第33話 理由


 玄関の鍵が外から回るのを、ひなは初めて家の内側から見た。


 それは自分が、家族の誰かが出かけるのなら、内側から鍵を閉めてあげるからだと気付く。


 原理は分かっても、その現象はポルターガイストのように不自然で、理解しがたい光景だった。


 そして、その違和感の本当の正体に思いついて眉を寄せる。


 どうして彼女が、うちの家の鍵を持っているのだろう?


 それが気になったからかも知れない。雛は隠れるのも忘れて、鍵が改めて開いて、そのドアノブが回るのを、ずっと見続けてしまっていた。


 玄関の扉を開いた彼女と、目が合った。


 驚きをあらわにする彼女は、おずおずと、ひかえめに口を開く。


「こ、こんにちは」


 雛は少しだけ戸惑いながらも答える。


「こんにちは。妹の、雛です。東條とうじょう、雛」


 彼女は笑顔を取り戻して、


「私は依代よりしろしずくです。ナルにはお世話になってます」


 そう頭を下げて自己紹介した。


 彼女は玄関を閉め、鍵を内側から回す。


「あのっ」


 渦巻く疑問はたくさんあったし、何を聞けばいいのか判断が付かない。


 会話が続かないことを恐れて口が動いてしまう。


「雫さんは、お兄ちゃんの、彼女なんですか?」


 他にもっと聞くべきことがあるのにと歯痒はがゆく思う。


 そんな雛の心中を知ってか知らずか、彼女は笑顔だった。


「ナルが心配で隠れていたの?」


 後ろめたい所を突かれて言葉に詰まる。


「……ナルはどこか人を寄せ付けない所があるよね。だから、心配になる気持ちもわかるよ。それに、急に私が家まで来たのって不自然だったかな?」


 雛はこくりとうなずいて彼女をにらむ。


 それは精いっぱいの強がりだったけれど、彼女にはまだ気を許すわけにはいかなかった。


「でも、私にとっては、これはずっと待ち望んでいた事なの。それに安心して? 私にはナルの彼女になれる資格も時間もないし、こんな我儘わがままを続けるのも今日までだから。だから、今日だけ、ナルの側にいることを許して。お願いします」


 改めて頭を下げた彼女のつむじが雛を向いている。


 いったい、この女は何を言っているのだろう?


 顔を上げた彼女を見て、また思う。


 どうして、この女はこんなにも悲しそうに笑うのだろう?


 不意に、自分の方が何かを間違えてしまっているのかと雛は思った。


「あの、お兄ちゃんが、何か悪い事でもしたんでしょうか?」


 雛の言葉に、彼女は首を横に振る。


「私ね、少しだけナルを疑ってたの。ナルは正義のヒーローだったはずなのに、再会したナルは地味だったから、ナルは変わってしまったんだって思った」


「お、お兄ちゃんは、すごいもんっ!」


 条件反射的に言い返してしまった雛に、彼女はうなずく。


「知ってる。やっぱりナルは変わってなかったし、私はナルに再会できてよかったと思ってる。だから、これ以上、ナルに迷惑をかけたくないの。でも、弱い私にはまだ勇気が出ない。だから、最後の瞬間まで、この鍵は私に貸しておいてください」


 敬語が混ざっているのも不自然で、内容も支離しり滅裂めつれつで、何も理解できなかった。


 でも、それが無意味に思えるほどに彼女の眼差しは真剣で、そこに誠実さがあると思った。


 だから、それを許してあげようと、雛は思った。


邪魔じゃまは、しません」


「ありがとう」


 たぶん、彼女は悪い人間ではないのだと思う。


「でも、ひとつだけ聞かせてください」


 雛は彼女を真っすぐに見つめて口を開いた。


 これだけは聞いておこうと思った。


 その返答次第で、彼女を信じられるかも知れない。


「あなたは、どうしてお兄ちゃんを好きになったんですか?」


 彼女は少しだけ悩んだようだったけれど、すぐに笑顔を取り戻した。




「人を好きになるのに、理由がいるのかな?」




 雛はその答えに納得して、彼女と一緒に二階へ戻ることにした。


「それじゃ、私はまた隠れるので」


「会えてよかった。明日から、ナルをお願いね」


 雛が自室の扉を閉めるまで、彼女は笑顔のまま手をぱたぱたと振っていた。


 雛は眉間にしわを寄せながら、兄の部屋の方向の壁へとまた耳をくっつける。


 扉の開く音が聞こえる。


「何を笑ってんだよ?」


 兄の質問に、彼女はまた笑って答えていた。


「妹さんって、可愛いなって」


 雛はそれを聞いて、壁から耳を離した。


 もう盗み聞きをする気分ではなかった。


 先ほど〝邪魔はしない〟と言ったばかりではないか。


 今日だけは、雫さんに兄を貸してあげようと思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます