洗脳の解き方って、もっとこう、あるじゃないですか


 金属の擦れ遭う音が静かに響いた。

 二人の前に降り立つ黒甲冑。

 死神めいたフードマントに覆われて表情こそ窺えないが、その気配には覚えがあった。


「――――佃耕太郎」

 そう呟いたアナに向かって歩を進める黒い幽鬼。

 濃密な瘴気をメラメラと燻らせながら。

 一言も発することなく鉄靴を響かせる。


「……良い姿だ。貴様も傘下に加えてやろう」

 女吸血鬼はシルクのように滑らかな手を差し出した。

 まるでお手を求めるように。

 彼女の絶美を前にすれば、如何なる賢者とて只の子犬に成り下がる。


 それこそが『魅了』の力。

 一度掛かれば片恋の奴隷。魔獣とて例外ではない。

 むしろ理性の抑止がないだけ効果は絶大だ。

 接触の栄誉を賜れば、尻尾を振って応えるのは当然のこと。

 嫋やかな手は握りかえされ。


 ――――これでまた、下僕が一人。

 ふふ、と。尊大に緩みきった顔面に鉄拳がめり込んだ。



「――――んぎゅっ?!」

 もんどり打ってブッ倒れる吸血鬼。


「マリア様っ?!」藤林が駆け寄り、主人の鼻血を直ぐさま拭った。

「……なっ、なぜ効かんっ! 私の魅了チャームが……」

「天道の目が眩むものか。我輩には覚悟がある」

「ふざけるなっ。――――覚悟一つで乗り越えられる代物なら、この体質に労はなかった」


 後方に跳ぶ吸血鬼。黒甲冑の四方八方から杭が飛び出した。

 串刺しの影牢。

 次の瞬間、悲鳴を上げたのは吸血鬼の方だった。

 思い切り蹴飛ばされ、地面を跳ね転がる。


 間違いなく串刺しになるはずだった黒甲冑は、千の刺殺を置き去りにして、跳び蹴りを放ったのだ。

 スプリング化した脚部による超加速がそれを可能にしている。

 続け様、黒甲冑を追って放たれる尖杭。

 それらが貫くのは死神の残像だ。


 アナマリアはまともに立つことさえ許されない。

 攻城砲すら防ぐ闇の衣を纏っているにも関わらず、鉄靴の衝撃は、それを楽々貫通する。

 杭を束ねてバリケードを練る吸血鬼に対し、黒甲冑は方向転換。建物の壁を蹴り、自身を跳弾させてアナをった。


「マリア様ッ! お助けします!」

 放たれた魔力砲を最小限の動きで躱し、睨むと同時に打ちのめす。

 光線を遡上するように伸びたスプリング腕が、バチンッと戻る。

 一撃で昏倒する藤林に、死神は「邪魔をするな」とノイズを吐いた。



「くそっ、くそっ、くそ……っ! 体が完全ならば、貴様なぞ……っ」

「無辜の民を傷つけた罪。購って貰うぞ」

「……はははっ! 餌共の肩を持つのか、貴様も! そんなことをしたところで、奴らは感謝なぞせぬ!! ――――私を見ろ、この私を! 六百年! 六百年だ! 奴らのために同族狩りをしてやった! その成れの果てこれだ! 居場所を追われ、迫害され、僅かな幸せも許されない! ただ人外というだけで! もううんざりだ! 怯えながら暮らすのも、腹を空かし続けるのも! ……貴様とてそうだろう?!」

「誰に感謝されようとも思わない。……不条理の芽を摘むだけだ」

「……ここまで声を掛け、触れ合って、なぜ私に靡かない」

「悪が愛しいはずもなし」


 一撃一撃が即死級に重い蹴りを、何とかいなすアナマリア。

 躱した拍子に死神のフードを覗き込み、はたと気がついた。

「……そうか。思えば貴様、以前の私にも牙を剥いたな……。何のことはない。既に心を囚われているのだ。――――愛より深く、恋より熱く、遙か以前から、どこぞの誰かにッ!」

「なにをバカな……!」



「――――佃先輩ッ?!」

 繁華街と裏町の境目。

 チャイナドレスを纏った龍角の少女が、出会い頭に素っ頓狂な声を出した。

「芥川君!?」

「やっと会えた! 会えました! 探したんですよっ! もう、もう、もう……!」

「ま、待ちたまえっ! 今は危険だ!」


 制止の言葉に耳を貸さず駆け寄ってくる。

 頬を緩ませ、瞳いっぱいに涙を湛えて。

 どっ、と抱き付いてくる彼女を避けられない。

「この一月ひとつき、大変だったんです! 色々っ、色々ありました! 聞きなさい!」

「あとでな!」

「いまです!」

 甲冑にひしっとへばり付いて、引き剥がせない「あなたを助ける方法の話です!」


「――――ほう。それは興味深い」

 青年が返事をする前に、横合いから声が上がった。

「アナ、さん……?」

「いかんっ! 見るな!」

 篭手が視界を塞ぐより早く、稲妻が迸った。少女の体の内外に。

 強烈な雷撃に弾かれて転がる黒甲冑。

 白煙の向こう側、落雷を呼び寄せた龍神の瞳には、ハート型の光が宿っている。

「……アナさん。この人も仲間にしましょう」

「ああ、倒せたらな」


 龍の娘は「ふふふふふ」と暗い喜びを口ずさみ、雷撃球を周囲に浮かべた。

「正気に戻れっ! 芥川君!」

「それは私のセリフです!」

「我輩は正気である!」

「どこがですかッ! 瘴気プンプン滾らせてよくもまあ!」

「キミこそ何故アナマリアの味方をする!? 少し考えれば分かるはずだ! その矛盾に!」

「アナさんは友達ですッ!」


 雷撃がピシャリと地面を抉った。

 甲冑の回避先を予測して一気に距離を詰める少女。

 虎尾脚、回し蹴り、更に裏合擺脚、ギアを上げ続ける連脚は、小柄な体躯を補って余りある。脚をかち上げ、真っ白な紐パンを惜しげもなく晒す思い切りの良さに、フードの下は「ん゛ん゛」とやりづらそうにノイズを濁した。

 鎧を抉り削らん勢いの猛攻を受け続け、反撃はない。――――できないのだ。

 アナマリアはネオンに腰掛け、高みの見物を決め込む。

 打ち落とそうと拳を向けても、忽ち照子に阻まれてしまう。


「やめたまえっ! 芥川君!」

「やです! やめません! 降参してください!」

「キミを傷つけたくないんだ!」

「傷つけてないとでも思ってたんですかッ?!」

 黒甲冑は黙り込んだ。

「――――酷いですよっ! 魔宝使いになれば会えると思ったのに! 行くとこ全部に、あなたがいないっ! 探しても探してもっ! オカルトには首突っ込むくせに、どうして私には……! こんな偶然、ありえないっ! 私を、私のことを、わざと避けてたっていうなら……」

 激しい舞踊の中、潤んだ瞳から雫が舞う。

 ギッ、と強く歯を食いしばり。

「……今日という今日は逃がしませんっ!!」

 渾身の一撃を、天秤が刻まれた胸郭目掛けて叩き込んだ。

 まるで横薙ぎの雷撃。雷神槌ミョルニルと化した踵。

 黒甲冑は電磁砲弾の如く吹き飛んで、建物に風穴を開ける。


 瓦礫の中、ソファでくつろぐように尻餅を付く死神へ、少女は距離を詰めた。

「降参しますか? それとも、もっとビリビリしちゃいます?」

「分かったよ」

 黒甲冑がやれやれと両手を挙げる。「――――その稲妻のカラクリが」


 ジリジリと照っていた蛍光灯が、フッ、と消えた。

 室内だけではない。街灯やネオンも一斉に消え、街が暗闇に包まれる。

 途端、少女から炎の如く立ち昇っていた紫電が、酷く微弱になった。


「な、なんで……?」

「送電線を切らせて貰った」

 彼の言葉通り、周囲一帯の電線には大量の蝗が齧り付いている。

 そんな離れ業、少女には確認しようもないが、己の不利だけは理解できた。

 今の今まで体に流れ込んでいた電力がピタリと止まってしまったからだ。



「あれほど強力な電撃を、湯水の如く垂れ流し。全て発電していたのでは、魔力が幾らあっても足りない。……余所からもらっていたのだろう?」

「……ふん。わかったところで、耕太郎さんに何ができます? ……一発でも殴り返してごらんなさい? 思い切り泣いてやるんですから」

「無茶苦茶だな。悪い子のキミは」

 竜娘はべーっと、短い舌を思い切り突きだした。


「参ったって言うまで、イジめてあげます。――――電架推掌スタルチャージッ!」

 棒立ちの黒甲冑に対し、電撃掌底を叩き込む。

 電力が足りない。威力が足りない。当然効かない。


 ――――効かないのなら、効くまで打ち込めばいい。

 打ちのめして、痺れさせて、それから――――

 ……それから、何をするんでしたっけ?



 連打に次ぐ連打。その打撃が、不意に止まった。

 ぺちっ、と可愛らしい音がして、電撃すら流れない。

「……あれ?」

 あまりの手応えの無さに疑問符を浮かべる少女。

 そして体がやけにスースーする。元より風通しの良いデザインだけれど、これはどうにもおかしいぞ、と。

 自分の身体を見下ろして、そのままビクッと固まった。

 ――――ないのだ、なにも。身を隠す布地が一枚残らず。

 暗闇に浮く白絹の肌、正真正銘の素っ裸。


「きゃああっ?!」

 真っ赤になってへたり込む。

 沸騰したように湯気を放つ顔。栗色の髪も熱を孕んで膨らむ。

 零れそうな半身を片腕に抱き、ぎりりっ、とフードの下を睨んだ。

 龍の角は既に消えたが、また生えてきそうな剣幕だ。

 彼はそこから目を逸らし、摘まみ取った宝石を見せた。



 魔宝珠のない魔宝使いは、ただの人。変身が解けるのもまた自明。

「キミは何を着ても可愛らしいが――――。こんな服は似合わない」

「だっ、だからって! 脱がせることないでしょうっ?! このすけべ! 変態!」

 目には尚もハートの光。しかし全く動けない。

 洗脳に勝る感情が、少女の身を竦ませていた。

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