143 『決意』の結果と『覚悟』の結末
「……誰だ」
真也の持ち上げた大鎌が振り下ろされることはなく、彼は呟く。
「其奴をお前に殺されるのは困る」
真也の言葉に返事したのは、レイラたちとの戦闘から離脱したペトルーキオだった。
プロスペローは恐怖から顔を歪めたまま、真也より一つ遅れて乱入者に気づく。
「ペトルーキオ! 来たか!」
「黙れ。
「ぐっ……」
歓声を上げるプロスペローに反してペトルーキオの言葉は冷徹なものだった。
「初めてお目にかかる、『なりすまし』。
我が名はペトルーキオ。お前が、間宮真也だな」
「お前に名乗る名前なんてない」
なりすましと呼ばれた真也は鎌をくるりを回すとペトルーキオに対して構える。
真也が自分の背後に立つペトルーキオに気がつけたのは、プロスペローに気づいたと同様に『人型殻獣』に対する感知の力によるものだ。
プロスペローを取り押さえていた棺のうち数枚が消え、真也のそばに浮遊する。
その身を取り押さえる棺の数が減ろうとも、プロスペローは
臨戦体制の真也にも、ペトルーキオはさして警戒することもなく言葉を続ける。
「名乗る名などない、か。なら、『なりすまし』と、引き続き呼ばせてもらおう」
なりすまし。この世界のシンヤが死に、代わりに来た自分をそう呼んでいるのか。
真也は静かな怒りを募らせながら、ペトルーキオの一挙手一投足に注目する。
「さてと、これの出番か」
ペトルーキオは呟きながらゆっくりと右手を開く。
真也は身構えるが、手の中にあったのは小瓶だった。
小瓶を見たプロスペローは、唾を撒き散らしながら叫ぶ。
「ペトルーキオ! さっさとそれを! 『ピュアブラッド』を寄越せ! それがあれば、私はまだ戦える!
あの方に、伝えなければならぬこともあるのだ!」
背後から聞こえるプロスペローの必死な声色に、真也は大鎌を強く握り直す。
ピュアブラッドとよばれた小瓶の中身が何かは分からないが、先ほどプロスペローが口走った『異能を強化する』何かである可能性が高い。
警戒する真也と必死なプロスペローを、ペトルーキオは短く鼻で笑う。
「『これ』は、お前のものではない。お前のものは、何もない」
短く告げると、ペトルーキオは小瓶を開け、その中身を一気にあおる。
次の瞬間、真也はこれまで感じたことのない『膨大な圧』を受け、驚きから声を上げる。
「お前……何をした!」
「さあ、仕事を果たさせてもらおう」
真也の言葉を無視し、ペトルーキオは軽く首を鳴らした。
「ギ」
次に真也の耳に届いたのは、短い断末魔。
自分の後ろから……足元から聞こえたその音に振り返る。
「え……?」
真也の口から、意図しない疑問の声が溢れる。
そこには、屈んだペトルーキオの姿。
そして、その拳は元々プロスペローの頭部があったはずの場所に置かれていた。
「な……」
真也が口を開こうとするが、それを堰き止めたのは一つ遅れての、爆風と轟音。
ペトルーキオのあまりにも速すぎる拳が振り下ろされたことに、世界が遅れて気付いたようだった。
「敗北に取り憑かれた者は、もう不要だ」
静かに立ち上がるペトルーキオは、元々の体躯よりも、もっと大きく真也の目に映った。
初めてこの世界に来た時に見たダンゴムシよりも、合宿地で見た女王よりも。
「さて、これで任務完了か。キャタリーナが無事だと良いが」
真也が呆けていると、ペトルーキオは手についた緑色の体液を振り落とし、真也に背を向けて歩き出す。
そこまで来て、真也は現状を把握した。
奴を……仇を、自分が倒さなければならなかった存在を、先に殺された。
「待て……待てッ!
あいつは、あいつだけは……絶対に、俺が! 俺がッ!」
叫ぶ真也に反応し、ペトルーキオが振り返る。
「……よく言う。先ほど偉そうに講釈を垂れていたが……手が震えていたぞ『なりすまし』。
その手で殺すのは、『初めて』だったのか?」
ペトルーキオの指摘に、真也は強く大鎌を握りなおす。
真也は決意を持ってプロスペローに鎌を振り上げた。間違いなく、奴の息の根を止めるつもりだった。
しかし、仇とはいえ『人の形をし、感情を持ち、喋る生き物』を殺すことに、心揺さぶられなかったかと言われれば、それは嘘になる。
真也の頬から垂れる冷や汗を、ペトルーキオは
「守るため。大層なことを言ったが、『殺す』方はまだまだだな。
まだ貴様は戦士ではない。……そんな者と、交える拳は持ち合わせていない。さらばだ」
ペトルーキオは吐き捨てると再度振り返り、歩き出す。
直後、彼の姿は掻き消えた。
「待て! くそ……『煙』か!」
真也は煙の異能を破るために、景色に注意する。
いまだどこにも揺らぎを見つけられなかったが、それでも逃すまいと棺の盾を発現した。
「逃すか! お前を! お前を『殺す』ッ!」
真也は叫び、棺の大盾に指示を出す。
しかし、彼の異能が自動で攻撃を始めることはなかった。
「なんで……なんで、攻撃を……ッ!」
口に出してから、自分で気づく。
この異能は、自分の『守りたい』と言う気持ちに呼応し、その実力を見せた。
真也の身を守ることも、殻獣を撃破することも、全て『自動』で行うこの盾が……攻撃をしない。
つまり、この異能は
真也が、『殺す』覚悟を、未だ出来ていなかったことを。
「そん……な……。違う、おれ、俺は、覚悟したはずなんだ!
もうあいつらに好きにはさせないって! そう……決めた……のに……」
不甲斐なさから、膝の力が抜けていく。
頭を砕かれ、無残に死したプロスペローの傍で、真也は膝から崩れ落ちる。
「なんでだ……なんで……おれは……」
俺は、仇を取ることすら、躊躇してしまったんだ。
衝撃と、後悔と、自己嫌悪と。自分を偽りきれなかった弱さと、自分を偽る必要のあった本心と。
その全てに愕然とし、ゴトリと大きな音を立てて真也の手から大鎌が落ちる。それすらも放置し、真也はただ地面を——何もない空間を見つめていた。
沈黙し、全て『終わってしまった』林の中に、ざざ、と風が吹いた。
「真也!」
ペトルーキオを追っていたレイラが、力なく
崩れ落ちた真也の姿を認めたレイラは彼の身を案じ、急ぎ駆け寄る。
そして彼の傍らに転がる死体を目にし、驚愕から口を開く。
「真也、これは……」
真也の側に横たわった頭を潰された死体。全身鎧のような甲殻、そして切断された翅に、レイラは見覚えがあった。
「殺したの? プロスペローを」
「いや……やられた。
……他の人型殻獣に、先を越された。あと、あと一歩だったのに。
この手を、振り下ろすだけだったのに……」
真也は、プロスペローの亡骸へと視線をやる。
死に気づかぬと言わんばかりに残った心臓の鼓動に合わせて首元から溢れ出る緑色の液体が、少しずつ地面を汚していく。
少しずつ、真也の周りに『嗅ぎ慣れてきた匂い』が広がっていった。
「ごめん、レイラ。仇、とれなかった。この世界の俺の、レイラの、友達、の……まひるの兄の、仇を……」
力ない真也の言葉を受け、レイラは屈む。
膝をつく真也の体を、ぎゅっと抱きしめた。
レイラは、真也が
「いいの」
「え……?」
急に耳元で発された言葉に、真也は固まる。
「真也は、それで、いい。戦えなくても。敵討ちなんて、いい。もう、終わった」
「それ……は……でも……」
「いいの。私が、戦う。ペトルーキオも、他のも、全部全部、私が、倒すから」
真也を抱きしめる腕に力が込められ、真也の身体が、レイラと密着する。
「だから、真也は、いまのままで、いて?」
真也を抱きしめるレイラの瞳に、静かな炎と薄暗い灯が宿る。
横たわるプロスペローの死体は他のオーバードと同様に少しずつ白化し、そして塵へと変じていった。
そんな様子を、遠い校舎の屋上からレンズ越しに見つめる少女の姿があった。
「あぁ……こうなっちゃいましたかぁ……」
屋上に設置された、高さ1mほどの仮設テントの下で大きな胸をクッションに寝そべる美咲は、この結末を嘆いていた。
彼女は苗の提案を受けた光一からの指示どおり、ひとり別の建物の屋上で待機し、全て見守っていたのだ。
周囲から見られない様に低めに作られた天幕の下には、異能で作られた大型のライフルが何台も並び、同様に美咲が作り出した望遠のカメラとその映像を映し出すモニターが並んでいた。
天幕の高さに合わせて、うつ伏せに寝そべりながらモニターを眺める美咲に、横から声がかかる。
「マスター、逃がしてよかったの?」
声を発したのは横で美咲と一緒に寝そべっていたサポート用のアンドロイドだった。
その声は、多くの人間が知る『トム』とは違う、若々しい青年の声だった。
青年の声に、美咲は胸の前で指を遊ばせながら口を尖らせる。
「こ、ここ攻撃していい判定じゃないですからぁ……」
彼女の受けた命令は、『一般人、国疫軍人、もしくは人型殻獣『クー』を攻撃してはいけない。
また、作戦範囲内で人類に被害を発生させていない者を攻撃してはいけない』というものだった。
それ以外は、美咲の判断において攻撃して良い。
明確な線引きのために定められたネガティブリストに照らし合わせるのであれば、ペトルーキオは攻撃可能ではない存在である。
ペトルーキオはプロスペローを殺したものの、そのあと真也や学園設備に攻撃をすることはなかったからだ。
また、美咲の作り出した探知機の反応によれば、煙の異能に紛れて学園を離れている。
ペトルーキオはレイラ達に攻撃し、校舎を破壊したが、それは美咲の『作戦範囲外』の話。
美咲の判断に、アンドロイドはわざとらしくため息をつく。
「はぁあ……人の指示ばっか」
アンドロイドからの反応に、美咲はあわあわと言い訳を続ける。
「しょ、しょうがないじゃないですかぁ。
わ、私が『判断する』ことは、お、大きな意味を伴うってぇ……」
「それ、エージェントさんの言葉まんまだよね?」
「ううぅ……そ、それに『あんなの』、いつでも殺せるからぁ……」
「……ま、そんな優柔不断なマスターも好きだから、俺もマスターの判断に従うよ」
「え、えへへぇ……」
トムとは違い、あまりにも馴れ馴れしいアンドロイドの言葉に、美咲は眉を下げながら笑い返した。
「でも、彼はこのままでよかったの?」
アンドロイドからの言葉を受け、美咲は困ったような表情を浮かべる。
「うぅん……ダメですよぉ……ちゃんと『殺せ』ないとぉ……。
ちょっと幻滅、ですぅ……」
「えー、俺のことも嫌いになる?」
甘ったるい声に、美咲は困惑の表情を強める。
「『ナイト』のことはぁ、好きも嫌いもないですよぉ?
……何言ってるんですかぁ?」
「そうだったね、ごめんごめん」
「ナイトはぁ、ただの人形なんですからぁ。ほ、本人と競っちゃ、め! ですよぉ」
美咲は可愛らしく頬を膨らませながら『ナイト』と名付けたアンドロイドへと注意する。
「大丈夫、俺は競おうなんて考えてないよ、ごめんね、マスター。さ、帰ろ?」
美咲を怒らせた事に、まるで恋人のように謝る彼は、美咲の言う『本人』と……『真也』とそっくりだった。
彼がよく見せる『困ったような笑顔』の出来に、美咲は満足そうに微笑む。
「そ、そうですねぇ。戻りましょうかぁ……ナイトも一度
「うん」
「ま、また、おうちに着いたら、出してあげますねぇ」
「うん、待ってる」
「帰ったら、女装のアタッチメント作ってあげますねぇ」
「うん。ありがと、マスター」
美咲が異能を解除すると、ナイトと共に周りに並んでいた機械類と天幕が消滅する。
屋上に一人残った美咲は上半身を起こして座り込むと、誰に言うでもなく呟く。
「あーあぁ、はやく間宮さんも、『こっち』の人になってくれないかなぁ……」
望遠カメラを利用していない今、彼女の目に真也の姿は見えていない。
「私を分かってくれるのは、貴方だけ。貴方を分かってあげられるのも、私だけなんですからぁ……」
見えていないはずではあるものの、熱を帯びる瞳は真也をじっと見つめていた。
====================================
第三章、了。
近況ノートにあとがきを掲載しました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます