第31話 索敵


 東條とうじょうひなは双眼鏡を片手に、二階の自室の窓からにらみをかせていた。


 東條家は満谷みつたに駅からさほど遠くない集合住宅地にあり、周りに見えるのは幼い頃から見慣れた街並みと道路だ。


 雛は自室の掛け時計を見上げる。


 時刻はすでに九時を五分ほど過ぎており、兄が出かけてから四十分が経過している。


 兄がどこで待ち合わせているのかも、寄り道してから家に来るのかもさだかではないが、満谷駅や学校で待ち合わせをして家に戻るのであれば、そろそろ頃合いだと思う。


 本当は、今日はお婆ちゃん家へ行くと母と約束していた。


 しかし、事情が変わったのだ。


「今日は残る」と伝えたら、母はその理由を聞かずに察してくれた。


 楽しそうに「報告よろしく」と言って父と二人で車に乗って出かけて行った。


 それが呆気あっけなさ過ぎて拍子ひょうし抜けしたのはついさきほどの事。


 兄との会話中に母が〝家に残りたい〟と言っていたのは、実は本音ほんねだったのかも知れない。


 雛は改めて窓から双眼鏡をのぞくけれど、住宅地の細い道には車だって通らないし、変化のない道を見続けるのは思ったよりも苦痛だった。


 それに、冷静になって考えてみれば、せっかくの休日を兄の友達観察だけに消費するのは勿体ない気がする。例えば勉強とか、読書とか。そういえば、読みかけの小説がどこかにあったはず――そんなことを考えていた頃に、誰かがこちらに歩いてくることに気付いた。


 それは、雛の待ち望んだ、二人組の姿だった。


 それは、少し緊張した面持おももちの兄と、兄には勿体ないほど美人の組み合わせだった。


 いつもはだらしない恰好をしている癖に、今日に限って兄はお洒落に気を遣っていた。あのシャツは私が頼まれて選んだモノだと雛は思い出す。


 しかし、それがかすんでしまうぐらいに、兄に寄り添う彼女は綺麗だった。


 彼女は小柄な体型と顔を持ち合わせており、クラスの上位どころか、もしかしたら雑誌モデルをやっていると平気で口にしそうな見た目だった。私服もかなり気合が入っている。あの厚底のウェッジソールサンダルはどこのブランドだろう? 可愛いと、思う。


 それは、まるで考慮こうりょしていない事態ではなかった。


 しかし、それは万が一という可能性に過ぎない。


 自分が家に残ったのはその可能性を潰すためだったけれど、現実なんてふたを開けてみれば面白くもないモノだということは嫌になるほど知っているし、兄と似たり寄ったりの無口な男友達が来るだけだと高をくくっていた。


 お茶でも出そうと思っていたけれど、まさか、こんな事態になっていたなんて。


 近づいてくる二人に気付かれないように、雛は窓から離れて壁に隠れる。


 改めて考えてみる。


 家族のいない家に彼女を呼ぶということは、つまり、そういうことなのだろうか? 


 しかし、今朝の兄の様子はいつも通りで、彼女ができた気配なんてまるでなかったし、あの鈍感な兄に限って、そこまで二人の関係が進んでいる事などあり得るのだろうか?


 でも、待って欲しい。


 万が一を、さきほど経験したばかりではないか。


 焦っている間にも時間は流れていく。


 雛はとりあえず、廊下へと繋がるドアへと耳を近づけて物音を探ることにした。


 玄関の開く音が聞こえる。


「お邪魔じゃまします」


 彼女の声。


「誰もいないから言わなくてもいいぞ?」


「そういうわけにはいかないでしょ」


 兄との会話が小さく聞こえてくる。


 彼女はいったい何者で、なんて名前なんだろう?

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