Ⅱ 忌み子と竜 (3)
ゴォッと炎を吐き出すと、すぐにエリアお手製の焚火が出来上がった。パチパチと火花を散らしながら、赤い炎が燃え盛っている。エリアはすぐに、串に刺した魚を一本ずつ丁寧に火の傍に置いて行った。
「少し待てば出来上がり、ですね」
「ああ」
シュラは腕を組みながら、自分の吐き出した炎によって生まれた目の前の焚火をじっと眺めていた。エリアもしっとりと焚火を見つめている。料理の経験など皆無なエリアだったが、折角の焼き魚なので、丁度いい焼き加減を見極めたい、と思っていた。
「正直なところ」
不意にシュラが口を開いたので、一瞬エリアは「え」と驚きの声を上げた。すぐに取り繕うと、シュラが言葉を続けた。
「お前がこんなふうに何かを準備してくれるなんて思ってもみなかった」
「私が、ですか」
シュラはコクリ、と頷いた。
「別にそれがなくても問題は何もなかったが、思ったよりもこうして早く飯にありつけるは、段取りしていたからだろうな」
腕を組みながら空を仰ぐシュラにとって、その言葉は不器用な感謝の言葉だった。しかしエリアにはその言葉の真意を読み取ることが出来ず、気を使われてしまっているのかもしれない、という思いが生まれていた。
「その、シュラのためにっていうわけでは」
「……そりゃ、そうだな」
「でも、その……自分がなにをした方が良いのか、すべきなのかというのは、考えてました。それが良い方向に向かったのであれば、良かった、のかな?」
自分が何を言いたいのか、言っているのかエリアは理解が出来ていなかった。折角生まれかけた会話を途切れさせるわけにはいかない、と思ったからだ。しかしエリアの思いに反して、この会話は完全に途切れてしまった。
「エリア、焼き加減を見た方が良いんじゃないのか」
ポツリ、とシュラが言い放った言葉に釣られて串刺しの魚を見ると、確かにちょうどいい焼き加減になっていた。グツグツと音を立てて、鱗が割けて中から美味しそうなぷりぷりの身が見えている。
「わっ」
慌てて串を二本取ると、次の串を火に近付けた。取った魚のうち一本をシュラに差し出した。
「……召し上がれ」
「ああ、どうも」
差し出された串を片手に持つと、その大きな口をあんぐりと開けて、骨ごと噛み砕き一回の咀嚼でほぼ半分ほどが無くなっていた。
「うまいな。良く焼けてる」
そう言ってシュラはエリアの方を見たが、エリアは無心で目の前の魚を頬張っており、おそらく今のシュラの言葉は聞こえていなさそうだった。
「……大分腹が減っていたみたいだな?」
シュラが少し声のボリュームを上げてそう言うと、エリアは口を止めてゴクリと飲み込んでから口を開いた。
「はい」
エリアは顔を逸らしたままそう答えた。シュラは「そうか」と言い、会話は途絶えた。少ししてから、今度はエリアが口を開いた。
「竜って普段どんなものを好んで食べるんですか」
「食い物?」
シュラは意外な質問に思わず聞き返した。エリアは、そう、と首を縦に振った。
「どんな、ねえ。この前一夜だけ過ごしただろ。基本的にはアレと変わりはしないな。まあ、あの時は数段グレードが高かったが。基本的にはその日の狩りの当番や、里住みの特に若い奴が里の外に行って、イノシシやらウサギやらを適当に捕まえて食ったり、果物を探したりだな」
「なるほど」
特に意味があって聞いたわけではないが、今までで一番長く続いた会話かもしれない、とエリアは思った。そしてシュラがその会話を続けてくれた。
「お前たち人間のように、料理するなんて考えがないからな」
エリアは頷いた。そしてついでに、と同じく食べ物についての話題を振った。
「嫌いな食べ物とかはあるんですか」
「そればっかりは個人差があるから一概には言えないけれど。俺が今まで食べたことがある中で、一番まずかったのは」
エリアはその次の言葉を待った。すぐにシュラは「やっぱり」と前置きをしてから言った。
「人間、だな」
エリアは一瞬耳を疑った。あまりにもショッキングなことを、平然と目の前の赤い竜は言い放ったからだ。わなわなと震える口から、エリアは今のが聞き間違いであることを祈って尋ねた。
「今、なんて言いましたか」
シュラは、特に何もなかったのかのように、あっけらかんと答えた。
「人間だって。お前たちだよ」
エリアは思わず後ずさった。シュラもそれに気づいたようで視線をエリアに集中させる。
「確かに気に障るようなことを言ったかもしれないが」
シュラは身体をしっかりとエリアに向き直して静かに口を開いた。
「人間もどの魚が美味いとか、脂がのっているとか、色々な表現で好みを表現しているだろ?それと同じだ、人間はまずいんだぜ」
「そんな話はしていない!」
エリアは声を張り上げた。突然のエリアの姿は、昨日から知っていた気弱なエリアのそれとは全く違っていた。思わずシュラも言葉を失った程だった。
「私が、気にしているのはそんな……そんなことじゃない、です」
しかし、いつものようにドンドンか細い声に変わっていった。しかしその目には明らかに目の前の竜に対する怒りが満ち溢れていた。
「食べたってことは、殺したんですよね」
「……え?」
シュラは思わず黙ってしまった。今まで視線を合わせてこなかったエリアが鋭い視線を向けているからだ。
「そういうこと、でしょ……?イノシシやウサギと同じように、人間という生き物もその程度のものとしか、見ていないんでしょう」
エリアはふつふつと湧き上がる怒りを抑えられなかった。
厳密にはそれは怒りではなく「恐怖」だったのかもしれない。エリアは「誰か」の悪意によって命を狙われた、つまり殺されかけたのだ。ドルガが見つけてくれなければ、結果的に間違いなく殺されていただろう。エリアにとって「殺人」というものがもっとも理解しがたい理不尽として、まるで純白のドレスにトマトソースがついたかのように染み付いていた。
「あなたたち竜にとっては、狩りでしか、餌でしかないのかもしれないけれど」
「おい、エリア。少し落ち着け。多分お前は勘違いをしている」
「勘違い?」
エリアはシュラの言葉に耳を傾けようと、深呼吸をして心を少し落ち着かせた。そしてシュラの目を見た。
「勘違い、ですか?」
「ああ。そうだ」
「それは、どんな」
エリアは身体を前のめりにしてシュラに問い掛けた。シュラは少し躊躇いがちにエリアに話しかけた。
「俺は、人間を殺してはいない」
シュラはエリアから視線を逸らした。
「少し情けない話になるが、構わないか」
「納得出来る答え、あるんですか」
シュラは「さあな」とだけ言った。
「数年前、俺がまだガキだった頃に、狩りの一環として里の外に出たんだ。夜も更けていたから、イノシシらも寝ていて、狩りは大分楽だった。そうして獲物を探していた時、ふと見つけたんだ。横たわっているそれを」
シュラは一呼吸を置いた。エリアもシュラの次の言葉を待った。
「それは人間の死体だった。死んでから間もないようで、まだ肌に艶があった。どうやらめったに現れない野犬か何かに襲われたらしい。ふと、俺は思った。人間はかつて俺たち竜と行動を共にしてきたというが、人間を食べたことがある竜はいるのか、とな。今思えば、あの時の俺は好奇心に打ち勝てない子どもだったんだ」
シュラは顔を歪めた。
「それは食えたモンじゃなかったぜ。脂の味がやたらと目立つくせに、その脂も全然質が良くない。肉の張りも悪くてぐにょぐにょしていた。何よりも純粋に味が悪かった。思わず俺は吐き出したんだ」
エリアは少し胃がムカムカするのを覚えた。想像したら気持ちが悪くなってきたのだ。
「そして俺は二度と人間なんて食うものか、と心に誓ったんだ。とにかくお前の勘違いに対する答えがこれだ」
「死んでいたから、食べたってこと、ですか」
結局それじゃあ、何も変わらないではないか、とエリアは思った。
「所詮その程度の、認識であることは変わらないんですね。それじゃ人間と竜の共存なんて……不可能だったわけ、だよ」
エリアの声は尻すぼみに小さくなっていき、後半はシュラの耳には入らなかった。しかしシュラはまたエリアに向けて言葉を発した。
「俺が一番悔しかったのはそのあとだ」
「その、あと?」
シュラは空を仰いだ。
「人間が不味い、という話を同年代の仲間にした。皆に気を付けろよ、と言葉も添えて。しかし返ってきたのは大きな笑い声だった。皆は知っていたんだ。人間が不味いものだということを」
エリアはその言葉に顔を引き攣らせた。
「シュラ以外にも、人間を貪った、竜が?」
エリアの中にあった人と竜の伝説に対する憧れが音を立てて倒壊していく。やはり分かり合う事は不可能なのだろうか、と思った時、シュラはふるふると首を振った。
「そうじゃない、皆聞いていたんだ。自分の父親から、狩りを始める前のアドバイスの一つとして、人間に関わってはならないことと同時に、食べてはならないことを。理由は自分が食べて不味かったからだと教わったから、と皆が笑って言った」
シュラは自分の握り拳に力を込める。鋭い爪が刺さって拳から血が滴っているのをエリアは見逃さなかった。
「俺には、教えてくれる親父なんていないんだ」
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