再戦迫る

 短気かつ無類の働き者である織田信秀の生涯は、非常に目まぐるしい。三河攻めからまだ三か月も経っていないというのに、美濃再征の準備に取りかかっていた。


「来春、越前の雪が解けたら、朝倉あさくら氏と呼応して美濃に攻め込む。秀敏ひでとし叔父上は朝倉孝景たかかげに急ぎ使者を送ってくだされ。

 内藤ないとう勝介しょうすけは、ありったけの銭を使って、領内にいる荒くれ者どもを兵として雇うのだ。

 ……そして、平手ひらてよ。関東の北条ほうじょう氏康うじやすに同盟を持ちかける書状を送ろうと思うゆえ、良き文面を考えてくれ」


 古渡ふるわたり城(信秀の居城)では評定が連日行われ、信秀は重臣たちに矢継ぎ早に指示を下していった。


「北条と同盟……でござるか。なるほど、美濃を攻めている間に駿河の今川軍が三河へ進軍してきたら困りますからな。北条が我らと手を組めば、今川義元は背後の北条氏の動向が気になって身動きが取れなくなるはず。

 ……されど、北条は今川と和議を結んだばかり。我らの誘いに乗ってくるでしょうか?」


 外交交渉の熟達者である平手政秀まさひでは、北条との同盟はいささか難しいと考えているのか、わずかに首を傾げながらそう言った。


「これまで特に深い付き合いがあったわけではい北条を我が陣営に引き込むことが難しいのは分かっておる。だが、可能性が皆無というわけではない。北条氏康さえ味方になれば、後顧の憂いは無くなり、美濃攻めに集中できる。さらに、今後の対今川のいくさも大いに有利に進めることができるであろう。勝利のためには、できる限りの努力をしなければならぬ」


 今川は、東三河の攻略に大苦戦したせいで兵の士気も大いに下がっているだろう。美濃攻めに向かった織田軍の留守を狙って西三河に侵攻する余力など無い可能性もあり得る。


 しかし、今川軍には太原たいげん雪斎せっさいという名軍師がいるため、どんな奇計を用いてくるか分かったものではない。捲土重来けんどちょうらいを期して斎藤利政に再戦を挑むにあたって、今川の邪魔が入ったら非常に困る。


 そう考えたからこそ、今川軍の西進をはばむ奇策として「北条氏との同盟」を信秀は考えついたのであった。


「殿……。今川の動きが心配ならば、美濃攻めは取りやめたほうがよろしいのではないでしょうか。たしかに我が軍は三河攻めの勝利で士気が上がってはおりますが、休む間もなく戦いを続けていたら将兵たちが疲弊してしまいますぞ」


 戦に消極的なはやし秀貞ひでさだが遠慮ぎみにそう進言したが、信秀は頭を振って「美濃攻めを取りやめるなど、有り得ぬ。この千載一遇の好機を逃せば、まむしを討てなくなってしまう」と強い口調で言った。


「利政は、主家筋であり自分の娘婿である土岐とき頼純よりずみ様を殺害するという大罪を犯した。今頃、斎藤利政の悪名は美濃国内にとどろき渡っておることだろう。間違いなく、民心は奴から離れつつある。美濃が一枚岩ではない今こそが攻め時なのだ。謀略巧みな利政めがあの手この手で美濃の混乱を鎮める前に、稲葉山城を攻め落とさねばならぬ」


 美濃再征にかける信秀の意気込みには並々ならぬものがある。今川の動向が気になっている他の武将たちも、そんな主君の気迫をひしひしと感じると、それ以上の発言は差し控えるざるを得なかった。


 信秀の志は、京都に上洛して室町将軍を助け、京の周辺国天下静謐せいひつをもたらすことである。それが戦国の世を終わらせる近道だと信秀は信じていた。


 京都に向かうためには、通り道である美濃国の内乱を鎮め、武家社会の秩序を乱す下剋上の鬼・斎藤利政を成敗する必要がある。利政の討伐こそが、信秀の天下静謐の志を達成するための第一の試練と言えた。


「利政は私利私欲のために戦をしている。だが、この俺は天の意志に従って民たちのために戦っている。天が、俺ではなく蝮に味方するはずがない! 者共ものども、戦の備えを急ぐのじゃ!」




            *   *   *




 同じ頃、美濃国では――斎藤利政が焦燥感に駆られていた。


「誰だ。どこのどいつが、俺の悪行をあることないこと広めておるのだ。良通よしみちよ、流言飛語を流している者を早く捕まえるのじゃ」


 稲葉山城の城下町・井ノ口には、毎日のように利政の「悪行」の噂が流れてきている。その噂の内容は、婿の土岐頼純をだまし討ちしたことだけではない。


 ――三年前に死んだ美濃国主・土岐頼芸よりよしの弟・頼香よりたかは、実は蝮に殺されていたそうだ。しかも、頼純を殺害した時と同じ手口で、自分の娘の一人を嫁がせておいて相手が油断したところで暗殺したらしい。


 などと、民たちの間で頻繁に噂されていた。


 井ノ口の市場近くに館を構えている主君の頼芸も、この噂を耳に入れたらしく、ここ最近は「利政に自分も暗殺されてしまってはかなわぬ」と恐れて守護館の警固の人数を増やしているようである。元々ぐらつきつつあった主従の関係は、取り返しがつかないほど心の隔たりが生じてしまっていた。


 また、もり可行よしゆき可成よしなり父子など土岐家の直臣たちも守護館に集結し、「このまま、あの蝮にこの国のまつりごとを任せておくのは剣呑けんのんでござる。いずれは国主様のお命を狙うことでしょう」と頼芸に進言しているらしい。


 最初から乏しかった利政の人望は、かくして絶望的なまでに低迷しつつあった。自業自得とはいえ、ここまで悪評が広まったのは何者かの工作に違いない。


「おおかた、織田信秀か朝倉宗滴そうてき……もしくは頼純の残党どもが流言飛語を流しているに違いない。いや、俺に反感を持つ守護家(土岐頼芸)の直臣たちの仕業という可能性もあるか……?」


「心当たりがありすぎて、ぜんぜん犯人を絞れていないではないですか。方々ほうぼうで恨みを買いまくるから、こんなことになるのです」


「よ、余計なお世話じゃ! ……これ以上、俺の悪い噂を流されないように、敵の間者を早々に捕えるのだ。どんな残酷な拷問をしても構わぬゆえ、怪しい者がいたら徹底的に取り調べせよ」


 利政は、唾を飛ばしながらわめき、稲葉いなば良通よしみち一鉄いってつ)にそう命令する。


 おのれの悪名など意に介さぬ利政も、草地に炎が燃え広がるような速さで悪い風聞ふうぶんが国内に拡散しつつある現状に危機感を抱きつつあった。来春にも織田・朝倉連合軍が再来襲しかねない今の状況下で、主君・頼芸や美濃武将たちに一斉に背かれてしまったりしたらさすがに困るのである。


 だが、義弟である良通も、利政のことを全く信用していないようで、


「……まことに、守護様(土岐頼芸)の弟君を暗殺していないのですか? 思い返してみたら、頼香様の突然の死は不審なものがありましたぞ。織田・朝倉連合軍が攻め込んできて美濃国内が大混乱に陥っている真っ最中に亡くなりましたからな……」


 と、疑わしそうな目で問う始末であった。


 良通は「南泉寺なんせんじの僧には一切手出ししない」という約束を利政に破られたばかりだし、残虐極まりないやり方で土岐頼純を滅ぼした利政の姿をこの目で見ている。噂通り本当に殺したんだろう、と半ば確信しているようだった。


「や、やってなどおらぬわ! 俺を信じろ!」


 利政は苛立ちながらそう怒鳴るが、そんな言葉を極悪人のこの男が言っても虚しく聞こえるだけである。


「殺せ! 俺をおとしめる噂を流している人間は、ことごとく殺すのじゃ! 怪しい者は誰一人として美濃国内に入れてはならぬし、国外に出してはならぬ! もっと街道の封鎖を徹底いたせ!」


「それは無理でござる。あまり長いこと街道を封鎖していると、商人や旅人が自由に往来できず、銭や品物が美濃国内に入って来なくなります。ますます、守護代殿の悪名は高まるでしょう」


「……ぐ、ぐぬぬぅ」


 たしかに、街道の封鎖をいつまでもしているわけにはいかない。

 美濃国へと入って来る金や物の流れを止めてしまうことは、美濃の国力を弱体化させることに繋がる。織田・朝倉連合軍の再来襲を目前にして、自分の首を絞めるような真似をしている場合ではなかった。


「やむを得ぬ。街道の封鎖はもうやめだ。どうせ、敵国の間者にはすでに潜入されてしまっているのだからな。

 ……だが、このまま指をくわえて織田と朝倉が攻め込んで来るのを待っているわけにはいかぬ。こちらも、敵方の動きをけん制する策を講じねばな」


 利政は蛇のように鋭い両眼をギラリと光らせ、虚空を睨んだ。


 しばしの間、手に持つ扇子をパチンパチンと開閉してもてあそび、思考にふける。目の前に良通が座っていることも忘れ、新たな悪だくみを夢中で考えた。


「……よし、この手で行こう」


 策がひらめいた利政はそう呟くと、扇子を勢いよく閉じてニヤリと笑った。


「敵の泣き所をつくことこそが、戦の常道。信秀の主君である織田大和守やまとのかみ達勝みちかつ(尾張の下半国守護代)に密書を送り、信秀の美濃出陣を妨害するようにそそのかしてやろう。達勝とて、俺の主君の頼芸と同じように、台頭してくる自分の家臣を苦々しく思っているに違いない」


 達勝は、過去に家臣である信秀と争ったことがある。現在は和解しているが、内心では主君を凌駕りょうがするほどの実力を持つ信秀を憎んでいるはずだ……。


 横暴極まりない自分の行動が原因で主君・頼芸との仲がこじれてしまっている利政は、「信秀も俺と同じ悩みを抱えているに違いない」と考え、織田大和守家の調略を決意するのであった。


「信秀は傲岸不遜な貴殿とは違い、尾張守護(斯波しば義統よしむね)や主君(織田達勝)のことを敬っていると聞きまする。そんな簡単にいくでしょうか」


 相手が誰であってもズケズケと物を言う「一徹者」の良通が、そう言って首を傾げる。利政はムカッとなって顔を激しく歪めた。


「いちいちうるさいぞ、良通。俺の気に障ることばかり言うな。密書の手配は他の者にさせるゆえ、お前は国内に潜伏している敵の間者を早く捕えて来い」


 そう怒鳴ると、利政は舌打ちして広間から出て行った。そして、肩を怒らせて廊下を歩きつつ、


(まさか、頼香の暗殺が露見してしまうとは。あの頃は俺の権勢もまだ盤石とは言えなかったから秘密裏に実行したはずだったのに、なぜ知られてしまったのだ。先日美濃に侵入したという織田の間者が調べ上げたのか……?)


 と、隠していたおのれの罪を暴いた犯人が誰なのか必死に考えるのであった。




 一方、広間に一人残った良通は、フンと鼻で笑って独り言を呟いていた。


「……蝮よ。我ら美濃武将がお前に従っているのはあと数年の話じゃ。新九郎しんくろう(後の斎藤義龍よしたつ)殿が経験を積んで立派な武将になったあかつきには、お前のその首をすげ替えてやるわい」


 民衆を苦しめる美濃国の内紛は、まだまだ終息する運命には無かったのであった……。








<斎藤利政のもう一つの婿殺し>

土岐頼芸の弟である頼香という人物は、天文十三年(1544)に斎藤利政によって殺されていたようです。

利政は頼香に自分の娘を嫁がせましたが、織田信秀が美濃に侵攻してきた時のどさくさに紛れて頼香に刺客を差し向けました。結果、頼香は自害したそうです。

この時の斎藤利政の「娘」が帰蝶だったのか、別の姫だったのかは分かりません。(ただ、この頃はまだ帰蝶は十歳だったから、別の姫だったのかも……?)

岐阜県羽島郡笠松町の無動寺には、殺された土岐頼香が弔われている「土岐塚」があります。

万が一、頼香に嫁いだ「利政の娘」が帰蝶だった場合、帰蝶は二回連続で夫を父親に殺されたことになりますが……はてさて(^_^;)


※追記:最近では土岐頼純の弟という説のほうが有力ですが、今作品では頼芸の弟にしました。

頼純が死んだ後に道三の娘(帰蝶?)が頼香に再び嫁ぎ、道三はすぐに二人目の婿を殺してしまったらしいのですが……。頼香には宗鳳そうほう童子どうじという遺児がいて、道三の娘が産んだ子供だったからか助命されているらしいのです(ただし1555年に早世)。

すると、「宗鳳童子は帰蝶が産んだ子……?」となってちょっと小説のストーリーがややこしくなりそうな予感が(^_^;) (帰蝶とは別の斎藤家の姫が嫁いだ可能性もある)

というわけで、けっこう悩んだのですが、土岐頼香という人物と帰蝶は今作品では接点がない感じでいくことにしました。ご了承くださいm(__)m

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る