127 衣装の買い出し


 日曜日。


 レイラと真也、そして、『衣装班』として名乗りを上げたAクラスのまる耳エボルブドの水樹は、秋ヶ原あきがはらのカフェで合流した。


 水樹はデコルテラインが大きく開いた淡いピンクのTシャツにロングスカート。彼女の持つ黒いショートボブとその上から生える黒い丸みみ、そして目につきやすい左手の『金槌』の意匠が強いアクセントとなっているため、シンプルな装いがマッチしていた。


 水色のチュニックにショートパンツのレイラは、金髪がさらさらと流れ、カフェに差し込む光と合わさりまるで春先のファッション特集の記事から飛び出してきたよう。


 そんな2人と同席している真也は、周囲からの視線に自然と身が縮こまった。

 何せ自分は、くすんだ灰色のパーカーにベージュのチノパン。普通すぎる。


 そして、そんな真也にレイラはコーヒーカップを片手に静かに語る。


「チェーホフ……アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ」


 レイラの表情は、真剣そのもの。


「多くの戯曲を描いた小説家。ロシアの文学史には、欠かせない、人物。

 コメディ短編も、ヒューマンドラマも、推理小説も書いた。けど、やっぱり戯曲『かもめ』のイメージは強い。

 公演したモスクワ芸術座が、かもめをトレードマークに、してる。でも、戯曲なら、三人姉妹が好き。

 田舎社会の陰鬱さと、運命に踊らされる女性たち、描いてる。素晴らしい作品」


 口を湿らせるように一口コーヒーを含み、レイラは言葉を続ける。


「でも、公開された『かもめ』は、もちろん、見に行く。日本の芸能が、どこまで、チェーホフを表現するか……楽しみ」


 楽しみ、というには挑戦的な瞳。完全に『コアファン』として作品を評論する立場の人間の顔だった。


 真也は、ごくり、と生唾を飲み込み、つぶやく。


「お、う、うん」


 先日、チェーホフのことを「ちゃーはふ」と言った妹の話をした途端に、これだった。

 普段あまり長々と話さないレイラの様子に、真也同様、水樹も驚いた様子で口を開く。


「レイラちゃんって、本詳しいの?」

「え? まあ、ちょっと好き、ではある」

「いや、ちょっと好き、ってレベルじゃないでしょ。

 こんなに長文を喋るレイラちゃん初めて見たし。ね? 間宮くん」


 水樹の言葉に、真也はコクコクと頷く。

 他の人よりも多くレイラと関わってきた真也すら聞いたことのない語勢だった。


 当の本人は訝しげに首をかしげる。


「……そんな、喋った?」

「あー、無意識なんだ」

「……そんなに、語ってない」


 水樹は背もたれに体を預け、レイラは不満そうに腕を組んだ。


「語れるんだ……。さっきのは」

「序の口」

「あ、ハイ」


 水樹は脱線した話を元に戻す。


「それは後日にしてさ、さっさと衣装を揃えるアタリをつけとこうよ」


 今日は、『性別反転メイド喫茶』用の衣装を揃えるお店の下見。


 普通の高校生であれば必死にお金をやりくりし、なんとか衣装を揃えるところだが、彼らは士官高校生であり、各家庭にお金を入れている存在だ。


 また、東雲学園となれば給与も高く、どの家庭も『思い出作り』のためならばと常識的な範囲で衣装を購入する許可を出した。


 衣装班の水樹は一括で衣装を揃えられる先を吟味すべく、2人を連れて『オタクの聖地』である秋ヶ原へときていたのだ。


 水樹はスマホの画面を滑らせながらつぶやく。


「いちおうネットで調べたんだけどさー、よく分かんないんだよね」

「ネット通販で、いいと、思う、よ?」

「ダメダメ! ネットで買ったら、きっとしょぼい奴しかないよ! 本格的に行かなくちゃ。なにせ、我らが伊織嬢を着飾るわけだから!」


 水樹としては、クラスの期待を一身に背負った手前、伊織に半端なメイド服を着せるつもりはない。

 こだわり抜いて、誰よりも伊織を可愛くする。それは、Aクラスの売り上げコンテストの順位にも大きく関わるだろう。


「……べつに、執事服は、ネットでも……」


 衣装の買い出しに付き合わされたレイラは、もごもごと言い訳を口にする。

 しかし、その提案を受け入れられない男が、ここに居た。


「いや、レイラ。執事服も拘ろう。絶対。通販じゃ安っぽいやつをつかまされる可能性があるよ」

「そ、そう?」


 レイラの執事姿を見たい。その一心で女装をすることまで受け入れた男の意思は固かった。


 水樹は、そんな2人の姿を見ながら少し頬を緩ませると、スマホをしまって鞄を担ぐ。


「まあ、とりあえず私が下調べしたとこに行ってみて、それから考えよっかー」




 『メイド服を選ぶならここ!』というネットの情報を頼りに、3人はセレクトショップへ足を運ぶ。


 店内にはアロマが炊かれ、おしゃれな音楽が流れる。

 店員も、そしてもちろん客も女性。


 喫茶店とは違う『なぜここに男が?』という周りからの目線を受けながら、真也は女子2人がメイド服を選ぶ姿を見守っていた。


「どっちかっていうとゴスロリ系なのかな?」


 色は白と黒だけだが、これでもかと大漁の装飾が施された服を見つめながら水樹は唸る。


 たしかにメイド服に似た形状のものもあったが、どちらかと云えばゴスロリ系統の服が多いように思われた。


 レイラも適当に一着持ち上げると、疑問を呈する。


「いつも不思議、なぜメイドがミニスカートを?」


 メイドといえば、家事をする人間だ。ミニスカートではやりにくいだろう。

 レイラは、メイド服、もしくはゴシックというには華やかすぎ、ロリータというには扇情的すぎる手元の一着に首をかしげた。


「その方が可愛いからだよ! あ、間宮くん、これ着てみる? これフリル多くてかわいいよ」

「いや、お店の人に怒られるんじゃ……」


 水樹の手にあったのは、フリフリだらけで普通の生地部分よりもフリルが多いのではないかと思われるメイド服。

 真也は一応拒否するも、水樹はそんな彼の抵抗を笑い飛ばす。


「大丈夫大丈夫ー。だって、買うために着るんだし。着て見ないとなんとも言えないわけでしょ?

 何のために男子を連れてきたと思ってるのさ!」


 何のために自分がここにいるのか。そう言われてしまうと、返す言葉がない。


 みんなの前で『性別反転メイド喫茶』への投票を宣言した真也は、「熱意がある」と男子たちから衣装班へ生贄モデルとして差し出されたのだった。


「……がんばって、真也」


 力なく励ますレイラに同じく無気力な微笑みを返すと、真也は水樹からフリフリの塊を受け取る。


「あ、レイラちゃんにもあとで執事服着てもらうからね。2人はモデルなんだから」


 今度はパンツスタイルの上下セットを手に、水樹はレイラに釘を刺す。

 その服は至る所に十字架が描かれており、何をそこまで神に祈りたいのかレイラには意味不明だった。


「わか、った……」


 真也を励ましたレイラも、他人事ではなかった。


 真也はすごすごとメイド服を持って試着室に入り、カーテンを閉めると、目の前の服? に目をやる。


「これ、どうなってるんだ? っていうか、ん? これってどこから? あ、ここが上か。着てからチャックを閉めて……いや脚から着ていいのか……?」


 女性用の服など着たことがなく、また、このような服をまひるが着ているのを見たことのなかった真也は、混乱ののち、助けを求める。


「よ、吉見さーん!!」

「なぁに? 着れたー?」


 カーテンの向こうへと悲鳴を上げると、水樹から木の抜けた返事が返ってきた。


「いや、どうやって着るのこれ?」

「ワンピースと同じだよ」

「いや、ワンピース着たことないよ」

「頭からパーカーみたいに」

「ああ」


 足からではなく、頭から着るのか。

 真也は水樹のアドバイスをもとに、スカートの下部を目指す。

 真也にとってフリルの塊にしか見えないこの服のスカートの端を探すのも一苦労だった。


「あ、ここは袖か。……なんだろう、ビーコンを見つけた時みたいな気分になるな……」


 合宿でビーコンを見つけた際も気を抜けば場所が分からなくなりそうだったが、この服も真也にとっては同じくらいよくわからない存在だった。


 3回、袖から被ろうとしてしまった真也は、なんとかスカートの端に頭を突っ込む。

 もぞもぞと服の中を通り、今度はどっちが前か分からない真也の耳に、外の女子2人と、店員であろう女性との会話が聞こえる。


 どうやら熱心に営業しているらしく、レイラに強くメイド服を勧めているようだった。


 そんな会話をBGMに、真也はなんとかメイド服を着る。


「着れたよー。カーテン開けていい?」

「あ、いいよー」


 水樹の言葉を受け、真也はカーテンを開ける。


「わお。間宮さん、案外にあうね! 一緒にアイドルのトップ目指そっか☆」


 レイラと水樹が話しかけられていた『店員』と思われる人間が真也を褒める。


 その女性は、この店のスタッフではなかった。


 真也は武装の購入と受け取りで2回しか会わなかったが、それでも忘れられない特徴的な人物。

 結城武装店の店員であり、結城公孝の娘。メイド服をこよなく愛し、伊織と共にアイドルとしてデビューすると豪語する女性。


 結城夢子。自称『ぶれいぶ☆どりーむ ゆめりん』その人だった。


「お、お久しぶりです……」

「はい、その節はどーも☆」


 今現在置かれている状況をなんと言おうかと思案した真也の口から出たのは、あまりにも場に不釣り合いな普通の言葉。

 夢子はにやにやと笑いながら、そんな真也に返事を返した。


「あれ、レイラちゃんだけじゃなくて、間宮くんも知り合いなの?」


 驚く水樹に伸也が説明する。 


「あ、えっと、俺が武装を買ったお店の店員さんで……」

「どもー☆ 『ぶれいぶ☆どりーむ ゆめりん』です☆」

「あ、うん。どうも」


 真也の言葉を遮っての元気いっぱいに行われた自己紹介に、水樹が返せたのは失礼にならないギリギリの苦笑いだった。


「いやー、新しいメイド服さがしに来たら、思いもよらぬ再会でびっくりだね☆ 間宮さん☆」

「ははは、そ、そうですね」

「ところで、なんでかわいこちゃん2人じゃなくて、間宮さんがメイド服を着てるの?」

「うっ……」


 夢子の的確なツッコミに真也はたじろぐ。

 あまり触れられてはいなかったが、今の真也はフリルの化身とも言えるような、可愛らしいメイド服姿なのだ。


 口をつぐむ真也に、夢子は気づいたように口に手を当てる。


「あれ? もしかしておしいおには内緒にしたほうがいい系……?」

「マジな感じにするのやめてください!」


 真也の悲鳴を受け、水樹がフォローを入れる。


「間宮くんが女装してるのは、うちの文化祭で、『性別反転メイド喫茶』をやることになったからですよー」

「あ、吉見さん……!」


 水樹の言葉に真也が反応する。

 それは、自分の女装姿を『趣味です』とごまかしてでも、彼女に伝えない方が良いと思っていた言葉だった。


 しかし、もう遅い。


「ふむ、なるほどなるほど……☆」


 夢子はニヤリと頬を吊り上げると、真也に笑いかける。


「たしか、間宮さんっておしいおと同じクラスだったよね☆」


 彼女の笑みの理由が分かったのだろう、レイラもはっとした表情で固まった。


 そんな2人に、水樹が疑問の声を上げる。


「どしたの? 2人とも?」

「いやいや☆ 何でもないよ、よしみん」

「よしみん?」


「この『ぶれいぶ☆どりーむ ゆめりん』に、衣装の手配、任せてみない?

 メイド服なら、いくらでもツテがあるよ?☆☆」


 その言葉はありがたかったが、なによりも後の怖い悪魔からの取引に思えた。

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