145 閑話:文化祭二日目、平常運転


 東雲学園の文化祭、その2日目は通常通り行われることとなった。


 一般人には知られていないとはいえ人型殻獣の乱入があり、校舎も一つ倒壊。

 しかし学園長の東雲志乃は『万全のセキュリティ』を用意し、学生たちの思い出を壊すことなく進めることを優先した。


 万全のセキュリティ、とは日本支部の正規軍人たちによる過剰ともいえる防衛線。

 そしてその支払いは初期防疫に名乗りを上げた『ロシア支部』持ちだった。倒壊した校舎の再建費も含めて。


 その代わり、白化したプロスペローの『破砕遺体』の一部をロシア支部に提供することで、話は滞りなく進んだのだった。


 そんな国同士、支部同士のやり取りを知らぬ真也はメイド服に身を包み、性別反転メイド喫茶、2日目の入場時間を待っていた。


「真也?」

「あ、ああ。ごめん、ボーッとしてた」


 ぼーっと窓の外を見つめる真也にレイラが声をかけ、真也は驚いたように返事をする。

 未だ昨日の衝撃的な結末から立ち直れていない真也の顔色は、暗い。


「あまり、抱え込まない」

「……そうだね」


 言葉と裏腹に眉が寄っている真也に、レイラは明るい声を出す。


「まずは、目前の任務に、集中、しよう?」

「任務?」

「売り上げ、コンテスト」

「いや、それって任務ってほどじゃ」

「クラス全員分の、夏休みの、予定、掛かってる。全力、尽くさないと」


 売り上げコンテストの賞品は、クラス全員分の遊園地のワンデーパスポート。

 その有無は、夏休みを楽しみにする学生たちにとっては大きなものだ。


 レイラは自分たちのやるべきことを提示することで彼の気分を入れ替えさせようと、ぐっと両手で握り拳を作る。


「がんばろ?」


 レイラの言葉に最終確認中の直樹が気付き、2人の元へとやってくる。


「そうだぞ間宮! それに、レオノワさんも押切も喜多見さんも!

 急に護衛任務で抜けられて、昨日の売り上げ、途中から下がったんだからな!」


 冗談まじりに4人を注意する直樹の言葉に、最初に反応したのは美咲。


「す、すいませぇん……うぅ……全然お役に立てなくてぇ……わ、わたしなんかぁ……」


 この世の終わりかとも思える美咲の悲痛な表情に、直樹は焦って両手を振る。


「あ、いやいやいや、そこまで凹まなくても! 任務優先なのはわかってるから!

 そ、そう! 間宮が悪いんだよ、ヤベー客が居なければ、そこでももっと稼げたわけだし!」

「五万で間宮を売った奴が何を。死ね」

「押切はもう、なんなの!? 最近俺にアタリ強すぎない!?」


 会話に突如参加してきた伊織の無碍むげな言葉に直樹は悲鳴を上げる。


「たしかに、真也を、商品にするのは、ない」

「俺はもうどうすりゃいいんだよ! なんかごめんね間宮!」


 レイラにすら叱責された直樹は、悲鳴まじりに真也に謝罪する。


「ふふっ、はははは」


 直樹の必死な様子、そしてクラスの他愛もない掛け合いに、真也の口から笑い声が溢れた。

 ほんの少し表情が柔らかくなった真也に、伊織は内心ほっとしながら会話の輪に真也を呼び込む。


「もう……間宮も笑ってないで、怒れよ!」

「もういいよ、伊織が怒ってくれたから」

「う……そう? まあ、間宮がいいならいいけどさ?」

「ありがと伊織」

「へへ」


 満足げに笑い合う美少女2人に男子陣がドキドキする中、姫梨がこっそりとレイラに近寄る。


「ねえねえ、レイラっち」

「何?」


 姫梨が何事かレイラへと耳打ちし、レイラは訝しむ。


「……本当に?」

「うん、絶対!」


 首を傾げながら、それでもレイラは真也に対して口を開く。


「真也」

「なに? レイラ」


 反応した真也の目の前に立つと、レイラは顎の下に握り拳を当て、首を少し傾げる。

 そのまま上目遣いに、一言。


「私、真也と、遊園地、行きたい。な?」

「そ、そう……そうだね! うん。頑張るよ! まずは、目先の任務に集中! だよね!」


 レイラのおねだりポーズに、真也は腕をぐるぐると回し、やる気を漲らせる。

 急に張り切り始めた真也の様子に、レイラは目を丸くした。


「え、うそ……」

「うん。なんだかんだ、男子はちょろいから」


 レイラは姫梨のアドバイス通り指定のポーズで言われた通りに喋っただけだたが、ここまで効果があるとは。


 好きな女の子に、遊園地に誘われる。それにやる気を出さない男はいない。

 姫梨の予想通りに……それ以上に、真也は単純だった。


「さあ、2日目開店するぞ! と、とにかく頑張ろうな!」

「葛城あとでぜってぇ殺す」

「もう勘弁してくれ!」


 相変わらず伊織に詰め寄られていた直樹の叫び声とともに、文化祭2日目、『性別反転メイド喫茶』は開店した。


 開店してすぐに、初日以上の客たちが押し寄せる。

 どの客もスマホとクラスメイトたちを交互に見て、伊織や真也、レイラの姿を遠巻きに見てはニヤニヤとしていた。

 SNSで拡散された美少女たち目当ての客により、チェキ販売も好調。そんな中、凱が不安そうに真也に声をかけてくる。


「なあ間宮。今日はあの子来ないのか? あの……ロシアの子」

「ああ、帰ったみたい」

「そっか、良かった……」


 人型殻獣についての報告のためロシア支部の面々は帰ることとなり、ソフィアもまた同様に帰った。

 レオノフとソフィアは最後まで頑として2日目の参加を希望し、上層部が動くことにすらなったがそれはまた別の話である。




 喫茶店が昼を過ぎて落ち着いてきた頃。

 真也は精神的な疲れから額に浮かんでくる汗をハンカチを叩いて拭う。

 初日に腕で擦ろうとし、水樹に『メイクが落ちる!』と怒られた経験が生かされた動きだった。


「ふう、もう一息だな……」


 真也と同じく、まもなく文化祭の店員としての役目を終える伊織とレイラが彼のそばへと歩み寄る。


「そうだね。これ終わったら、ボクは速攻で着替える」

「私も……動きやすい格好に、なりたい」

「えぇー、いおりんもレイラっちも脱いじゃうのぉ?」


 2人の言葉に、姫梨が残念そうに声を上げた。

 せっかくの美人が勿体無い、と不満そうに頬を膨らませる姫梨に、伊織はため息をつく。


「いや、本当は今すぐにでもジャージになりたいんだけど。……間宮もすぐ着替えるだろ?」

「んー、なんかちょっと楽しくなってきたかも」

「ま、まじか……」


 真也の意外な言葉に伊織はたじろぐ。

 今までの人生で周りから容姿を褒められてチヤホヤされることがあまりなかった真也は、次々にチェキを取られ、可愛いと言われることに少しずつ快感を覚え始めていたのだった。


 これは良くない、と伊織は口を挟もうとするが、それよりも早くレイラが会話に参加する。


「私は、いいと思う。似合ってるし」

「よーし、この後もこの格好で文化祭回ろっかな!」

「そう。私も、一緒に、回りたい」

「うん、うん! 回ろう!」

「えぇー……」


 力強く頷く真也に、伊織は肩を落とす。


「いいじゃん、伊織もその格好で一緒に回ろうよ。せっかくの文化祭なんだし」

「ま、間宮がそういうなら……」

「それに……その……」

「なに?」

「その格好、可愛いと思うし」


 『可愛いと思うし』。その言葉に伊織の脳が揺さぶられる。


「桐津さん、休憩前にメイク直してくれる?」

「もちろんいいよぉー? ふふっ」


 伊織の変わり身の速さに、姫梨は笑いを堪えて頷いた。


 平和な喫茶店のドアが、バァン! と爆音を立てて開く。


 大きな音に驚きながら、真也は客に向かって挨拶をしようと振り向く。


「え……お、おかえりなさい……ませ?」

「失礼します」


 教室に飛び込んできたのは、左腕に『生徒会』の腕章を付けた苗だった。

 その顔は、いつもの静かな表情でもなく、真也と共にいる時の優しい表情でもない。

 まるで軍務や選挙の時のような真剣な表情であり、その眼光の鋭さはどこか光一と似ていた。


 真也を一瞥した苗は、真剣な表情のまま喫茶店を見回すと口を開く。


「生徒会の九重です。事実確認のため来ました」

「は、はい、なんでしょうか先輩。あの、こちらへどうぞ……」


 不穏な空気を感じ取った直樹が、そそくさと苗へと近づきながら、客の少ない空間へと苗を連れて行く。


 客たちは一瞬驚いたものの、ゆっくりと喧騒が戻ってきた。


 場が落ち着いたことを確認すると、苗は着席し、直樹へと質問する。


「チェキ販売についてですが……100枚購入を行うことでメイドの貸し出しを行なっているというのは、本当ですか」


 それは、初日に行われたソフィアへの対応の内容。

 もともとチェキですら危うい内容なのに、『金銭を引き換えにメイド服を着た生徒を貸し出す』というのは公序良俗に反しているのは、明かだった。


「え、いや、それは……」

「そういった事実はあるのですか?」


 冷静で冷徹な言葉で詰め寄る苗に、直樹はたじろぐ。

 あの場ではそのように対処するのがベストだと思ったし、まさか生徒会の耳に入るとは思わなかった。


 しかし、現実には『副会長』が直々に事実確認に来ている。

 大ごとになってしまっては、クラスの出し物の中止、もしくはもっと大きな問題になるかもしれない。


 二人の会話に、真也は『まずいことになった』と近寄る。


「その、苗先輩……」

「真也さんは黙っていてください。私はこの事実を確認しにきたのです」

「う……はい」


 普段の苗とは全く違う声色に、真也は黙り込んでしまった。


「この店の代表者、『葛城直樹』さんは、貴方ですか」

「はい。お、俺、です……」


 観念し、項垂れる直樹の肩に苗の手が置かれる。


 もはやこれまでか、と直樹が視線を上げた先にあったのは、5枚の一万円札だった。


「これで、真也ちゃんのチェキ、100枚で」

「先輩!?」

「さあ! 100枚頼みましたけど! 回答はいかに!?」


 上半身を乗り出し、苗は直樹へと詰め寄る。



「え、すいません、無理です」



 直樹は、今度は紙幣を受け取ることすらしなかった。


「たりませんか! 時価ですか! 私、お金出しますけど!?」

「ちょちょちょ、ちょっと苗先輩、待ってください!」


 苗は、興奮からカッと目を見開き、直樹の両肩に手を置く。


「裏は取れてるんです! お金だってあります! 九重の情報力と財力を舐めないでいただきたい!」

「無駄にかっこいいっぽい宣言をやめていただきたいんですが! 全然かっこよくないです!」 


 悲鳴を上げながら真也は苗の体をゆするが、苗は直樹の肩に手を置いたまま、睨み続けた。


「なんでですか! なんでですか!」

「ひとり5枚までってルールがあるんですよ! ほ、ほら、書いてあるでしょ?」


 直樹は教室のホワイトボードに注意書きとして追加した一文を指差す。苦しい方法ではあるが、もし今日ソフィアが来た時のための予防策だった。


「……掲示期間が書かれていませんね」

「ぶ、文化祭にそんな厳密なルールありましたっけ!?」


 まさかの冷静な指摘に、直樹は悲鳴を上げる。


「苗先輩! そんなことしなくても、一緒に文化祭回りますからもう勘弁してくださいぃぃ!」


 真也の悲痛な叫びに、苗はゆっくりと直樹の肩から手を離す。


「仕方ありませんね……あとで一緒に回りましょうね、真也さん」

「は、はい」

「このことは、私の『勘違い』として処理しておきますので。今回だけですよ、葛城さん」

「はい! ありがとうございますぅっ!」


(よし、文化祭デートの言質は取れましたね)


 なんとかなった、と胸を撫で下ろす直樹と真也から見えないところで、苗はこっそりと邪悪な笑みを浮かべる。

 五万円を片付けた苗は、今度はぴったり2500円をテーブルに置く。


「じゃあ、とりあえず5枚で……木内さん!」

「はいお嬢様」


 苗の言葉から一切の間を開けず、執事の木内が返事をする。その手では明かに上等そうなカメラが光を返していた。


「うわ!? 木内さん!? い、いつのまに」

「全く気配が読めなかった……!」


 驚愕する2人を尻目に、苗は笑顔で立ち上がる。


「さあ、撮りましょう、真也さん? チェキを撮れば、同じ枚数カメラ撮影可、という情報は掴んでいます」

「は、はい……」


 どこからその情報を仕入れたのか不明だったが、これ以上苗に何か口答えするわけにもいかず、2人はチェキスペースへと移動する。

 木内はどこからともなくスタンドを取り出し、あっという間にカメラをセットした。

 いつのまにか待機していたスーツ姿の男性陣が照明器具まで持ち出し、写真スタジオのようになったホワイトボード前で真也は顔を引きつらせた。


「……もう少し、お二人とも近づいていただけますかな?」

「え、はい」

「肩に手を置く、というのはどうでしょうかお嬢様」

「うーん、肩に手、ですか……」

「いえ、お嬢様が椅子に腰かけられ、その肩に間宮様の手を置いて頂くのです。

 題するとすれば『深窓の令嬢を暖かく見守る姉的存在の幼なじみメイド』です」

「いいですね、木内さん! 完璧です!」


 木内の提案に、苗は大興奮でポニーテールを揺らす。


「副会長って、あんな人だったの……?」


 興奮気味の二人に、クラスメイトの一人がボソリと感想をこぼした。


 あっという間に5枚の撮影を終え、写真の出来を確認した苗がゴソゴソと財布を取り出す。


「ううん……もう5枚、追加してもいいですか?

 もっと、もっと真也さんを美しく写真に納めたいので」

「え、あ……はい。どうぞ」


 完全に空気に飲まれた直樹は口をあんぐりとさせながら、追加料金を受け取った。


「はっ! もしや……5枚を20回、という買い方が存在する……?」

「苗先輩……もういい加減にしてください……」


 真也は頭痛を覚えながら、眉間に手を当てる。

 文化祭二日目は、まだ半ば。彼の受難は、始まったばかり。


 売上コンテストの結果は、一位が『性別反転メイド喫茶』。二位は3ーA『屋台通り』であった。

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