第62話 知らない部屋


 次に意識が戻ったのは、見たことのない部屋だった。


 こぢんまりとしたその部屋には、壁際に一人用のベッドとタンスが置かれ、反対の壁には勉強机と姿見、本棚が並んでいる。


 本棚の下半分には小説や少女漫画の単行本が並んでいたけれど、上半分には、きらりん☆のフィギュアが並べてあった。床には見覚えのあるスーツケースが開いていて、きらりん☆のDVDが詰められている。周りには枕や衣服が散らかっているから、恐らく準備の途中なのだろう。壁には丸い掛け時計があり、時刻は十時を五分ほど過ぎていた。


 開いている窓の外は暗く、室内に備え付けてある蛍光灯の光が部屋を照らしている。


 勉強机の前に置かれた椅子にパジャマ姿のしずくが座っていて、その隣にアクアが立っていた。


「大丈夫かい?」


「少し眩暈めまいがしただけです」


 二人が会話するのを、俺は天井のすみから、俯瞰ふかんして眺めていた。


 なんだ、これ?


 俺のつぶやきは発せられない。


 体を動かそうにも、今の俺には腕も足も、それどころか体そのものが見当たらない。


 俺は死んでしまったのだろうか?


 こんな状況にも関わらず、自分がみょうに落ち着いていることに気づく。


 あきらめとは違う。意識がどこかぼやけていて、夢でも見ている気分だった。これが夢でないのであれば、まるで幽体ゆうたい離脱りだつでもしているようだ。


「覚悟は決まったかい?」


 アクアに聞かれ、雫は首を横に振った。


「正直、怖くてたまりません。でも、今の私は後付けの人格なんですよね? それなら、私にとって、消されてしまった前の人格が本当の私なんだと思います。それなら、こうして私がここにいることの方が、前の私にひどいことをしているんじゃないかって思うんです」


「……すまない」


 アクアが目をせ、続ける。


「私は今の雫君に、それ以上の答えを用意できない。私は雫君に謝らなければならないけれど、それと同等以上に〝神の子〟に対しても許しをわなければならないんだ。〝神の子〟の人格がよみがえれば、私は全力で〝神の子〟の力になると約束しよう」


「ありがとうございます」


 アクアは白髪はくはつをかきあげ、


教王きょうおう動向どうこうが掴めない以上、どこまで時間稼ぎができるのか分からない。でも、明日の午前中までは私が安全を保障する。明日は存分に楽しんでくれたまえ。夜分やぶん遅くにすまなかったね」


「いえ。これまでの事、本当にありがとうございました」


 アクアは窓枠まどわくに手をついて、


「それでは、また明日」


 そう口にして夜の空へと飛び出した。


 暗い夜空に溶け込むようにアクアが姿を消し、雫は窓を閉める。


 そして、雫は伸びをして独り言をつぶやいた。


「これで、いいんだよね?」


 雫は足元へと目をやり、やりかけの荷造りを再開する。


 きらりん☆のDVDケースを話数順に並べて、中身が入っているのかを確認する。三巻目のディスクが見当たらず、DVDプレーヤーの中に入っているのを発見した。それらをまとめてスーツケースに詰め込む。


 タンスを開いてハンガーにかけられている私服を手に取り、姿見の前で自分の体に合わせていく。さんざん悩んだけれど、その選別に勝ち残ったのはこん色のワンピースだった。


 俺はそんな雫を見ながら、駅前で待ち合わせした雫の姿を思い出していた。


 紺のワンピースは、ぐうの音も出ないほど雫に似合っていた。


 頭を使ったからか、意識が少しだけ鮮明になる。


 リアルな光景だったけれど、この世界が本物なのかどうかが分からない。


 しかし、これは過去の世界なのだろうと、ようやく思った。


 恐らく、ここは雫の部屋で、時刻は雫と一緒に自宅で勉強した日の前日の夜。


 雫が準備しているスーツケースの中身にも見覚えがあるから正しいと思う。


 不意に意識が、また飛んだ。

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