第4話 依代 雫


 今だって、そうだった。


 俺は大人の力を借りることしかできなかった。


 だからこそ、うちの担任が船頭せんどう先生で良かったと思う。正義の味方はこの世にいなくても、相談に乗ってくれる大人は意外と存在する。


 ただの学生にしか過ぎない俺に、これ以上の落としどころなどあるものか。


 でも、本当に、


「今の俺って卑怯ひきょうだよなぁ」


「そんなことない」


 俺が顔を上げると、そこには黒髪の女子生徒がいた。


 彼女は肩までかかるセミロングの髪に包まれた小顔の持ち主で、鼻筋はなすじが通っていて、ひとみは当たり前のようにぱっちりとした二重ふたえ


 その作り物のように整った顔がこちらを覗き込んでいて、俺は眉を寄せた。


 俺と目が合うと、彼女はにこりと笑顔を作る。


 まるで自分の笑顔が可愛い事を知っているかのような、百点満点の笑顔だった。


 しゃくさわるが、その笑顔を間近まじかで見た男子高校生は、八割ぐらいの確率で恋に落ちるだろう。俺が選ばれし二割の者で良かったぜ。


 彼女の顔にも、俺は見覚えがある。


 彼女も俺と同じクラスメイトの一人で、名前は確か、依代よりしろしずく


 クラスメイトの名前をすべて覚えているわけではなかったけれど、学年屈指がくねんくっしの美少女である依代の名前は、隣のクラスの男子でも知っている。


 依代はクラスの中心というよりかは大人しく過ごすタイプの女子で、いつも静かに自分の席で読書をしている姿が常だったから、面と向かって話すのはこれが初めてだった。


「同じクラスの、東條とうじょうナル君、よね?」


 依代は、俺の名前を知っていたらしい。


 嘘か本当かは知らないが、依代は前回の期末テストで学年トップだったらしい。


 頭が良い奴は、俺と違って人の名前を覚えるのが得意なのかも知れない。


「……依代さん、何か用?」


 依代は少し悩んで、


「雫って下の名前で呼んで! だから、私もナルって呼んでいい?」


 そう問いかけてくる。


 俺はそれにまた眉を寄せる。


 中学までの友達とはあだ名で呼び合うこともあったけれど、それ以外は苗字で呼び合うのが普通だったし、下の名前で呼ばれるのは、大抵が鈴木とか伊藤とか、苗字のかぶる奴が同じクラスにいた時だけだった。もしかすると、それは地域的ちいきてきなものだったのか? 高校生になると、下の名前で呼び合うことは普通なのか?


「いいけど」


「いいけど、何? 嫌?」


 食い気味に詰め寄ってくる依代に面食らう。


 何が目的なんだ?


「じゃあ……雫さん、何か用?」


「あの、ナル? 唐突とうとつで悪いんだけれど、私と、その――付き合ってくれない?」


「ツキ、アウ?」


 異国の言葉かと思った。


 俺の思考が停止している間に、雫は早口で続ける。


「そのままの意味よ。私はナルのことが好きで、好きな人とは交際したいと思うものでしょ? だから、私はナルと交際したい。分かりやすい三段論法さんだんろんぽうよ?」


 何を言っているのか、いまいち理解できなかった。


 俺には今まで誰かと付き合った経験なんてなかったし、そういうバラ色の学生生活は都市伝説だと思っていた。まさか俺の学生生活にそんなビッグイベントが訪れるなんて――目の前で宣言されて、ダメ押しのように説明された今ですら、現実味がない。


「……相手を間違えてないか? その、本当に俺と付き合いたいのか? 学年一の美人が、この俺と? なんでだよ? どう考えたって他に相応ふさわしい男がいるだろ?」


 雫はその言葉に、小首を傾げる。


 それだけで絵になるほど綺麗なのは反則だと思う。


「迷惑なのはわかるわ。でも、私は勇気を振り絞って告白したの。私の気持ちは本物で、その答えを聞かせてほしいんだけど?」


 雫の揺れる瞳は、吸い込まれそうなほど魅力的だった。


 しかし、だからこそ、俺はそれを信じられなかった。


「……罰ゲームとか?」


 懐疑的かいぎてきな言葉に、雫は首を振る。


「ずっと、見てたの」


 どきりと、する。


 見てた、というのは、やはり、先ほどの、


「まるで正義の味方みたいだった。私、正義の味方が好きなの」


〝正義の味方が好き〟という言葉に困惑するが、それよりも先に訂正すべきことがある。


「俺は正義の味方じゃない。そもそも、俺は告げ口しただけだろ?」


 その時、昇降口が賑やかになった。


 何事かと視線を向ければ、金髪頭の不良である坂口さかぐちの耳を、船頭先生が引っ張っていた。


 船頭先生は鬼の首でも取ったかのように満面の笑みでそのまま廊下を進み、二人そろって生徒指導室へと消えた。


「船頭先生の方が、正義の味方に見えない?」


 俺の言葉に、雫は改めて笑った。


「正義の味方に強さは大事よね。で、どっちなの? ナルは私と付き合ってくれるの?」


 すまねぇ。


 さっきの俺よ。


 俺は一般的な、八割に含まれる男子学生だったらしい。

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