堅物女

 信秀が伊勢の御師おんしから聞いた噂は本当だった。御師が那古野なごやを去って間もなく、本当に朝廷への献金を要請する幕府の使者が京から到来したのだ。信秀はこの要請を快諾し、領内にある良質な銭集めを急がせたのであった。


「お徳殿。吉法師きっぽうし様はどちらにいらっしゃいますか? 殿様がお呼びなのですが……」


 幕府の使者をもてなす宴を催した数日後の朝。はやし秀貞ひでさだは、吉法師を探して城主館をあちこち歩き回っていたが見つけられず、廊下でバッタリ出会った吉法師の乳母・お徳にそうたずねた。


 お徳は、少し呆れたような目つきで秀貞を見つめ、「何を言っているのですか、林殿は……」と言った。


「吉法師様なら、あなたの真後ろにいらっしゃるではありませんか」


「え……? ええっ⁉」


 秀貞が驚いて振り向くと、吉法師とお徳の息子・池田いけだ恒興つねおきがクックックッと悪戯っぽく笑いながらそこにいた。恒興は吉法師よりも二歳年下の八歳である。


「き、吉法師様……。いつから私の後ろに?」


「あははは。お前が『吉法師様ぁ、吉法師様ぁ』と呼んで館を歩き回っているのを見かけたから、どれぐらいで背後にいる俺たちに気づくかなと思って、ずっと後ろからつけていたんだ。お前、背後の人間の気配がぜんぜん分からないのだな。そんなことでは、戦場で不覚をとるぞ?」


「は……はぁ……。申し訳ありませぬ」


 呆気に取られている秀貞は、悪戯されたことに対して怒ることも忘れ、謝っていた。


 林家は織田弾正忠だんじょうのちゅう家きっての重臣の家柄ではあるが、当主の秀貞はどことなく頼りなく、信秀が幼友達おさなともだちの気安さでついつい使い走りみたいなことをさせることが多いため、子供の吉法師にも侮られがちだった。


(はぁ……。吉法師様の悪癖がまた出ましたね。普段は真面目な子供なのに、発作的にたちの悪い悪戯をするから困ります)


 悪戯が成功して得意満面の吉法師を見つめながら、お徳は心の中でそう呟き、ため息をついた。


 吉法師は三日に一度は萬松寺ばんしょうじに行き、大伯父の大雲だいうん永瑞えいずいから中国の史書や兵法を学んでいる。大雲の話によると、吉法師の学習意欲は非常に旺盛で、すでに『孫子』という兵法書を暗誦あんしょうできるらしい。そればかりか、『孫子』に注解をほどこした曹操そうそうという三国時代の英雄に興味を持ち、つい最近『三国志』全六十五巻を読破していた。


 また、剣術や馬術、水練も熱心に励んでおり、共に学んでいる恒興ら家来の子息たちは優秀な吉法師についていくのがやっとだった。


 普段の吉法師は、勝幡しょうばた城にいた頃と変わらず、聡明で可愛げのある少年なのだ。しかし、どういうわけか、月に二、三回ほど、家来や侍女たち周囲の大人を困らせるような悪戯を仕出かすことがある。人を傷つけるような真似まではしないが、だんだん悪化していかないかが心配だった。


 困ったお徳は吉法師の生母・お春の方に相談したことがあるのだが……。


「慕っていた姉が嫁に行ってしまって、寂しいのでしょう。まだ十歳なのだから、本当は誰かに思いきり甘えたいはずなのです。でも、あの子は甘えることをずっと我慢してきましたからね……。誰に甘えていいのか、どんなふうに甘えればいいのか、あの子には分からないのだと思います。だから、たまに周囲の大人の関心を引くような悪戯をしてしまうのでしょう。私は『子供を甘やかしすぎる』と信秀様に言われ、吉法師に近づくことがあまりできません。本当は、吉法師を力いっぱいに抱きしめてあげたいのですが……。どうか、乳母のあなたが吉法師の母代わりとなって、あの子の孤独を少しでも和らげてあげてください。よろしくお願いします」


 などと、逆に懇願されてしまい、さらに困惑してしまったのである。


 城内で「堅物女かたぶつおんな」と陰口を叩かれているお徳は、実の子である恒興にも厳しいしつけをほどこし、これっぽっちも甘やかしてはいない(恒興は近頃それに反抗し始めて、手のつけられない悪戯小僧になりつつある)。自分でも、たまに「私は几帳面でまったく融通がきかない、面白みのない女だ。これでは実の息子に反発されても仕方ない」と自己嫌悪に陥ることがある。そのようなありさまなのに、母性愛に飢える吉法師の心を満たしてやることなどできるはずがない。


 現に今も、


「吉法師様っ! 家来を困らせて楽しむとは何事ですか! いずれ織田弾正忠家の当主となるお方のすることではありませんよ!」


 と、頭ごなしに叱り飛ばしてしまっていた。息子の恒興は、逃げないように首根っこをつかんでいる。後で厳しく折檻されることは分かりきっているので、恒興の顔は真っ青だった。


「ま……まあまあ、お徳殿。ずっとつけられていて気づかなかった私も間抜けだったのです。もう、それぐらいで……」


「私は吉法師様の教育係なのです! 林殿は口出しをしないでください!」


「は、はい……」


 秀貞もお徳の剣幕にすっかり怯えきっていた。さんざん叱った後で、「あんなにも頭ごなしに怒らなくてもよかったのでは……」と必ず後悔するのだが、お徳の潔癖症な性格が燃え盛る怒りの炎の勢いを止められないのである。


 なおもお徳が説教を続けようとすると、吉法師はいかにもうるさいなぁ……と思っていそうな表情で「デアルカ」と言った。そうであるか、という意味である。吉法師は言葉を縮めて話したがる癖があり、お徳はそれも気に入らなかった。


「十分よく分かった。次からは気をつける」


「いいえ、ぜんぜん分かっていません! あと、行儀の悪い言葉だからデアルカと言うのはおやめなさいと何度も……」


「お徳。父上がお呼びらしいから、そろそろ行くよ。早く顔を出さないと、俺を呼んで来るように命じられた林が父上に叱られてしまうからな」


 吉法師は悪戯をして気が済んだのか、すっかりいつもの優等生に戻り、真面目ぶった顔でそう言う。


「あっ、話はまだ終わっては……」


 お徳は呼び止めようとしたが、吉法師は「では、行こうか」と言い、秀貞と共に信秀の元へと向かうのであった。


 置き去りにされた恒興は、吉法師の分までお徳にガミガミ叱られる運命にあった。







<この物語における信長の師匠・大雲永瑞について>


大雲永瑞って誰やねん! 信長の師匠的なお坊さんは沢彦宗恩ちゃうんかーい!


……と思った方がいるかも知れませんが、沢彦は信長が幼児の頃はまだ修行中で、師匠から印可状ももらっていないらしいです。

さらに、信長が元服した時期でも黒衣の平僧に過ぎず、「沢彦が、信秀に依頼されて、元服する吉法師に『信長』という諱を授けた」というエピソードもちょっと無理があるのではないかと説いている研究者もいます(横山住雄氏著『織田信長の尾張時代』より)

沢彦が「岐阜」という地名を考え、信長が稲葉山城を岐阜城に改名した……というエピソードもありますが、これもどうやら別の僧侶が考えたらしいという説も出てきていたり……。


じゃあ、若き日の信長の身辺に偉いお坊さんがいなかったのかというと、実は大伯父(信秀の伯父さん)にあたる人が尾張で高名な僧侶だったのです。その人が「大雲永瑞」という名僧で、信秀の菩提寺・萬松寺の住職をやっていたのもこの方です。大雲和尚は、甥である信秀の死後も生き、信長の桶狭間決戦も見届けているので、物語上この人を信長の心の師匠ポジションに置くことができそうだな……と考えました。

先述した横山氏も「沢彦の話は、萬松寺住職(大雲永瑞)の話とすりかわっているかも知れない」と仰っているので、私もこの物語において横山氏の説を反映させることにしました。

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