敵将、長田重元
「殿様ぁ! 織田軍が間もなくこの村にやって来ますだぁ!」
大浜街道沿いのとある村。
村長の屋敷を本陣代わりにして家来たちと軍議をしていた
「見張りの役目、大義であった。他の村民たちはすでに避難が済んでいる。そちも、
「へ、へい!」
六兵衛が走り去ると、重元は「さて……。そろそろ子兎狩りを始めるか」と呟く。
すると、そばに控えていた長身痩躯の侍――出陣した信長軍を監視していたあの男――が「長田殿。ご油断召されるな」と低く凄みのある声で忠告した。
「
「……三河武士を愚弄するな、
重元はギロリと睨み、そう豪語した。御宿殿と呼ばれた侍は、重元の剃刀のように鋭い眼差しに別段怯むこともなく、「左様か。ならば、よい」と冷めた声で返す。
「フン。いちいち気に障る男だな、おぬしは。……だが、分からぬことが一つある。なぜ、寿桂尼殿は我が領地の危機を敵である私に報せてくれたのだ。今川と織田は、連携して三河を攻めるという盟約を結んでいたのではないか? それに、元服を済ませたばかりの若武者一人を死に追いやって、今川家に何の益があるというのだ?」
「今川家の利益ですと? ははっ、とんでもない。寿桂尼様は、純粋な好意からそれがしを貴殿の元へお遣わしになったのだ。
「……つまり、今川家はいまだに広忠様を見捨ててはいない、ということか? 今は信秀と手を組んではいるが、いずれは織田軍から広忠様を救ってくださるおつもりだと……」
「いかにも。今川家を信じることです。それが、三河武士たちが生き残るただ一つの道だと思われよ」
「…………」
重元は、寿桂尼の指図で動いている御宿という男の顔をのぞきこんだが、
(不気味な奴だ……。こんな何を考えているか分からぬ男の言うことも、このような輩を手足のごとく使っている寿桂尼のことも、信用できるとは思えぬ。結局、私は寿桂尼の何らかの陰謀に利用されているだけに過ぎないのだろう)
その寿桂尼の陰謀とは何なのか見当もつかないが、今はとにかく、降りかかる火の粉を振り払わねばならない。大浜の領主として、攻め寄せる織田軍を撃退することだけに専念すべきだ。
そう割り切ることにした重元は、「ならば、信じることにしよう」と答えた。御宿はニコリともせず、「重畳至極」と短く呟く。
「貴殿の健闘を祈っている。それがしは、貴殿が万が一にも信長を取り逃がした時のため、奴の退路を塞ぐ準備をしておくことにしよう」
「取り逃がすなど、絶対にあり得ぬ。ここに信長軍が現れたと同時に、村の家々に隠れている我が軍の兵たちが信長軍を襲う手はずだ。さらに各要所に伏兵を配置して、迎え撃つ備えは万全……。日が暮れる頃までには、信長の首級をとっていることであろう」
「それがしもそうなることを期待しているが、こちらはこちらでこの任務を必ず成功させねばならぬ事情があるのだ」
そう言い捨てると、御宿某は太刀を手に取って出て行った。
彼がいなくなると、御宿某が放つ剣呑な雰囲気に呑まれて黙り込んでいた長田家の家臣たちが、いっせいに悪口を言い始めた。
「い、いったい、何だったのだ、あの無礼な男は!」
「御宿
「フン……。あのように愛想のない男など、今川家の家中でも嫌われ者なのだろう。だから、汚れ役をやらされているのに決まっている」
家臣たちがめいめいに御宿虎七郎という男の悪口雑言を並べ立てているのを、重元は「そんな話はどうでもよいわ。者共、気を引き締めよ」とピシャリと言って止め、立ち上がった。
「信長軍は間近に迫っておる。持ち場に早く戻れ。信長軍がこの村に火を放とうとした瞬間を狙い、一斉に襲いかかるのだ」
重元はどこまでも冷静で、用意周到な作戦で敵を追いつめる戦術家である。今回も、いくつもの罠を仕掛けて
だが、信長という獲物が罠にかかる前に、予想外な鼠が重元の懐に飛びこんで来たのである。その鼠というのが――方向音痴のせいで敵地に迷いこんでいた
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