132 襲来は襲来を引き連れて


 ふざけているとしか思えないメイク姿の直樹は、その格好と正反対に真剣な表情でソフィアと向き合う。


「一時間でどうだ」

「一日、ですわよね?」


 お互い一歩も引かずに睨み合う中、真也は冷や汗をかきながら、遠くから2人の様子を見守っていた。


「一時間だ」

 ……チェキ一枚にかける秒数は15秒。100枚と考えて1500秒だろ」

「でも、撮れないのでしょう?」

「ああ、そこまで一度に撮られてしまったら、フィルムがなくなって他のお客さんに迷惑がかかる」

「では、謝罪として一日中貸し出すべきではなくて?」

「だから、1500秒……25分の倍の時間、間宮を貸し出す。10分おまけまでつけてるだろ?

 それで、なんとかしてくれ。5枚まではチェキも撮ってもらって構わないから」


 ふたりは真剣な顔で、真也抜きで彼の今後を決める話し合いを進めていた。


 チェキ100枚。フィルムの数はなんとか足りる。足りるが、ソフィア1人で消費してしまっては、今後他の客が写真を撮れなくなってしまう。

 だからこそ直樹は、チェキを撮る代わりに真也を一時間貸し出す案を持ちかけた。

 売り上げも獲得しつつ、チェキの残数も確保。そして何より、ソフィアをこの喫茶店から引き離すことができる。

 しかしながら、1日の貸し出しとなると、真也を……喫茶店の目玉になりそうな『美少女』を失うことになる。


 そのため、直樹は『一時間の貸し出し』を提案し、ソフィアは『一日中の貸し出し』を希望し、話は完全に平行線だった。


 2人の話し合いの結論を待つ真也は、チェキを撮る時点で半分売り物にされていたが、今や本当に売り物の状態だった。


 ソフィアはため息を漏らすと、首を振る。


「……話になりませんわ」

「なら、この金は返す」

「一度受け取ったものを、そのまま返すだけで、これまでかかった時間も取り返せるとお思いで?」


 真也から見えぬように、完全にクレーマーの理論で小馬鹿にしたように笑うソフィア。対して直樹は、苦虫を潰したように顔を歪めた。


 真也は、このままでは直樹の分が悪そうだと2人に近寄る。


「……ソーニャ」

「はいっ!」


 小馬鹿にし、見下した表情だったソフィアは、一瞬にして満面の笑みへと変わる。


「どうしましたの? シンヤ様?」


 顔が引きつっている真也の様子にソフィア眉尻を下げ、心配そうに顔を覗き込む。

 先ほどまで悪質クレーマーとして直樹と向き合っていた少女と同じ人間とは思えぬ変わり身の速さだった。


「ソーニャ、あんまりわがまま、言わないで欲しい」

「……シンヤ様がそう言うなら……でも……ソーニャも、少しでも長くシンヤ様と居たくって」

「いや、でも、一日中って言われちゃったら、俺もクラスのみんなと過ごす時間がなくなっちゃうし」

「そう、ですわよね……シンヤ様も、文化祭を楽しまれたいというのに、わたくしったら……

 ごめんなさい、シンヤ様と一緒に居られると思ったら、わたくし、舞い上がってしまって」


 真也の言葉に、ソフィアの目尻には涙が滲み出る。顔を伏せながら、ごめんなさい、ごめんなさい、と呟き始めた。

 クラスメイトたちからの視線、そして、何か問題があったことを察する客の目線に、真也はあたふたと提案する。


「そ、ソーニャ。二時間でどう? 二時間、一緒に文化祭を回ろう?」

「はいそれで!」


 真也からの提案に、即座に飛びつく。目尻に浮かんだ涙は、まるで元からなかったかのように掻き消えていた。


 ルンルン気分で小躍りするソフィアを疲れた様子で眺める真也の肩を、直樹が叩く。


「……悪い、間宮」

「いやいいよ。これはもう……事故だから。俺の休憩がてら、ソーニャと文化祭まわってくるね」

「この礼は、絶対何かで返す」

「楽しみにしとく」


 真也は力なく直樹に笑いかけ、思い出したようにソフィアへと提案する。


「そうだ、ソーニャ。悪いんだけどさ……妹の演劇を見たいんだ。それに付き合ってくれる?」


 真也の言葉に、ソフィアは言葉を失ったように固まった。


「ソーニャ?」

「……シンヤ様……シンヤ様からデートコースの指定ですの!? 最高ですわ! 美少女シンヤ様とのデートがたったの五万円……これは、最高の買い物でしたわ! 妹様にもご挨拶ができて一挙両得ですわね!」

「いや、デートでは……」

「オイ、あんまり調子に乗るなよ、お嬢様」


 この騒動は、キッチンに隠れていた伊織の耳にもしっかりと届いていた。

 流石に見過ごせぬ、と出てきた伊織にソフィアは勝ち誇ったように笑いかける。


「あら、あなたは何時ぞやのウサギさんではないですか。貴方もメイド服を着てらっしゃるんですのね?」

「同じクラスだからな。当たり前だろ。お嬢様は頭がよろしくないようだな、アァ?」


 喧嘩腰の伊織に、ソフィアは笑いかける。


「流石はウサギさん。お似合いですわね? ……端女はしための格好がとてもよくお似合い」

「よし、死にてぇようだなお嬢様。表出ろ」


 騒がしい一団に、執事姿のレイラが気付く。

 一団の中にソフィアの姿を認めると、レイラは驚き、ソフィアに駆け寄った。


「ソフィア、だっけ」

「あら、『元』隊長様。お久しゅうございます」

「久しぶり。……なぜ、日本に?」

「シンヤ様に会いに。それ以上の理由がありまして?」


 胸を張って自信満々に言い切るソフィアの謎理論に、誰も反論できなかった。

 謎理論だが、この少女に限ってはその理論が成立しそうな気がした。


「……と、言いたいところですけれども、表向きは違います。要人警護、ですわ」


 要人警護、という言葉にレイラの眉がぴくりと動く。


「要人……警護……」


 嫌な予感が現実のものとして形作られていく恐怖から、レイラは教室の入り口を振り返る。

 そこには、ドアにもたれかかった青年がいた。先ほどまで誰もいなかったはずの場所に不意に現れた彼は、微笑みながらレイラに挨拶をしてくる。


「やあ。なかなかお洒落な格好だね、レーリャ」

「……ユーリィ。

 ユーリィまでいる……まさか、やっぱり……」


 ユーリィとソフィア。この2人が関係する事柄、ロシアの要人。レイラは追い詰められたような心持ちでユーリィを見つめる。


「まあ、警護と言っても僕らはおまけさ。どちらかというと、事情聴取の方がメインでね。他でもない、東雲学園の合宿での、女王捕獲についてさ。

 ちなみに、まさに今会議を終えられたレオノフ少将が正規軍人の護衛と共にこちらに向かってる」


 ユーリィから何気なく溢れでた『レオノフ少将』というワードに、レイラは膝から崩れ落ちる。


「う、そ……」

「あと30分で着くよ。ボクらは下見さ」


 思ったより時間が無い。レイラは大急ぎで立ち上がると直樹の肩を掴む。


「葛城! 休憩!」


 2人の会話を聞きそびれていた直樹は、急に近づいてきたレイラの顔に頬を赤らめる。


「え!? ど、どうしたのレオノワさん?」

「葛城、私も、休憩!」

「いいよいいよ! じゃあ今から10分くらい行く?」

「30分後に、何時間か!」

「何時間か……いやぁ、それは流石に……間宮も居なくなっちゃうし」


 真也がいなくなった状態で、現在割り振られている人数からレイラも外れるとなると店の回転にも関わる問題だった。


「ぐ、ぐぐぐ……奴め……なぜ、なぜ知って……」

「いや、東雲学園の文化祭は、普通にネットに情報出てるからね?」


 奥歯を噛みしめ、どうしようかと必死に頭を回すレイラに、ユーリイがとどめを刺した。


「レーリャ。もう諦めなよ」

「ぐぅぅぅ……」

「れ、レイラ……」


 ガックリと肩を落とすレイラに、真也が駆け寄るが、そんな真也をレイラは手のひらで制す。


「真也、行ってきて……」

「え?」

「この前、父と、話した、よね?」

「え? あ、立食パーティで」

「……それ以来、真也、目の敵に、されてるみたい」

「そんな……」


 真也は理由がわからなかったが、それでも、レイラの父親に嫌われているという現実に愕然とする。


 愕然とする真也を見て、ユーリイは静かにため息をこぼす。娘にあげた勲章をつけている男に対し、過保護なレオノフ少将がどうなるかなどロシア支部の2人からすれば火を見るよりも明らかだった。


「逃げて……ここは、私が、食い止める」

「あ、ちょ、ちょ、ちょっとレオノワさぁん!?」


 決意が固まった、と言わんばかりに床を強く踏み締めて立ち上がると、レイラは異能を発現しようと腕を伸ばす。

 そんなレイラに驚いて声をあげたのは美咲だった。

 学園内での無許可の異能発現は厳禁。しかも、文化祭で一般人が多い中でのレイラの蛮行に、美咲はわたわたと駆け寄る。


「奴は、一般人ではない。被害を、出さないため、一撃で貫く。緊急措置、合法」

「レオノワさぁん! 落ち着いてぇ! 言ってること、めめめ滅茶苦茶ですよぉ!!」

「めちゃくちゃではない。奴は、周囲の事、考えない。だから……やるしか、ないッ!」


 決意が固まったというより自棄になっていただけのレイラが正に杭を生み出すかという瞬間、その姿が掻き消える。


「これはまあ、見なかったことにしよう。こっちで説得しておくから」


 ぼそり、と呟くユーリィ。彼がこっそりと異能を発現し、レイラの存在を周りから感知できないようにしたのだ。

 あまりにも一瞬で行われた早技に、店内の客たちも気がつかなかった。


「ゆ、ユーリイさん」

「安心して。こう見えても、僕は彼女の幼なじみなんだ。うまく説得するさ」

「……レイラのお父さんが帰るまで、レイラを隠しておくことは出来ないんですか?」


 真也の提案に、何もない空間から『それだ!』という声が聞こえた気がした。

 ユーリイがそれを裏付けるように、誰もいない方向に苦笑いを作ってから返答する。


「それはね……僕もまだ死にたく無いから」


 すっ、と目から光が消えるユーリイに、真也はそれ以上説得する言葉を告げられなかった。


 どうしようかと迷う真也の腕がぎゅっと掴まれる。

 満面の笑みをうかべたソフィアが、これでもかと体を押し付けながら、真也の腕にまとわりついていた。


「さ、いきましょ、シンヤ様?」

「ちょっとこのままここを放置するのは……」

「二時間、ですわよね? 元隊長様のことなら、ユーリイに任せてわたくしたちは行きましょう? 演劇を観るのでしょう? わたくし、とっても楽しみです。文化的で、アットホームで」

「いや、その……」

「シンヤ様……わたくし、もう一度、あの男子と相談した方がよろしいかしら?」


 ずい、と近寄ってきたソフィアの感情の読み取れない瞳に、真也は黙って首を振った。

 レイラが混乱し、レオノフがやってくる。こんな状態で再度ソフィアの問題を白紙にされては、もうこのクラスが立て直すのは不可能に思えた。


「よし。と、とりあえず、ここを出よう。ソーニャ……」

「はいっ。もし少将にお会いしても、シンヤ様だと分からぬようにお手伝いしますわ!」

「う、うん。ありがとう」


 順調な滑り出しだったAクラス。その営業は、昼を前にして大きく躓いた。

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