第二章 ☆ きらっとライバル登場でしょ♪ ☆

第18話 正しさ


 教室には現国教師の佐藤さとう先生が、黒板に向かってチョークを削る音だけが響いている。


 俺は黒板に書かれた左肩上がりの文章をノートに写していた。


 その行為は自動的に行われていて、頭はまるで理解していない。


 今が金曜日の四限目であることに加え、先ほどの三限目は体育だった。程よく疲れた体と昼前のまどろみの波状攻撃によって、教室内には気だるげな空気が流れ、舟をこいでいる生徒もちらほら現れ始めている。そんな教室の雰囲気には佐藤先生も気づいており、そろそろ生徒の一人を指名して教科書でも読ませようとしていた。


「それじゃ教科書の百三十七ページを、依代よりしろさん読んでもらえる?」


「はい」


 しずくが教科書を手に立ち、朗読を始めた。


 はっきりとした声量で読む雫の声は聞きやすい。


 そんな雫の後姿を、俺はなんとなく見つめている。


 はるか百年前に書かれた物語の主人公が、親友のKに抱いている卑怯な気持ちを代弁できる人間がこの教室にいるのだろうか。もしもいるとしたら、それは雫ぐらいなんじゃないかと思う。


 隕石魔人いんせきまじんに襲われてから、三日が経った。


 今となっては、隕石魔人との戦いなんて嘘だったかのように思えてくる。


 それが現実だと思わせてくれるものといえば、星型の宝石とアクアの名刺だけだ。


 あれから連絡もないし、教室や廊下に壊れた痕跡こんせきが残っていない以上、あれが現実だったと証明する事はできない。


 何も起きない日々はこうして、普通で退屈で、当たり前に過ぎていく。


 あの日から俺の日常で変わったことといえば、雫との接触が増えたことぐらいだ。


 俺はあの日から、朝は雫を家まで迎えに行くし、学校終わりには一緒に視聴覚室で勉強をして、終わったら家まで送る――という日常を送っていた。


 雫は雫で、そのお礼といって毎日弁当を作ってくれている。断ろうとしたけれど「一人分も二人分も手間は変わらないから」と笑顔で押し切られてしまった。


 俺は意識しすぎているけれど、雫の方は、もしかしたら趣味の合う友達ができたぐらいにしか思っていないかも知れない。


 そんな日常に気恥ずかしさはあったけれど、命がかかっているのであればアクアの言葉は守るべきだ。でも、この生活はいつまで続くのだろう? 平日は学校があるからまだしも、明日からの休日をどう過ごすのか雫と相談しないといけない。


「はい、そこまで。それじゃ、続きを瀧本たきもと君、お願いできる?」


 雫の後ろの席で、俺の隣に座る瀧本が、佐藤先生に呼ばれて立ち上がる。


 俺はなんとなく瀧本の方へ視線を向けた。


 瀧本はなぜか教科書を机に出しておらず、しどろもどろになりながら口を開く。


「すいません、教科書、忘れました」


「そうなの? そういうことは授業の始めに言ってね。そうね、それじゃ、隣の……席の子に教科書見せてもらいなさい」


 座席表を見てもいいから、名前を呼んでくれよ。


 俺はそう思いながら、瀧本に教科書を渡した。


 瀧本はそれを受け取って「ありがと」と小声で伝えてくる。


 そのまま瀧本が朗読を始めた所で、後ろからくぐもった笑い声が聞こえた。


 俺はひかえめに、後ろの席へ視線を向ける。


 そこにはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる太った男子がいた。


 俺は彼と視線を合わせず、黒板の方へと向き直る。


 確か、あいつは――頭がようやく目覚めてくる。


 嫌味な笑いが、食堂と校舎の間を思い出させた。瀧本と肩を組んで裏へと歩いて行った太った不良。瀧本が絡まれていた後、教室であいつも同じクラスだったのだと気付いたけれど、その後のいざこざで深くは考えていなかった。


「はい、よく読めました。彼のこの言動が、どうしてKに致命的な――」


 瀧本が座り直し、小声で礼を言いつつ教科書を返そうとしてくる。


 俺はそれに対して席をくっつけた。


「教科書がなきゃ内容わかんねぇだろ」


 教科書を机の境目に置き、瀧本にも見えるように開く。


 何が正しいかで考えるのは損だと知っていた。


 それが正しいという保証だってないし、相手がそれを望んでない場合だってあるだろう。自分の思う正しさが、万人ばんにんの正しさにはなりえない。そんなものはいくら考えたって分からないし、もっと自分本位に考えるのがこの世界の普通で、多数派であるそれこそが、この世界の正しさなんてことは知っていた。


「ありがと」


 瀧本が控えめに笑った。


 しかし、改めてお礼を言われるのであれば、それは正しいおこないなのかも知れない。

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