164 真也の数少ない夏休みの予定 3/3


 アンノウンとしての作戦開始前日。

 長期間日本を離れることになるその前日は、デイブレイクのメンバー全員に休暇が与えられた。


 その休暇を利用し、真也はまひると共に夏休みの数少ない予定の最後のひとつを迎えていた。


 青々とした木々が茂り、セミの声が自分たちの春を謳歌するように鳴り響く。


 都内にしては自然があふれるそこは『青柳あおやぎ霊園』。

 都内最大級の、墓地である。


 手桶と花を手に、真也とまひるは石畳の上を歩いていく。


 まひるは、横を進む真也の迷いのない歩みから、一つの予想を立てた。


「お兄ちゃん」

「……なに? まひる」

「もしかして、お墓の場所いっしょかな?」

「……多分ね。そこを曲がった先でしょ?」

「うん……」


 真也が指さした先は、まひるの予想どおりの場所。

 こんなところまで一緒でなくても、とまひるは異世界との異様な一致に顔を曇らせた。


「やっぱ、ここだったんだね」

「うん」


 広大な霊園の一角に、『間宮家』の墓はあった。


 墓石の隣にある小さな墓誌の石板には、最近新たに入った『間宮真也』の名が刻まれており、石灰岩で組まれた墓は強い日差しの中、光を反射していた。


 この世界の間宮家の墓を見るのは初めてだったが、この世界の自分——シンヤが丁寧に弔われている事を知り、どこか安堵した。


 真也はここに来るのも初めてであったし、それ以前にシンヤの葬儀にも参加しなかった。


 参加した方が良いようにも思われたが、シンヤの当時の中学のクラスメイトたちも参列する中、亡くなった本人と瓜二つの人間が葬儀場にいるというのは、彼らを驚かすことになってしまう。

 同様の理由で、納骨——オーバードの場合、異能物質を墓に入れる——にも、参加できなかった。


 真也は折を見て墓に来ようとは思っていたが、なかなか踏ん切りがつかなかった。

 しかし、明日には日本を離れ、激戦に身を投じることになる。

 もともと夏休み中に来る予定ではあったが、真也にとっては別の意味で『重要な再会』となった。


 ピカピカとまではいかないものの、他の墓石と比べても綺麗に保たれている墓の様子に、真也は不甲斐なさを感じ、肩を落とす。


「まひる、ごめんね」

「なに?」

「ちゃんと、手入れされてるから。……まひるばっかに、任せちゃってたんだね」

「いいよ、そんな……」


 真也の礼の言葉に、まひるは返答をつまらせる。


 真也は、自分のことを家族だと思っている。

 まひるも、真也のことを世界で最も大切な家族だと思っているが、それ以上に『好きな男の人』だ。

 『普通』であれば好きな相手に自分の家の墓の面倒を見てもらおうというのは、『重い女』だと思われるだろう。


 まひると真也の関係性は『普通』とは少しばかりかけ離れている。かけ離れているからこそ、『普通』に戻したいからこそ、まひるは1人でこっそりと墓の管理をしていたのだ。


「俺だって、まひるの『おにいちゃん』なんだから」

「でも……」


 しかし、他ならぬ真也に真っ直ぐな瞳で見つめられたら、まひるは彼の好意を辞退することなどできなかった。


「ううん。ありがとう。今度は手伝ってね?」

「ああ、もちろん」

「さ、お掃除はじめよっか」


 まひるは手提げからタオルやスポンジを取り出すと、真也に渡した。手慣れた様子で柄杓を使い水を撒くと、墓を磨き始める。

 真也も遅れて清掃に参加し、まひるの指示に従って墓石を磨き、敷地内の生えかけてきた雑草をむしる。


 清掃もひと段落し、持参した花を挿す。綺麗になった墓をまひるは見つめる。

 そして、掃除の途中に心に浮かんだ疑問を口に出さずにはいられなかった。


「そういえば、その……」

「なんだい?」


 まひるが、どのように真也に聞けばいいかわからない中、真也はまひるの表情から、彼女の疑問を察する。


「ああ……前の世界の、お墓?」

「うん……」


 前の世界の、同じ場所に墓があると真也は言っていた。真也がこちらの世界に来てから、10ヶ月ほど経った。ならば、前の世界の墓は、いまどうなってしまっているのか。


 そこには、真也の世界の『自分』がいるはずだ。


 複雑な表情のまひるに対し、真也は優しく声をかける。


「清田さんが、掃除してくれてると思う」

「清田さん?」

「俺の後見人。父さんの職場の人だよ」

「へぇ……」


 真也は、まひるの反応に首を傾げる。


「こっちの世界では……知らない?」

「うーん。知らない。でも、後見人のひと? がいるってのはお兄ちゃんから聞いてた」

「そっか」


 やはり、この世界と前の世界では少し、差があるのだろうか。


 真也はそんなことを考えながら墓前に屈む。

 墓誌に刻まれた『間宮真也』の文字を再度眺め、凹凸を確かめるように文字を指でなぞる。


「もしかしたら、前の世界では俺もここにいることになってるのかな……ん?」


 真也の言葉を遮るように、屈んだ真也にまひるが抱きついてきた。


「……まひる? ごめんごめん。あんまり気持ちのいい話じゃなかったね」


 後頭部にまひるの重さを感じながら、真也は後ろから抱きついてくるまひるの腕をぽんぽん、とたたく。

 それでも真也の頭をぎゅっと抱きしめ続けるまひるは、絞り出すように、言葉を発した。


「前の世界で、お兄ちゃんがどうなってるかなんて……どうでもいいよ」

「え?」

「だって、お兄ちゃんは『ここ』にいるもん。まひるにとっては、それが『全部』」


 それが全部。


 まひるの真剣な声を受け、真也は首に回された腕を、優しく撫でた。




 2人は線香をあげ、墓に手を合わせる。

 しばしそのまま気持ちを整理し、先祖に対して挨拶を終わらせた。


「まひるね」


 まひるは合わせた手を下ろすと気持ちを切り替えるように鼻から大きく息を吸い込み、真也に向き直す。


「まひる、お兄ちゃんが居て、本当によかった。

 もし、お兄ちゃんが居なくて、南宿のバンで一人ぼっちになってたら……どうなっちゃってたんだろ、って、たまに思うの」


 小さく震えるまひるの頭に、真也は手のひらを乗せる。


「大丈夫。俺がいるよ」


 すぐさま返された真也の力強い言葉に、まひるは頬を赤らめ、はにかんだ。


「うん。……でも、やっぱり考えちゃうの。

 そしたら怖くて、眠れなくなっちゃったりして。……それでね、気づくの」


 まひるは自分の頭を撫でる手をとり、真也にぎゅっと抱きつく。


「お兄ちゃんは、本当にそうなっちゃったんだ、って」


 まひるは、一人になることの恐怖に耐えられなかった。

 その恐怖から救ってくれたのは、他ならぬ真也だったが、その真也は自分以上の『ひとり』になっている。


 家族だけではない。友人、故郷、その全てを失っている。


 まひるは真也の存在に救われた。

 ならば、まひるも真也を救えるはずだ。


「まひる、ずっとお兄ちゃんと一緒にいるからねっ」


 まひるは真也の身体を強く抱きしめ、胸板に顔を埋める。


「……ずっと?」

「ずぅっと!」


 真也の温もりと匂いに包まれ、頭上から、真也の笑い声が降ってくる。


 まひるは、それだけで幸せの全てを手に入れた気分になれた。


「ずぅっと一緒は、困るなぁ」


 真也の言葉に、まひるは驚いて顔を上げる。


「えっ!? なんで!?」

「そりゃ、いつか、まひるも結婚したりするでしょ」


 頬を赤くしながら、口を尖らせながらまひるは真也に告げる。


「それは……お兄ちゃんと結婚するもん。だから、大丈夫っ!」

「はっはっは、ありがとうなまひる。さ、帰ろうか」


 真也は笑いながらまひるの頭をひと撫ですると、手桶を持ち上げて先に歩み出す。

 一瞬で『冗談』だと断じられたまひるは、彼の背を追いかけながらてしてしと真也の背中を叩いた。


「もう……んもぅ!」




 少し心が晴れやかになった帰り道で、二人とすれ違う一団があった。


「……バンに巻き込まれて」

「なんで……これからだって言ってたのに……」


 暗い顔の一団の手には、骨壺があった。

 恐らくは、先日のバンで命を落とした被害者が、初七日を超えて納骨に来たのだろう。


 真也とまひるは端に寄って、彼らを先に通す。

 お互いに無言で会釈をし、真也はそのまま見送った。


 真也はこの世界に来た時、今まで何よりも守りたかった手の届く人を守る力を得た。その手をより広げるための、特務官という立場も得た。


 しかしそれでも、人は死んでしまう。


「俺の両手が届く距離は、なんて狭いんだろう」


 真也は自分の無力さを痛感し、頬に力がこもる。


「お兄ちゃん?」

「……ああ、ごめん。行こうか」


 真也はまひるに笑顔をを向けると、再び歩き出した。

 再び進み出した真也の腕をぎゅっと抱きしめ、くっつきながらまひるは歩く。


 そして、真也に聞こえぬように、しかしながら、確認するように想いを明確に口に出す。


「狭くていいよ。どんなに狭くても……まひるはちゃんと、お兄ちゃんの『手の届くトコ』に、いるからね」


 まひるは、決してこの幸せを逃すつもりはない。

 真也は多くの人の平和と、安全を願っている。しかし自分は……。


「ずっと、いるからね。ここに。だから……まひるをちゃんと、見ててね?」


 まひるは真也の腕に頬を擦り付ける。

 自分の居場所を確認するように、真也にその身を寄せて歩いた。

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