第一章 ☆ きらっと参上でしょ♪ ☆

第2話 正義の味方がいれば良かったのに


 この世に、正義の味方がいれば良かったのに。


 俺がそんなことを考えていたのは、俺の目の前に、とても分かりやすい悪がいたからだ。


 それは昼休みが始まってすぐのこと。


 その時、俺は食堂へ昼食のメロンパンを買いに行こうとしていた。


 保健室の横を通り過ぎ、学生食堂と校舎を繋ぐ渡り廊下を歩いていた、その端っこ。


「……そんなこと、してません」


 ひそかに聞こえた声に顔を向けると、一人の男子生徒が、校舎と食堂の間で、三人の不良学生にからまれていた。


 おびえる男子生徒は背が低い。

 

 シャツやズボンもしっかりと折り目が付いている生真面目きまじめそうな見た目で、その男子生徒を俺は知っていた。同じクラスの瀧本たきもとだ。俺は人の名前を覚えるのが苦手だけれど、瀧本とは席が隣同士だったから何度か話したこともある。


 瀧本に絡んでいる不良は瀧本と同じぐらいに背が低く、金髪に染めた髪を逆立てていた。


「俺が嘘つきだって言いてぇのかッ!?」


 不良は怒鳴り声をあげて手に持ったジュース缶を投げ捨てる。


 それは渡り廊下の屋根を支える支柱に当たり、金属音を鳴り響かせた。


 その音を聞いて、瀧本だけでなく俺の背筋も縮こまる。


「あーあ、坂口さかぐちさんを怒らせた罪はつぐわないとなぁ?」


 後ろにひかえたひょろりと背の高い不良が口を出した。


 いかる金髪頭の不良は、坂口という名前らしい。


「お前らも見てたよな? こいつが俺につばを飛ばしたのをよぉ?」


 坂口の言葉に、背の高い不良と太った不良がうなずき合う。


「見てた見てた」


「やって良い事と悪い事がありますよねぇ?」


 口をそろえて言うが、背後からでもその口元が楽しそうにねじ曲がっているのが想像できた。恐らく金髪の不良、坂口が三人組のリーダーなのだろう。


「こんな服なんて着てられっかよ! クリーニング代もらわねぇと割に合わねぇなぁ!」


「えっ?」


 怪しい雲行きの会話に瀧本がつぶやくが、


「何ガンたれてんだッ! このヤロウッ!?」


 それすらも坂口は許さなかった。


「まぁまぁ、坂口さん。とりあえず落ち着いて裏で話し合いましょう?」


 太った不良に笑顔で言われ、瀧本は肩を組まれてしまう。


 逃げ場を失った瀧本は、されるがまま食堂の裏へと連れ去られていく。


 ――そんな光景を、俺は見てしまっていた。


 この後の行動に正解があるのなら、関わらない事が正しいに決まっていた。


 理由なら星の数ほど思いつく。


 まず、俺が助けに入ったところで、三人を相手に勝てるはずがない。逆恨みされて嫌がらせを受けるかもしれないし、そもそも、他に目撃者がいないのだから、見過ごしたところで〝腰抜け〟と誰かに後ろ指をさされることもない。目の前で起きている事柄が悪だとして、それを見過ごすことは悪ではない……と思う。アフリカで一分間に何人の子供が餓死がししているのかを知ったところで、ただの学生にしか過ぎない俺が現実を変えらないのと同じだ。俺は、何も、悪い事はしていない。


 馬鹿みたいな数の言い訳を頭の中で考えていたくせに。


 連れていかれる瀧本と、目が合った。


 それは偶然ぐうぜんだったし、目が合ったと思ったのは俺だけだったかも知れない。


 しかし、俺はその目を見て、決めた。


 体を反転し、ゆっくりと渡り廊下を戻る。


 瀧本や不良達の視界から自分が見えない所まで歩き切ると、俺は全速力で走り出した。


 保健室を横目に通り過ぎて、昇降口から校舎へと入った。


 下駄箱の前に乱雑に並べられたスノコが音を立ててずれ、それに足を取られて転びそうになる。何とか踏みとどまったけれど、浮いたスノコからは大きな音が鳴り、食堂へ向かおうとしている生徒達に奇異きいを向けられた。でも、俺はお構いなしに一階の端――職員室へと走る。


「失礼しますっ!」


 急いで扉を開いたせいで、またしても大きな音が鳴って注目を浴びてしまった。


 俺は周囲を見渡し、ようやく目的の人物を見つける。


 俺の探していた人物は、俺のクラス担任であり、禿げ頭で背は低いけれど剣道部の顧問こもんで、二の腕の太さは俺のふとももよりも太くて、腕相撲では誰にも負けない事が自慢の三十六歳。そいつはみずからの机で新聞を広げたままふんぞり返って、自らがつまんでいる愛妻あいさい弁当を、隣の席の現国担当、佐藤さとう先生にこれでもかと自慢していた。


「あの、船頭せんどう先生っ!」


 俺が近づくと、側にいた佐藤先生は助かったとばかりに自らの弁当に向かって箸を向ける。


 口には出さないまでも、船頭先生が鬱陶うっとうしかったことははたからでも分かる。


「そんなに急いでどうした東條とうじょう? 殴り込みかぁ?」


 悠長な対応に困惑しながらも、俺は口早に話し始める。


「実は、瀧本君が、坂口とかいう不良に絡まれてて――」


 俺が話し終える前に、船頭先生は額に青筋を立てて立ち上がった。


「任せろぉおっ!」


 船頭先生は机の下から竹刀しないを取り出したかと思うと、太い腕を振り回しながら走っていく。


 そんな船頭先生の後姿を呆然あぜんとして眺めていたが、まだ肝心の場所を伝えてないことに気づいて追いかけた。


 しかし、見た目よりも船頭先生の足は速い。


 俺が職員室から出た頃には、船頭先生はすでに下駄箱の近くにいた。


「食堂の裏です! お願いします!」


 船頭先生は振り返ると、親指を立てて昇降口から出て行った。


 ……ひとまず、船頭先生に任せれば大丈夫だろう。


 俺は廊下の壁を背もたれにして息を整えた。


 まったく、情けない話だと思う。


 俺にはまるで力がない。部活も入っていないせいか、少し走っただけで息だって苦しい。もう少しで横腹が痛くなる気配すらある。


 でも、仕方ないだろ?


 この世には正義の味方なんていないし、俺は正義の味方にはなれない。


 それに気づいたのは、ずっと昔の事だ。

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