180 三戦目(上)


 マルテロは三度右手を上げた。


 上げた腕を振り下ろせば、3戦目が始まる。

 周囲の隊員たちも、そして総司令官であるホフマンも、この『3戦目』を楽しみにしている。


 しかし、マルテロはあまり気乗りしていなかった。


 マルテロは、彼らを導く側だ。だからこそ彼女は『真也の異能』についても、先んじて知っていた。

 『異能の確認』というこの文化は嫌いではない。マルテロもエンハンスドのみの異能者でありながら幾度かやったことはある。

 お互いの異能の戦術や鍛錬の結果を見せ合うのは、いい刺激になるのだ。


 しかし、今回の模擬戦は『差がありすぎて』、茶番でしかない。

 マルテロは右手を上げたまま、サイードへと視線をやった。


「……本当に、やるのか」

「勿論であります」

「……そうか」


 真也の正体について、マルテロは口に出す権利を『今は』持っていない。マルテロができることは、右腕を振り下ろしてこの戦いを『終わらせる』ことだけだ。


 なるべく穏便に済む様にと祈りながら、マルテロは右腕を振り下ろした。


「『異能実演』、はじ——!」

「ウルァァッ!」


 マルテロの掛け声が終わるか終わらぬかの間際にサイードは素手のまま駆け出す。


 『歪み』の異能は空間に位相のズレを作り出すための空間把握とイマジネーションが必要な異能である。

 サイードはそのイメージを、左右の拳の位置と指の開き具合で把握していた。


 異能を扱うために徒手空拳で戦うが、戦闘力、破壊力は『アンノウン』でも相当上位に入る、巨躯の男。


 そんな男を迎え撃つのは、独特な構えのまま、じっと佇む少年。


「ふッ」


 真也は短く息を吐き出すと同時に首に巻き付けた腕を引き、槍を大きく振るう。


 ぐるりと真也の周りを一回転しながら、槍はそのリーチを伸ばし、横なぎにサイードへと肉薄する。

 ひゅぉん、と気の抜けたような音と共に、瞬く間に槍の穂先がサイードの眼前へと現れた。


(ハッ! 速えぇなァ! なんだ『ヤレ』んじゃねえか、猫被りやがって!)


 サイードは内心驚きながらも、笑みを強くする。


 気弱で女の尻に敷かれそうな男と同じ人物とは思えない一閃。

 想定外ではあるものの、サイードに『壊しがい』を感じさせるものだった。


 真也の横なぎの間合いにサイードは止まることなく踏み込み、自分の右側に空間の歪みを生み出す。


 空間のズレに巻き込まれ、ぱきゅ、と空気の歪む音を鳴らして槍の穂先は真二つに割れた。


「ザコがァ!」


 サイードは足を止めることなく、飛び込むように左の拳を突き出す。

 一見ただの左ストレートだが、その実、拳の周りには薄く『歪み』を潜ませていた。


 サイードが普段使う強さからは数段落ちるが、それでもオーバードすら一撃で戦闘不能にし、専用の異能のオーバードによる治療でも、後遺症として傷跡が残るほどのものだ。


(明日からはぐしゃぐしゃの顔で過ごしな! 女たらし!)


 みるみると左手は真也の顔へと吸い込まれ、興奮から、サイードの体感時間が引き延ばされていく。


 拳に纏った『歪み』が真也の顔につくかつかぬかの間際、彼の口がゆっくりと動く。


「異能を使うなんて……本気で『やる』つもりだったのか」


 目の前の少年がそう呟いたように、サイードには感じられた。



 暗転。



「ッ!?」


 サイードは頬に金属質の冷たさを感じ、驚いて目を開く。


(俺が……寝てる?)


 急な状態の変化に、肉体も、頭も追いつかない。

 そんな中でも、サイードは本能的に地面に横たわったままではまずいと察し、混乱しながらも地面を押して跳び上がる。


(一体、なにが起きた?)


 つい今し方、忌々しい『女たらし』の顔をぐしゃぐしゃにするところだったはず。


 サイードは『煙』異能かと一瞬勘ぐるが、日本支部の隊長、『映画監督』は『煙』だったと記憶していた。

 一部隊に二人も同じ意匠の戦術異能者がいるとは考えづらい。


 なぜ自分は横たわっていたのか、『女たらし』はどうなったのか。


 まだ少々混乱しているものの、一度考えをリセットする。

 それと同時に、サイードは硬質の地面へと着地した。


(ここは、発着場だ。ってことは、まだ模擬戦の途中!)


 サイードは視線を上げ、真也の姿を確認しようと周囲を見渡す。

 なぜか自分を取り囲む隊員たちが、皆一様に固まって、一点を見つめていた。


 サイードはつられるように、彼らの見つめる方へと視線を移す。


 そこにあったのは、空に浮いた『黒い棺』だった。


「なンだ……?」


 いまや国疫軍人ならば……そうでなくともニュースをチェックする人間であれば、一度は目にした『異能』。


(なんだったか、あの棺は……どこかで見た……)


 しかし、それが目の前に現れると、意味が分からず、理解が遅れる。


「起きましたか。『手加減』はしたんですが、怪我はないですか」


 サイードが『黒い棺』がなにであったか思い出すより早く、棺のそばに立つ真也がサイードへと声をかけてきた。


 こちらを心配するというよりも、事実を確認するかのような言い様。

 しかし、いずれにせよ『戦闘中』の相手にかけるような言葉ではない。


「……あ?」

「た、隊長! 大丈夫ですか! どこか痛いところは!?」


 疑問の声を上げるサイードへと、後ろからイスマイルが声をかけてくる。

 こちらを心配する様なイスマイルの言葉に、サイードは眉をしかめた。


「は? なに、言って……?」

「隊長は、さっき、そいつにノされたんです! 黒い棺で! 『葬儀屋アンダーテイカー』の異能で!」


(は? ノされた? 俺は、攻撃を受けた……のか?)


 イスマイルの言葉によって、サイードの肉体が記憶を取り戻したかのように痛みを訴える。

 脇腹に走る鈍い痛みと、急に熱を発する頭部。そして、サイードの額を、ぬめる何かが流れていった。


「う、ん……?」


 サイードが不快感から額を触ると、指には赤い血がへばりついた。

 頭からの出血を認めたイスマイルは、顔面蒼白でサイードへと駆け寄る。


「今治療します!」

「なにしてる、まだ終わってねぇ」


 サイードは、異能を発現しようとするイスマイルを手で押し、自分から離れさせた。


(まだアイツがピンピンしてるっつーのに、こいつはなにをしようとしてンだ?)


 サイードに押しのけられながら、イスマイルは声を上げる。


「隊長、隊長はもう負けました! 異能の板で殴りつけられて、さっきまで意識を失ってたんです!」

「は? なに、言って……? 俺は、あいつの顔を、壊すところだったはず……」

「記憶が混濁してる!?

 す、すぐに治療します。今から中速治療を行います! 治療の際に——」

「離せイスマイル。引っ込んでろ」

「隊長!? もうやめて下さい! 『葬儀屋アンダーテイカー』相手に……ハイエンド相手に勝てるわけなんかない!」


 サイードはイスマイルの手を払いのけ、乱暴に後ろへと追いやる。

 痛む頭を手で抑えて真也へと向き合い、再度異能を発現させる。


「俺は降参してねぇ。勝利宣言も聞いてねぇ。まだ終わってねぇ。

 『葬儀屋』だと? ふざけんな……そんなの、ありえねぇ。あり得るわけねぇ!」


 目の前の『真也女たらし』が、『葬儀屋ハイエンド』である。


 そんなことは、サイードにとってあり得ないことだった。


 サイードにとって、『葬儀屋』という男が『13人目のハイエンド』などというのは、信用にたらぬ情報なのだ。


 世界に12人しか存在しないはずのハイエンドの、13人目。


 12人と定まっているからこそ、サイードはハイエンドとして『選ばれなかった』ことに納得していたのだ。

 であるのに関わらず現れた、13人目のハイエンドである『葬儀屋』の存在は、もとより気に食わなかった。


 それだけでも腹立たしいというのに、しかも、それが目の前にいる、意味もなく生きてそうな『女たらし』だというのは、あまりにもサイードにとって不都合がすぎた。


 サイードの、意匠の刻まれた顔が怒りから紅潮する。


「くそが! 負けてねぇぞ! 俺は降参してねぇ!

 まだだ、まだ……俺の方が強え。俺が正しい、俺は間違わねぇ……」


 怒りで頭に血が上り、どくどくと多量に流れ出る血を手で押さえながら、サイードは呟いた。


 サイードは『選ばれるべき人間』こそが異能を得るものだと信じていた。

 そして、『選ばれるのは自分』であると、信じていた。


 それを否定する存在を、認めるわけにはいかなかい。

 だからこそ、自分が気づきもせぬうちに『負けた』など、受け入れられる訳がなかった。

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