第6話 昼休み事件


 次の日の朝、俺は昇降口で待ち伏せしていたしずくと挨拶をした。


 雫は国際情勢について話し始め、俺は生返事しかできなかった。それは北の武装や軍事演習をとがめる政府の対応策なんてもんが俺には思いつかなかったからだ。


 それに、雫が本当に国際情勢について話したいと考えているとも思えなかった。


 雫は、本当は何を話したかったのだろう?


 そんな俺の疑問が晴れたのは、その日の昼休みだった。




 四限目を生き延びて昼休みが始まってすぐ。


 俺が普段通りに食堂へ行こうと立ち上がると、昨日のように雫が現れて机の前に立っていた。


「何か、用?」


 雫は昨日と同じで、ずいっと近づいてくる。


「一緒にお昼を食べよう!」


「え?」


「恋人同士でご飯を食べるのは、当然でしょ?」


 雫の屈託くったくのない笑顔を見たのは、俺だけではなかった。


 そんな雫の手には、お弁当が二つ、可愛い巾着袋きんちゃくぶくろに包まれている。


 女子が男子の弁当を作ってくるなんてことが、普通なわけがなかった。


「……なになに?」


「おい、あれって?」


 昨日の夕方に目立たなかったのは、やはりまぐれだったらしい。


 ただでさえ美人で話題にことをかかない雫のことだ。


 そのざわめきは、さざ波のように広がっていく。


「おい! あの依代よりしろさんが男を誘ってるぞ?」


「二人はそういう関係なの?」


「いつから仲良くなったんだ?」


「俺たちの依代様をっ! あいつ――って、あいつの名前って何だっけ?」


 入学してから今まで、可愛いけれど特定のクラスメイトと仲良くしていなかった雫は、俺とは真逆で、やはりクラスメイトの注目の的だったのだ。


 そんな渦中かちゅうの人である雫は、周りを見渡して深呼吸すると、口を大きく開く。


「みんな、注目っ!!」


 大きな雫の声に、クラスメイト全員が口を閉じた。


「私とナルは恋人同士になったのっ!! だから、みんなは気にしなくて大丈夫だからっ!!」


 唖然あぜんとするクラスメイトと俺をしり目に、


「それじゃ、行こっか?」


「え?」


 雫は俺の手を掴むと歩き出した。


 俺は為す術もなく雫と教室から出て行く。


 廊下をずんずん進む雫を見続けて、ようやく俺の思考が戻ってくる。


「ちょ、ちょっと待ってくれ! さっきの何なんだよ!? お前、変だぞ!?」


 俺のあせり声に、雫はピタリと歩を止めた。


「……ごめんなさい」


 廊下の真ん中で振り返って、手を離す。


 手を離してから、雫の手が小さくて柔らかかったな、なんて、変態じみた感想が浮かんで俺は首を振る。そんなことを考えている場合じゃない。


「俺は雫みたいに容姿が整っているわけじゃないし、平穏へいおん無事ぶじに暮らしてたいだけなんだよ。目立たなければ厄介やっかいごとに関わらないで済むだろ?」


 そこまで言って、すでに厄介ごとに巻き込まれているとも思ったが、その傷口はまだ浅い。今ならまだ、適当な理由をでっちあげて地味な生徒に戻れるはずだ。


「俺は今まで、目立たないように生きてきた。それが俺の処世術しょせいじゅつで、俺はそれなりに生きてこれたんだ。俺はその、それなりで十分なの。だから――」


「私だって、好きで目立ってる訳じゃない!」


 雫はまっすぐに俺を見つめていた。


「私は目立ちたいと思ったことなんてない! でも、いつも誰からか見られてる。だから、ナルみたいに地味で空気のように生きる方法は分からないよ!」


「……俺ってそんなに存在感ない?」


「え? ナルって素で教室の風景に溶け込んでいるの? コノハムシも真っ青な擬態ぎたいだし……誉め言葉を言ったつもりだったんだけれど、ごめんなさい」


 て、天然か?


「……謝られると、それはそれで心に刺さるからやめてくれ」


「そう? なら話を戻すわね?」


 雫はこほんとせきをして、


「私は誰にも迷惑をかけたくないだけ。でも、周りの男子はちょっかいをかけてくるし、気の強い女子は私に嫌がらせをしてくる。私から誰かに手を出そうとなんて一度もしてないっていうのに、逆に、どうして? どうして私を放っておいてくれないの?」


 俺はそこで、周りの生徒たちが奇異きい眼差まなざしでこちらを見ているのに気付いた。


 今は昼休みで、廊下には他の生徒もたくさんいる。


 雫の容姿は、何をしていても――いや、それどころか、何をしていなくても、周りの目を集めてしまうらしい。でも、それは仕方のないことだとも思う。もしも俺が周りの生徒と同じ立場なら、同じように視線を向けただろう。


「悪かった」


 俺は考えたこともなかったけれど、地味な俺とは真逆だけれど、当たり前のように、美人にも美人としての悩みがあるのだと、初めて知った。


「俺は雫のことを悪く言いたいわけじゃないんだ。まずはここから離れよう。どこに行くつもりだったんだ?」


「……視聴覚室」


「視聴覚室に何かあるのか?」


「何もないから行くの。一緒にお昼食べるなら、誰もいない所の方がいいでしょ?」


 雫の表情は、すでに笑顔に戻っていた。


 それを可愛いと思ってしまう自分が、心の底から情けない。

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