銭という魔物


「父上、お呼びでしょうか」


「おお、遅いぞ、吉法師きっぽうし。これを見ろ、津島や熱田の港で稼いだ銭だ」


 吉法師が秀貞ひでさだに連れられて城主館内の広々とした庭に行くと、信秀は銭が入った大量の壺を庭に並べさせていた。


(何だ、何だ? 何をやっているんだ?)


 父親譲りで好奇心が強い吉法師は、何か面白いことをやっているみたいだと感じて興奮した。


 台所方(財政を担当した役職)の武士たちが、銭を一枚ずつ丁寧に検分して、見栄えのよい銭を平手ひらて政秀まさひでの前に置かれている大きな壺に入れている。政秀はちょっとでも欠けた部分がある銭を発見すると、「これは駄目だ。もっと綺麗な銭を持って来い」と厳しく指導していた。


「もしかして、朝廷に献上する銭を選んでいるのですか?」


「そうだ。献上した銭の中に悪銭あくせん(質の悪い銭)が混ざっていたら大恥だからな。いい機会だから、銭について色々と教えてやる。こっちに来い」


 吉法師が言われた通りに信秀のそばに歩み寄ると、信秀はあごをしゃくって「あっちの壺にけてある銭を見てみろ。あれが悪銭だ」と言った。


 吉法師は壺をのぞきこみ、「悪銭」と判定された銭を観察してみた。なるほど、あちこち欠けたり、銭に刻まれた文字が摩耗して不鮮明になっていたり、経年劣化によって質が悪くなったものばかりだ。少しでも銭の文字が分かるものはないだろうかと吉法師が探してみると、かろうじて「皇宋通宝こうそうつうほう」と読み取ることができる銭が数枚あった。


「皇宋通宝……。北宋時代に中国の皇帝が発行した銭ですね」


「おう、そうだ。大雲だいうん和尚おしょうの元でちゃんと学んでいるようだな。長い年月をかけて大勢の人間の手から手へと伝わり、こんなにもボロボロになったのだろう。もしかしたら、平清盛たいらのきよもり公が南宋との日宋貿易で輸入した銭かも知れないぞ。清盛公は大量の宋銭を我が国に輸入したらしいからな」


「つまり、平清盛公がこの銭を触った可能性がある、ということですか?」


 いびつな形となった宋銭に悠久なる歴史の浪漫ろまんを感じ、吉法師は目を輝かせた。信秀はフフッと笑い、「あり得ないことではないな」と言ってやった。


「この銭はもう使えないのですか? 何だかもったいないですね」


「いや、そういうわけでもない。我が国はかなり以前から深刻な銭不足に悩まされていて、市場で売り買いするための銭が足りない……という問題が多発しているからな。『質が悪い銭でも使ってやろう』と考える人間が取引相手だった場合、通貨として使えるはずだ。しかし、質の悪い銭を嫌がる者が取引相手だった場合は、このボロボロの銭は撰銭えりぜにの対象になってしまうだろうな」


 撰銭とは、取引時に質が悪いと判断した銭を受け取り拒否することである。


 日本国は十世紀以来、造幣ぞうへいを行っていない。長らく中国からの輸入銭を通貨として利用してきた。その中国の銭で日本において幅広く流通していたのが「皇宋通宝」「元豊げんぽう通宝」「熙寧きねい元宝」などといった宋銭だった。


 日本で出土される一括出土銭いっかつしゅつどせん(壺などに入れられた銭がまとまって出土されること)の約七七パーセントが、歴代王朝の中で最も銭を発行した北宋王朝の宋銭だとされている。しかし、これら宋銭が製造されてから相当な年月が流れており、銭が経年劣化してしまうのは当たり前だった。


「銭が古くなったせいで精銭せいせん(良質な貨幣)が不足しているのならば、中国の新しい銭をどんどん輸入すればよいのではありませんか? 平手のじいから以前聞きましたが、三年前にも西国の大内氏が遣明船けんみんせんを派遣したのですよね?」


「そう思うだろうが、そんな簡単な話ではないのだ。足利義満あしかがよしみつ公が日明貿易を始めて以来、明銭を輸入してはいたが、義満公の死後に貿易を一時中断したせいで銭不足に陥った。その後、貿易を再開したものの、銭不足を解消するだけの十分な量の銭は入って来なかったらしい。明という王朝はあまり銭を発行していないのだそうだ。

 それに、明との貿易の回数も、数十年前に比べたらどんどん減ってきている。これは、大雲和尚が遣明使の一行に加わっていたという僧侶の話を聞いて、俺が又聞きした情報なのだが、明王朝は反乱に次ぐ反乱のせいで財政難に陥り、日本に銭を流出させるのを嫌がっているらしい」


 信秀が悩ましげにそう語った後、「……そもそも、我が国には明王朝がつくった銭を使いたがらない人間が多いから、明銭があっても銭不足の根本的な解決にはならないのだがな」と呟いた。


 吉法師は父の言っている意味がよく分からず、首を傾げる。


「なぜ、明銭を嫌がるのですか? 新しい銭のほうが見た目が綺麗なのに」


「それはな、新しい銭には『信用』がないからだ」


「信用、ですか?」


「うむ。宋銭は、昔から人々が使っている銭だから、取引時に通貨として通用してきたという信用がある。だが、新しい明銭は、『こんな新しそうな銭、偽物なのではないか?』などと不安がられたり、『自分が不安に思っているのに、取引相手がこの銭を受け取ってくれるだろうか……』と疑心暗鬼に陥ったりしてしまう。つまり、銭としての信用が低いのだ」


「だから、新しく入って来た銭を使わないと? 気持ちは分からないでもありませんが……。俺は、使えるものをわざわざ使わないのは、理に合わぬと思います」


 吉法師は、せっかくの新しい銭を忌避きひするのはもったいない、と考えているらしい。明銭が入れられた壺から銭を一枚取り出し、じっと見つめた。


「俺が銭で一番好きなのは、この『永楽えいらく通宝つうほう』です。『永楽』という言葉は縁起がとてもいいではありませんか。こんな良い銭をみんなは使いたがらないのですか?」


「永楽通宝か。この銭だったら、伊勢・尾張から東の地域――特に関東の国々では広く使われているぞ。だが、朝廷に献上する銭には含めることはできないな。畿内の国々では嫌われていて、悪銭として撰銭の対象になる恐れがある」


「ええっ⁉ 銭って、地域によって好き嫌いがあるものなのですか? ……つまり、尾張では買い物に永楽通宝が使えても、京などの上方に行ったら使えないかも知れない……ということですよね。商いをするのに、とても不便ではありませんか」


「その通りだ、よく気づいたな。そして、俺たち領主にとっても不便なことこの上ない。明銭が使える地域もあれば、使おうとすると嫌がられる地域もある。また、堺のように無文銭むもんせんという私鋳銭しちゅうせん(偽造銭)を製造して使っている所もある。どこの地域でどの銭が使われているか把握しておかないと、痛い目にあうぞ」


 例えば、である。


 信秀がうっかり永楽通宝や洪武こうぶ通宝などの明銭ばかりを京の朝廷に献上したとする。公家たちは京で信用価値が低い銭を渡されて、喜ぶどころか怒るだろう。「信秀は大馬鹿者だ」と言われてしまう。信秀の信用はがた落ちだ。


 また、信秀が関東の北条氏とよしみを結ぼうとして(実際に、信秀は今川を挟み撃ちにするために北条氏との接触を試みていた形跡がある)、贈り物に京で流通している銭を送ったとする。北条氏は「関東では永楽通宝を使っているのに、こんな銭を渡されても……」と迷惑がるだろう。


 さらに、自分の領地で信用価値が低い銭を他勢力や商人との取引でつかまされる危険性もある。戦などの軍資金を確保するためには、領主は「自国でちゃんと使える銭」をなるべく多く手元に蓄えておく必要があった。また、他国との交渉用の資金として、自国では信用価値が低い銭もある程度は所持しておくべきだろう。


 銭の使い方がまずければ、せっかく富が集まる港を持っていても宝の持ち腐れだと言っていい。信秀は、これら銭の使用上の注意を十歳の吉法師にも分かるように、できるだけ噛み砕いて説明してやった。


「中国の歴代王朝から渡来した銭は多種多様あり、幕府が朝鮮国から輸入した『朝鮮通宝』という銭もあるらしい。さらに模造された私鋳銭もたくさん出回っている。いくつもの種類がある銭のどれが、どこで、通貨として通用するのか……。

 吉法師よ、銭はただ便利な買い物の道具ではない。油断をすると、時には人間を振り回すのが銭という魔物だ。銭を使いこなすことができる者こそが、真に富める者と言っていい。銭に振り回されるような愚か者になってはならぬぞ。これからは、銭についても勉強するといい」


「はい、分かりました。銭というものがこんなにも手強い戦相手だとは知りませんでした。とても面白いです。銭のことをもっとたくさん学んで、使いこなせるようになってみせます」


 十歳の子供に「銭についてもっと知れ」と言っても、あまりピンと来ないかも知れない。信秀はそう思っていたが、吉法師の表情を見ると何やら嬉々として楽しそうである。


(こいつ、興味津々といった顔で明銭や宋銭を眺めているではないか。俺に似て、銭が好きなのか。そういえば、俺の父(織田信貞)も銭が好きだったな。ふふ、織田氏は越前の神官が先祖らしいのに、まるで商売人の血が流れているようではないか)


 吉法師は、この日、生まれて初めて銭という魔物を強く意識した。

 後年、この銭をめぐって、織田信長は比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじなどの寺社勢力と対決することになるのである。







<付録:中国王朝の(ピーク時の)年間鋳造枚数>

以下のデータは上念司氏著『経済で読み解く織田信長 「貨幣量」の変化から宗教と戦争の関係を考察する』(出版:KKベストセラーズ)を参考にしています。


前漢……2億枚

唐 ……3.2億枚

北宋……50.6億枚

南宋初期……10.5億枚

南宋初期以降……2.3億枚

明 ……2.2億枚

清 ……26億枚


宋の時代以降に鋳造数が減るのは、銅銭の原料となる銅を掘り尽くしてしまったのが原因のようです。

元王朝は紙幣を発行しましたが、乱発しすぎて激しいインフレを引き起こしました。

明王朝も紙幣を広く流通させようとして、銅銭の使用を禁じていた時期がありました(戦費捻出のために乱発してしまい、紙幣の減価が止まらなくなって失敗……)。この時期に足利義満が日明貿易を行い、そのおかげで明国内で使用禁止となっていた銅銭を大量に輸入することができたようです。

清王朝の時代になると鋳造量が増加していますが、原料となる銅の六~八割は日本から輸入していました(河合敦氏著、ベスト新書刊『外国人がみた日本史』より)。

日本のマネー(銭)の供給源となっていた中国王朝がインフレやデフレなどで経済が混乱すると、日本の経済にも大きな影響があり、室町幕府の弱体化の一因となったようです。



※小説内の銭に関する情報は、

・高木久史氏著『撰銭とビタ一文の戦国史』(出版:平凡社)

・上念司氏著『経済で読み解く織田信長 「貨幣量」の変化から宗教と戦争の関係を考察する』(出版:KKベストセラーズ)

などを主に参考にしました。

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