愛留を注目した。


「まず引退する理由についてお願いします」

「活動休止でなく引退を決意したきっかけは?」

「一部では某俳優との熱愛が噂されていますが本当ですか?」

「これまで応援してくれたファンに申し訳ないと思わないんでしょうか?」

「芸能から離れてから今後の予定をお聞かせください」

 記者から様々な質問が投げ掛けられた。


「理由については十代をアイドルの世界で青春を十分すぎるほどに謳歌したと、えー思いましたので、二十歳になってこれからは普通の女性として普通の生活に戻りたいと言う気持ちで引退を決意しました。噂の熱愛報道については全くの事実無根です。自分の勝手な一存で辞めることにファンの方たちには寂しい思いをさせてしまったのは大変、申し訳なく思っています。えぇと先程も言いましたがあと一年、残りのアイドル生活を悔いのないように皆様の記憶に残る虹浦愛留の最後を見てくれたらなぁと色んな計画してます。引退後は……そうですね、まず作りがけで放置してる1/60スケールのプラモデルを完成させたいなと思います」


 後に愛留をスカウトした事務所社長は涙ながらにこう語る。


「彼女は私にとってかぐや姫だった。ここまで私の想像を遥かに越えていくとは正直に言って予想外だった。ウチの稼ぎ頭だからね、もちろん必死に反対したよ。せっかく世界的なトップスターになったってのに、急に辞めるだなんて言い出すからね。でも、愛留を思えばこそ彼女の引退を止めるだなんて出来なかったんだ」


 虹浦愛留は不治の病にかかっていた。


 ◆◇◆◇◆


「……はぁ、人のいない朝の公園て、何故ワクワクするのかしら?」

 今日は久しぶりのオフ。

 虹浦愛留はマスクと帽子を深くかぶり、まだ人々が眠りについている薄暗い町中をジョギングがてら散歩していた。

 偶然、通りかかった公園に入り、懐かしくなって一人ブランコに乗って童心に帰ってみる。

 腕の力でブランコを繋ぐチェーンを揺らしながら振り子の動きを大きくしていく。

 小さい頃は靴を飛ばして何処まで行くか、学校の友達と競争したりして遊んだのを思い出す。


「今やったら道路まで行きそう。行ける気がする」

 キーキー、とブランコの軋む音だけが静かな公園にこだまする。

 本当に飛ばそうと靴の紐を緩めようとしたが変装をしているとは流石に誰かに見られでもしたら恥ずかしいな、と思い断念した。


「ふふ、お金のかからない貸し切りね」

 ブランコ以外は砂場とジャングルジムぐらいしない小さな公園だが、赤く染まった紅葉の木々が立ち並ぶ美しい所であった。

 愛留はマスクを取って深呼吸。十月の冷たい空気が肺を満たす。


「一人居るんだなァ?」

 急に声をかけられて愛留は驚いて隣のブランコを見る。

 ブランコのバーに頭が届きそうな、すらりと背の高いスーツ姿の人物が立ち漕ぎをしていた。

 声は男性のようだが、髪が片側だけ長く、その横顔は女性かと思えるぐらい端正な美貌を持っていた。


「ブランコは良い。自分の力で何処まででも揺れ動く……だが、世間ではこのブランコが危険遊具とされて次々と撤去されているらしい。寂しいと思わないかァ?」

「はぁ、そうですね」

 急に語り始める男に愛留は少し距離を置く。

 人のことは言えないが、こんな早朝に大の大人がブランコをしているなど普通に考えればおかしいことだ。

 芸能界、色々な人間を見てきたがこの男はヤバい、と一瞬で思える変人さ加減がオーラでわかる。


「なんだってそうさァ。その道具が危ないか、危なくないかは使う人間次第だと言うのに何でもかんでも規制したがる」

「……それは使う人間が道具の使い方を知らないからじゃないですか?」

「知らなければ知ればいい。知らないものに手を触れちゃァいけないのさァ」

「でも世の中、全てが説明できるものって訳でもないですよね? 今の私たちの生活があるのは、過去の人が危ないものを安全に使えるようにしたからこそですよ」

 愛留の反論に男は不思議そうに見詰める。


「君、面白いなァ。名前は?」

「え……私を知らないんですか?」

 名を尋ねられて思わず愛留は聞き返す。


「ほら、私ですよ?」

「知らない。初対面の相手のことを知っていたらそれはエスパーだよなァ?」

 まさかの言葉に愛留は唖然として固まった。

 沢山のCM、ドラマや映画に引っ張りだこの国民的、いや世界的アイドルである虹浦愛留のことを日本人で知らない人間がまだいたことに驚きを隠せなかったのだ。


「マジで? この顔に見覚えない?」

「もしかして、指名手配でもされてるのかァ?」

「…………ふ……ハハ……ハハハ」

 男が本当にわからないといった顔をするので愛留は思わず吹き出した。


「はァ……どうしたァ?」

「ふふふ、ごめんなさい。そうですよね、そんな人だって居ますよね。はぁ、私もまだまだだったんだな」

 ブランコを降りて立ち上がる愛留。


「朝ごはん食べに行きませんか? それとも仕事ですか?」

「問題なし」

 そう言って男は思いきりブランコを漕ぎ、一周させる勢いで天高く飛び上がる。

 空中で体を捻ねり回転するムーンサルトを決めながら地面に着地した。


「これでも偉い立場の人間だから遅く出勤してもいいのだァ」

「すごい……体操選手?」

「日本が誇る大企業トヨトミインダストリー所属。愛と勇気を作り出す天才博士さァ」

 昇る太陽を背にして二人は一緒に歩きだす。


 これが虹浦愛留とヤマダ・アラシの出会いだった。

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