第9話 大岩


 視聴覚室の扉を抜けて廊下に出たが、もうしずくの姿はない。


 ここは最上階だから、雫は階段を降りて行ったのだろう。


 とりあえず走る。


 追いついて何を言えばいいのか思いつかないし、そもそも、雫がなぜ正義の味方にこだわるのか理解できなかった。


 正義の味方がいないのなんて、サンタクロースや魔法使いがいないのと同じたぐいの、ただの当たり前の、つまらない現実の一つに過ぎない。高校生にもなって、雫がそれに気づいていないわけがないだろうし、あの涙には何か意味があるのだと思う。


 誰でも触れられたくない場所の一つや二つがあるし、ベクトルは真逆だったけれど、正義の味方に対して思い入れがあるのは同じだった。


 そんな雫を、俺は知らないにしても傷つけた。


 なら、それは悪い事だと思う。


 ようやく気持ちがまとまってきて、俺は謝ろうと決めた。


 階段を駆け降りていると、三階の廊下の奥から悲鳴が届く。


 何があったのかと思うのと同時に、その声が雫のものだと気付いて焦った。


 そのまま廊下を進むと、その先には、大きな岩のかたまりが――いた。


 俺の前には雫の後ろ姿があり、そのさらに先、廊下の突き当たりに、その大岩はいた。


 直径で二メートルぐらいの丸い大岩は、どこからどうやって現れたのかも分からないし、学校の廊下にはとてつもなく不釣ふつり合いだった。


 岩がそこにあるだけなら、恐怖までは感じなかっただろう。


 しかし、大岩の最も不自然な所は、その表面が呼吸でもするかのように上下にうごめいている所だ。廊下の床は、大岩が動く毎にみしみしときしんでおり、岩の自重で凹んでいく。


 廊下は傾斜けいしゃになっているわけでもないのに、大岩は好き勝手な方向にゆっくりと移動していて、それは間違いなく〝あった〟のではなく、意思を持って〝いる〟ように見えた。


「なんだよ!? あれ!!」


 俺が叫ぶように言うと、目の前の雫があとずさりしながらつぶやく。


「……私の、せいだ」


 聞き間違いではないと思う。


 しかし、それがどういう意味なのか分からない。


 そして、目の前の大岩は、俺達の声に反応してびくりと震えた。


 現実には有り得ない大岩の存在を、俺はどこかで見たことがあるような気がしたが、それをどこで見たのかは思い出せない。


 大岩はじりじりと向きを変え、不意にこちらを向き、前触れもなく――爆発を起こすように粉塵ふんじんをまき散らしながら、急加速した。


 一直線に雫へと転がってくる。


 俺の視線の先で、恐怖からだろうか? 雫はそのまま立ち尽くしていた。


「雫っ!!」


 俺は咄嗟とっさに雫の手首を握り、力任せに階段の方へと引っ張る。


 大岩が横切るその瞬間、風を切る音を俺は確かに聞いた。


 次の瞬間、衝突音が廊下に響き渡った。


 目を開くと、どうにか俺は雫を引き寄せられていて、間一髪かんいっぱつのところで大岩を避けることができていた。しかし、引っ張った勢いを殺すことはできなくて、俺は雫を抱き寄せたまま廊下に倒れこんでいる。


 勢いを殺せなかったのは大岩も同じで、大岩は隣の教室へと突っ込んだようだった。


 大岩の通った道筋は直線状にえぐり取られていて、先ほど脱げたのだろう雫の上履うわばきが、潰れてぺちゃんこになっている。


「……どうして?」


 雫のつぶやきは、大岩の突っ込んだ教室からの騒音でき消えた。


 ぶつかり、くだけ、押しつぶす音が止んだと思ったのもつか〝ぎゅるるるるるるる〟という謎の甲高い音が響いている。


 俺は立ち上がり、その方向へ視線を向け、恐怖で顔が引きつった。


 大岩のぶつかった教室の扉は消失し、教室の入り口には丸く大きな穴が開いている。飛び散る粉塵と、窓枠や扉であったのだろう木の破片はへんが視界の隅々に転がっていた。廊下と教室をへだてる薄い壁はひしゃげており、廊下側にあったはずの窓ガラスは等しく粉々に砕けている。


 教室の中はもっと酷い。


 並べられていたのだろう机は至る所に散乱していて、散らばる破片は元々が何だったのか分からないほど潰れ、削られ、破壊され尽くしている。


 嵐でも通ったかのような教室で、大岩が回転し続けていた。


 甲高い音の正体は、その場で回り続ける大岩が地面と擦れる摩擦音まさつおんだ。


 大岩の破壊力は、まるで車の衝突事故に似ていると思った。


 凹む床を見れば、大岩に見た目通りの質量があるのは間違いない。あんな速度で動く大岩にぶつかれば、無事では済まないだろう。


 その光景は、まるで現実だとは思えなかった。


「雫、逃げるぞ」


 俺は震える唇で、なんとか言葉を作る。


 大岩は回転を続けているし、またこちらに転がってくるかも知れない。


「どうして?」


 しかし、雫は大岩の存在に気付いていないかのように、ぺたんと座りながら、俺の事を見上げていた。


「どうして、私を助けたの?」


「何を言ってんだ!?」


 雫の肩を掴む。


「お前は死にたいのかよ!? いいから早く、ここから逃げ――」


「そいつは、死にたいのさ」


 それはねばつくような、気味の悪い声だった。


「この世界に生まれて、俺様は運がいい! こいつは面白いことになってきやがった! 今度は子供だましの偽物じゃない! 俺様は本当の意味で、ついに生きているんだっ!」


 その声が何を言っているのかは分からなかった。


 しかし、それよりも、その声の主が何者かに気づいて足がすくむ。


「お前、喋れるのか?」


「ああ、喋れるとも! 息もできるし、回転もできるし、全てを壊す力がある!」


 それに続く笑い声は、間違いなく、回転する大岩から発せられていた。


 大岩は回転しながら、節々から軋むような音を発し始めた。


 その音に合わせ、ある部分は凹み、伸び、折れ曲がって、形が徐々に変化していく。丸かった岩が展開して、最初に足が生え、腕が伸びる。


 それらがのたうち回るように教室の床にぶつかって回転を止めた。


 大岩だったソレは、地面に手をついて立ち上がる。


 ひび割れた岩肌のままだったけれど、それは人のように四肢があり、その顔の口に当たる場所には割け目が空洞のように広がり、不気味に笑い続けている。


 最後にその顔がびくりと震え、二対の眼球がぎょろりと生まれた。


 その爛々らんらんと輝く眼球が、俺を真っすぐに見つめている。


 身長は三メートルに近く、天井に手を張って窮屈きゅうくつそうにかがんだその姿は、教室の惨状と合わせて、まるで錯視でも見ているような違和感を放つ。


「お前は――」


 人型に変身した大岩を見て、俺はようやく思い出した。


隕石魔人いんせきまじん?」

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