194 森の中は蟲だらけ


 日が出ているにも関わらず薄暗いアラスカの森で、アメリカ支部『解放の使者リバティブリンガー』のジムとデイブは静かにうずくまっていた。


 大きな木を背にし、身を縮こませる二人は、満身創痍。

 一体ですら高位異能者と張り合う人型殻獣の群れから、奇跡的にも逃れたとはいえ、彼らはいまだ森から出ることすら叶わなかった。


 荒い息を吐き出したい衝動を抑えて、二人とも息を潜める。


「……なあおい、ジム、生きてるか?」

「ああ。まだ生きてる。なんとかな。さて、どうしたものか……」

「あそこまで強ぇとは聞いてねえぞ……」

「……別個体とはいえ『トイボックス』に『ヘラクレス』ですら負けた相手だ。逃げられただけ御の字だろ」


 額からだらだらと汗を流しながらデイブを嗜めるジムの耳に、通信機のノイズが走る。


『……聞こえますか? 聞こえたら返答を、LB-1』


 続く女性オペレーターからの通信。通信連絡というよりは、祈りのような声色だった。


「あぁ、聞こえる。LB-1、LB-2、共になんとか生きてる。奴らを撒いて、隠れているところだ」

『……よかった。タブレットは持っていますか?』

「すまんが紛失した。あんなもん持ってちゃ逃げきれなかった」

『構いません。では、太陽の向きはわかりますか?』

「ああ。かろうじて分かる」

『では、西へ移動してください』

「移動……撤退か?」

『いえ』


 撤退を否定したオペレーターは、一呼吸置くと言葉を続ける。


『間も無く『デイブレイク』の『葬儀屋』が作戦地域に到着し、防衛に加わります』

「やっと、か……」


 『葬儀屋アンダーテイカー』が、合流する。


 その言葉に、ジムは大きく息を吐き出した。

 本来であれば『葬儀屋』は防衛戦ができるまで上陸しないはずだった。強力な異能者が助けに来てくれているというのはありがたい限りだが、作戦内容を曲げ、ハイエンドを出さなければいけないほど逼迫しているということだ。


 その情報は、自分たちだけでない『アンノウン』全体の惨状を想像させ、ジムは安堵と共に胃に重いものを感じた。


『防衛線を作り、集結し反撃を試みる予定です。なんとか、『葬儀屋』の後ろへ移動してください』

「了解、機を見て脱出する。移動を開始するので、今後は通信不要。通信終了オーバー

『……通信終了オーバー


 ぶつり、と通信が途切れ、再度木々の擦れ合う音があたりを支配する。

 ジムは通信を切ると、半笑いでデイブへと視線をやった。


「だ、そうだ」

「防御特化のハイエンドの防衛線。世界で一番安全なんじゃないか?」

「はは、そうだな。これでダメなら、もうおしまいだ」


 二人は、お互い笑いあう。しかし、その笑い声は、心の底からのものではなかった。

 ジムは決意したように、デイブへと真剣な表情を向ける。


「だが……俺は無理だ。デイブ、お前だけで行け」

「いや、お前も――」

「デイブ。分かってるだろ。……流石に、足一本じゃ走れねぇよ」


 ジムは、自分の右脚の付け根を手のひらで叩く。彼の右脚は、付け根から先が存在しなかった。


 ジムは人型殻獣との戦闘の際、彼の右脚を『もぎ取られ』たのだ。


 布を当て、上からベルトをきつく巻いて止血をしているものの、生死に関わる大怪我。

 平気そうに振る舞いながらも痛みから冷や汗を流し続けるジムの言葉に対し、デイブは首を振る。


「だめだ。隊長命令だろうと、お前を置いて行けねぇよ。一刻も早く治療を――」

「しっ」


 説得するデイブの言葉を、ジムは遮る。

 問答無用のつもりかとデイブは再度口を開こうとするが、ジムは無言のまま、森の奥を指さした。


 そこには、大きな節足を背中から生やした、幼い少女の人型殻獣の姿があった。

 一体だけだったが、重症のジムがいる今の状況では一体でも脅威すぎる。


 先ほどの戦闘では、なんとか振り払うことはできても、ろくにダメージを負わせることができなかったのだ。


「人型……! クソ、もう来やがったのか」


 小声で悪態をうつデイブへと、ジムは振り返る。


「俺が……突っ込む。お前は西へ走れ」

「ジム、止めろ。俺が行く。一匹ぐらいなら、多少は……」

「多少の足止めに意味なんかねぇよ。お前が死んだら、足一本の俺も死ぬ。

 単純計算だ。戦力が、1減るか、2減るか。どっちがより『適切』だ? ……お前だって分かるだろ」


 『解放の使者』の隊長としての、ジムの決断。

 真剣な表情、そして彼の言葉に含まれる『意志』に、デイブはすぐさま言葉を返すことができなかった。


「俺の足で、あいつらはしばらく……うっ……ぐ……」


 ジムは話しながら、自分の右足を失った時のことを思い出し、胃から酸い物が込み上げる。

 しかしそれでも、言葉を止めなかった。


「飯の、時間になったろ? たぶん、俺一人ならもう少し『食事』に時間が……かかるだろうよ」

「お前……お前、自分で何言ってるか分かってんのか」


 怒りを伴うデイブの言葉に対し、ジムは苦笑いを浮かべて頷いた。


「……ああ。分かってるさ。つっても、できる限り暴れてやるがな」


 ジムは返答を待たずして、残った左足に力を込め、跳ぶ。

 デイブの視界から、一瞬にして彼の姿が消えた。


「ジムっ!」


 デイブは悲鳴に似た小声を漏らして振り返るが、ジムは既に『人型殻獣』に向けて肉薄していた。


 彼は『羽根』の意匠を持つ、遠距離攻撃を得意とする異能者だったが、その力が全く歯が立たないと分かっている今、彼にできることは武装の大剣で突貫し、その動きを止めることだけ。

 自身を鼓舞して恐怖を押し込めるための雄叫びを噛み殺し、ジムは人型殻獣の後頭部へ無言のまま大剣を振り下ろす。


 しかし、その刃は、人型殻獣の頭に届くことすらなかった。


「あぶないから、やめて?」


 人型殻獣は幼い女の声で呟く。

 彼の大剣は、振り向くことすらせぬ人型殻獣の背から生えた節足に、容易く掴まれていた。


「くそ!」


 ジムは勢いを殺しきれずに空中でバランスを崩し、大剣を手放して自由落下する。

 しかし、彼の身体が地面を転がるより先に、人型殻獣がもう一本の節足によって彼の体を受け止めた。


「離せ!」


 ジムは脇の下に差し込まれた節足を掴み、乱暴に殴りつける。

 しかし、その程度では人型殻獣の節足はびくともしなかった。


「離せ、クソ野郎が!」

「むり」


 余りにも落ち着き払った人型殻獣の声に、ジムの身体は恐怖から震える。

 しかしそれでも、諦めるわけにはいかない。無駄だと分かっていようとも、何度も何度も拳を振り下ろした。


 せめて、デイブが逃げ切るまでは、この人型殻獣の気を引き続けなければ。


『あーっ! いたー!』


 そんなジムの悪あがきも、森の奥からぞろぞろと現れる『新手』によって、無意なものへと変わる。

 子供の人型殻獣が、ぞろぞろと合流してきたのだ。


『えへへ! 捕まええてくれたのー?』

『ありがとー!』


 可愛らしい声色とは裏腹な、ぎらぎらとした大量の瞳に射抜かれ、ジムはびくりと体を震わせ、その動きを止めてしまった。


『ねーねー、それ、いっしょに食べよ? さっきの足は粉になっちゃって、食べれなくなっちゃったんだー』

「むり」

『えー? なんで?』


 人型殻獣の少年は首を傾げ、ジムも内心混乱する。

  先ほどは『仲良く』ジムの右足を喰っていたというのに、なぜかジムを捕まえた人型殻獣は、他の人型殻獣たちに彼を受け渡すことを拒んだのだ。


 ジムと、彼を掴む人型殻獣の周りを、他の人型殻獣たちが取り囲む。


 その間も、ジムを掴んだ人型殻獣は一歩も動かずに金色の瞳で周りを静かに観察していた。


『ね! いいでしょ? ちょーだい?』


 群れの一体が、持ち上げられたままのジムに対して手を伸ばす。


「あげるわけない。だめ」


 少女の返答とともに「ぱしゃん」と、水音を伴った破裂音が森の中に響いた。


『え?』


 周りで様子を窺っていた人型殻獣の一体が、呆けた声を上げる。

 水音は、人型殻獣が掴んでいた大剣が、迫る一体の頭を吹き飛ばした音だった。


 頭部を吹き飛ばされた人型殻獣は、緑色の噴水を撒き散らし、ガクガクと体を痙攣させながらジムへと手を伸ばし続ける。


「きもちわるい!」


 少女は大剣を再度振るい、頭部を失った一体を森の奥へと殴り飛ばした。


 急な『同士討ち』に、ジムも、周りの人型殻獣たちも混乱する。


『……きみ……オマエ、ナニヲシタ?』

『ドウイウツモリダ?』

『ナカマジャ、ナイナ?』


 人型殻獣たちの幼く可愛らしかった声が、不快で濁ったものへと変わる。

 喉奥からは、断続的に『ギギ』とくぐもった鳴き声が鳴り出していた。


(本性を表したか……しかし、どうなってる?)


 混乱するジムとは裏腹に、彼を掴んだままの人型殻獣は、自信満々に可愛らしい声で宣誓した。


「わたしは、『くー』。にほんしぶ、とくと……と、とくむかん、だっ!」


 一瞬自分の階級の名前を忘れかけた人型殻獣――クーは、節足で掴んでいたジムの大剣を自慢げに、ぶん、と一振りしてポーズを決めた。


「日本支部、特務官……?」


 人型殻獣の口から出てきた、余りにも予想外の言葉に、ジムは目を丸くする。

 ジムの反応に気を良くしたのか、クーは笑顔を彼へと向けた。


「そう! とくむかん! しんやに、みんなをまもれっていわれたから、まもる! そういうやつのひと!」


 クーは「ね!」と節足で捕まえたままのジムに同意を求め、ジムは意味もわからぬまま「あ、あぁ」と生返事をした。

 彼女は振り向き、こちらを覗き見ていたデイブに対して手を振る。


「おくのひとー!」

「え!? あ……」


 ジムと同様に混乱していたデイブに向かって、クーは弧を描くようにジムを放り投げる。

 デイブは驚きながらも、飛んできたジムを受け止めた。


「おっとと!?」

「デイブ、お前逃げてなかったのか!?」


 ジムは声を荒げるが、クーは彼らのやりとりを遮って大声をあげる。


「そのひと、かついで、はしって! しんやのとこへ!」

「あ、ああ! 分かった!」


 デイブは未だ状況を理解できないものの、一目散に走り出す。


『ギィィ……!』

『キィィィィ!』


 彼らを追おうとした人型殻獣たちとデイブの間へクーはひと跳びに移動し、立ちはだかった。


「いかせないよ?」


 せっかく追い込んだ獲物を逃がされ、邪魔をされた群れは、口々に『ギギ』『キィ!』と威嚇の声を上げる。


「ぷぷー! なくのは、こうやるんだよ?」


 クーは、威嚇する人型殻獣たちに向けて小馬鹿にした笑い声を上げ、大きく息を吸い込む。


『——キィィィィィィィイイイイィィィ!』


『キゥ!?』

『キ……ギッ……』


 クーの威嚇に群れは根源的な恐怖を覚えて後ずさり、完全に場を支配した彼女は、ゆっくりと舌なめずりをし、歯を見せて笑う。


「『たたかいごっこ』じゃないし、ひとあいてじゃないから、ぜんりょくでやっていいよね? つぎもあるから、さっさところしちゃおー」


 彼女は、異能者の位置を感じ取ることができる。

 そのことを知る真也に任された、『森の中にいる人を見つけ、避難を勧める』という仕事は、まだ始まったばかりだ。


「おまえたちは、しんやのてき。だからしんじゃうんだ。ざんねんだね!」


 クーは金眼を大きく開くと、久々の闘争へと飛び込んでいった。

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