Ⅲ エリアと画家 (4)

 「何してたんだ、全く」


 集合時間に遅れてしまったエリアを待っていたのは不機嫌そうに睨みつけるシュラだった。エリアが遅刻してしまったのも要因の一つだろうが、シュラが苛立ちを見せている理由の本質は別の事にある、とエリアは知っていた。


 「収穫はなかった、んだね」


 そう言うと、シュラは舌打ちをしてから、小さく頷いた。


 「このままだと、ここでずっと足止めを食っちまう。一体どこにあるんだ、ルナフールは」


 焦りの色が強くなってきたシュラは尻尾をブンブン無意識のうちに振っていた。エリアはシュラの隣に座った。


 「あまり、根詰めない方が、いいんじゃないかな」


 エリアはシュラの目をしっかり見ながら言った。シュラは少し瞼を閉じてから言った。


 「ここら一帯を見やすくするために、燃やしたい気分だぜ」


 その言葉が本意ではないことは分かっていたが、それでもエリアは顔を引き攣らせた。


 「しないけどさ、流石に。でもしたくなる」


 シュラは瞼を開けて大地を見つめながらボソッと言った。


 「立ち止まっている暇はないんだ。早く次へ行きたいんだ」


 流石のシュラも憔悴し始めているようだった。今のシュラにこんな提案を持ちかけるのは気が引けたが、それでもエリアはシュラに声を掛けた。

 「シュラ、その……お願いがあるんだけれど」


 シュラは返事こそしなかったが、視線はエリアに向けた。それは話を促している合図だとエリアは受け取り、言葉を繋いだ。


 「明日から集合時間を、少し遅く出来ないかな?十時から、とか」

 両手の指を胸の前で交差させながらエリアは言った。


 「ああ、良いんじゃないか」


 シュラはどこか上の空でそう言った。



 「お邪魔します」


 仕事終わりに大通りに向かったエリアはそう言うと、ガルファンクのテントの中に入った。ガルファンクはいつも通りキャンバスに向かっていたが、エリアの声に振り向いては、少し呆れた顔をした。


 「まさか、本当に来るとはな」

 「来ると言ったら、来ます」


 エリアは、冷静に考えると自分が中々頑固な発言をしている、と思った。少なくとも、城でこんな発言をしようものならリアナに目の敵にされるであろうことは容易に想像出来る。これが良い変化なのかは分からないが、不思議と気分は良かった。


 「まあ、良いがな」


 幸い、ガルファンクは悪い感情を抱いたわけではなさそうだった。エリアは「失礼します」と言って、テントの中にある小さな木箱に座った。


 「しかし、なんだって俺のようなしがない絵描きの絵なんて見たがるんだ」


 少し小さめの声だったので独り言かと思ったが、どうやらエリアに向かって尋ねているようだった。エリアは少し間をおいてから答えた。


 「前にも、言ったと思います、けど」


 ガルファンクは小さく鼻で笑うと「物好きめ」と言った。その後もガルファンクは真っ直ぐキャンバスだけを眺めていた。エリアはふとガルファンクに尋ねた。


 「ガルファンクさんは、どうして画家になろうと?」


 ガルファンクはピタッと筆を止めた。そしてエリアの方に顔を向けた。


 「そんなこと聞いてどうするんだ」

 「どうって」


 本当に、何の気なしにである。エリアはそれだけ伝えるとガルファンクは腕を組んだ。


 「元々はファナージに仕える兵士だったんだ」


 意外な返答にエリアは目を丸くした。その後もガルファンクは続けた。


 「当時は徴兵令が厳しくてな、芸術の国なんて呼ばれるようになる前だから十年ほど前だな。まだ隣の国との硬直状態が続いていたので、兵役に力を注いでいた」


 そういえばサードレアンたち家族の食卓のなかで、大陸内の情勢について教えてくれたことがある。ファナージと隣国ゴルセイは兼ねてより戦争の危機をはらんでいたという話だったが、八年前に正式に和睦が成立したのでカーレス大陸は安泰の時世を迎えた、と言っていたはずだ。


 「ところが和睦なんてしちまったもんだから、兵士を必要としなくなっちまった。勿論国のために仕え続けるっていう道もあったが、俺は夢だった画家になるということに力を注いだ」

 「そう、だったんですか」


 エリアはガルファンクの話を聞いて、彼の絵に対する強い想いが作品に表われている、と思った。ビッシリと積まれている絵のどれもが、情熱に満ちていると思える。


 「お前さんの質問の答えとして相応しいかは知らんがな」


 ガルファンクは小さく声を立てて笑った。髭を蓄えた青年は少しだけ優しい瞳でキャンバスを見た。


 「こんな話をするなんて不思議だな。この町の奴には絶対にしないし、旅の人間だとしても、まともに口を聞こうとは思わん」


 エリアはガルファンクがそう言うのを聞いてほっこりした。不愛想なこの青年が少しだけ心を開いてくれたのが嬉しかった。


 「ガルファンクさんの作品はここにあるので全部ですか?」


 エリアがそう尋ねると、ガルファンクは首を横に振った。


 「いや、数年前から描いてきた絵が他の場所に保管してある。というかここは俺の店だから、厳密にはアトリエじゃない」


 やはり店だったのか、とエリアは思った。しかしアトリエではないというのはどういう事だろうか?考えるエリアにガルファンクは身体ごとエリアに向けて、声を掛けた。


 「来るか?俺のアトリエに」



 エリアとガルファンクは、大通りから二つほど道を離れたあまり派手ではない小屋にやってきた。中を見てみるとガルファンクの店よりもずっと沢山の絵がピッチリと規則的に並ばれている。ここがガルファンクのアトリエなのか、とエリアは思った。


 「ここでは絵を描かないんですか?」


 エリアが尋ねると、ガルファンクは肩をすくめて言った。


 「いい思い出ばかりじゃないからな」


 どこか遠くを見つめるガルファンクに、エリアはそれ以上を尋ねなかった。「失礼します」と言って、エリアは埃の被った絵を手に取って眺める。


 「あの、これは?」


 描かれていたのは、この世のものとは思えないような彩を放った世界であった。空の色は緑色で、絵の中に存在している動物も現実ではあり得ないような、翼の生えた馬や首が二つの狼だった。


 「俺は元々、空想したものを描く画家になりたかったんだ」


 ガルファンクは小屋の中にある椅子にドカッと座ると、脚を組んでエリアの問いに答えた。


 「空想を描く、というと」


 エリアはガルファンクの言葉がピン、と来ていなかった。ガルファンクは僅かに口角を上げながら立ち上がり、エリアに言った。


 「この世に存在しないものを、存在しない景色を、自分の想像したままに描くっていうことさ。先人たちは幻想的な世界を描く人もいれば、まがまがしい老婆を描く人もいた。他にも旅先で見た景色を、記憶を頼りに描く人もいる。大概は美化されるものだが」

 「想像で絵を描き上げるってことですよね。凄いなぁ」


 エリアは素直に感心して他の絵も眺め始めた。ガルファンクの絵はどこかエリアをポジティブな気持ちにさせてくれる。色の塗り方や、構図もエリアにとって好みだったのかもしれない。


 「でも、どうしてこれを売りには出さないんですか?」


 率直な疑問をエリアはガルファンクにぶつけてみた。こういった絵よりも、写実性にこだわった方が人々の琴線に触れるのだろうか。もしかしたら流行もあるのかもしれない、とエリアは思ったが、ガルファンクの返答は違うものだった。


 「いや、単純に俺の絵は誰も買ってはくれないんだ」


 ガルファンクは視線を落としながらエリアに言った。


 「どういうこと、ですか?」


 さっきから尋ねてばかりだ、とエリアは思った。しかしそれでも聞かずにはいられない。これだけ魅力的な絵だというのに、どうしてだろうと。ガルファンクは重い口を躊躇いがちに開いた。


 「アンタだから話せるが、俺はそもそもこの町にいる資格があるのかも分からないんだ」


 そう言って、一瞬口を閉ざした。言葉を選んでいるかのようだった。


 「簡単に言うと、俺は画家としてやってはいけないことをしたんだ」

 「やってはいけないこと……それって」


 エリアはガルファンクの目を見た。ガルファンクもその目をじっと見返していた。


 「盗作、だよ。俺は元々あるコンクールに出場したんだ。お題目は、理想の町、だったかな。そのコンクールの中で俺は見事優勝を果たしたんだ」


 スッと、ガルファンクが指差す先には、一枚の絵があった。おそらくこれがコンクールで優勝した時の絵なのだろう。確かに素晴らしい絵だ、とエリアは思った。人々の笑顔が美しく、町並みも優しさに満ちている。ユビルの町並みとも、サーファルド城下の町並みとも

全く違う。こんな町に住みたいというガルファンクの理想なのだろうと思った。


 「だが、俺がトロフィーを貰おうとした瞬間に、ある一人の画家が現れた。そいつはコンクールの予選で惜しくも脱落した、若手の画家だった。そいつはある絵を持ちながら、大きな声で言った。その絵は盗作だ。これを見てくれ、僕が先月描き上げた絵だ。構図も色合いも似ているだろう、と」


 すると、ガルファンクの絵を絶賛していた審査員たちは手のひらを返すように、盗作だ、画家の恥だ、と非難し始めた。コンクールに来ていた一般の見学者も同じように騒ぎ立てった、という。


 「やむなく俺は、皆の前で謝罪をした。優勝どころか、コンクールに出場する事すら難しくなった。この町での居場所がなくなった俺は、大通りの小さな一角でひっそりと、まだ売れそうな絵を描いている。下手に空想の絵を描こうものなら、破られるかもしれないからな」

 「それって……」


 今の話には重大な部分が抜け落ちていた。おそらく意図的にそうしているのだろうが、敢えてエリアはそこに踏み込んでみた。


 「本当に、盗作だったんですか?」


 ガルファンクはエリアを見た。その目には後悔の念がありありと見えた。


 「俺の絵は半年前から作り込んでいた。一筆一筆に全力を込め、色についても構図についても拘ったよ。そしてその若手の画家の描いた絵は一目見て分かった。せいぜい数日くらいしかかかっていない絵だと」

 「もしかして、それって本当に盗作したのは」


 そこまで言ったエリアをガルファンクは手で制した。


 「俺はそれを指摘出来なかった。ただ目の前に起きていることに驚いて飲み込まれちまったんだ」


 それ以降、ガルファンクは町の中で浮いた存在になってしまったようだった。そうであればオーサの言葉の濁し方も頷けるものがある、とエリアは思った。ガルファンクはエリアに背を向けて、窓際に立った。


 「空想画家のモットーは本物を描く、ということ。自分の中にあるビジョンを明確にして見る人に本物だと思わせること、なんだがな」


 エリアは重くなった空気に責任を感じ始めていた。少しだけ話題の方向性を変えようと思い、口を開いた。


 「ところで、結局ガルファンクさんが画家になろうと思ったきっかけって?」

 「ああ」


 ガルファンクは再度エリアに向き直った。少しだけ微笑んで言った。


 「空想画家になろうと思ったきっかけは、大好きな景色を自分が忘れないように、絵に残したいと思ったからだ。いつでも見られるように」

 「景色、ですか。とても好きな景色なんですね?」

 「とはいえ、ひと月に一度は見ることが出来るはずだがな。丁度明日なら見ることが可能なはずだ」

 「それは、どのような?」


 エリアはガルファンクに尋ねた。この青年がそこまで夢中になり、絵に残したいとまで思えるような景色に、興味を抱かないわけがなかった。


 「それは、月なんだ」


 ガルファンクは子どものように目を輝かせて言った。


 「それもただの月じゃないぞ、満月をさらに大きく美しく見ることが出来るんだ。本当に美しいんだ。俺は毎月それを見に行っているからな」


 鼻息を荒くするガルファンクは、説明をしたいのか、それとも自分の感想を話したいのか、入り混じっているようだった。エリアは少しだけ引き気味に聞いてみた。


 「え、と。つまりそれは?」

 「ああ、それは水面に映る月のことだ。不思議な事だが水面に映る満月はとても大きくクッキリと映るんだ。ここら辺の人は昔から、水鏡の月、なんて読んでいる」

 「水鏡の月……」


 エリアはその響きが何故か印象に残った。まるで、パズルの最後のピースが埋まりそうだった。


 (もしかして……?)


 エリアは一人頷くと、納得した面持ちをガルファンクに見せた。ガルファンクはキョトンとした表情を見せた。


 「ガルファンクさんは、明日それを見に行かれるん、ですか」

 「ああ、その予定だが」

 「私も見に行きたい、です。場所を伺っても良いですか?」

 ガルファンクは、奥の部屋に行ってから、地図を取り、広げて言った。

 「ここ、この泉がそれだ。場所はここからだと……」

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