123 兄と妹と(下)
真也は顔を赤くしながら、それでも安堵の面持ちで慰労会の会場を後にした。
その場に残された光一と苗は、どちらともなくお互いを見合わせる。
「兄さん。その……ありがとうございます」
光一は苗の言葉に首をかしげる。
お互いがお互いに謝り、多くの事柄がありすぎて、光一は苗の言葉の意味を掴みかねた。
「すまん……何がだ?」
光一の気の抜けた言葉に、苗は頬を膨らませて「もうっ」と声を上げる。
「私を副会長にするために、手伝ってくれた、と聞いてます」
「……ああ。とはいえ、間宮がいなければ成功は難しかったが」
光一は、苗のために真也とともに満流を『誘導』した作戦を思い出す。
満流の油断を誘わせることができ、そして万一、満流が異能の『腕』を使ったとしても必ず防げる。
そんな真也は、苗を副会長にさせるための策のキーパーソンだった。
「……本当に父上を説得できるんですか?」
「ああ、問題ないさ。だが、俺から全てを説明しては父上も訝しむ。苗、お前も一緒に来るんだぞ」
「はい」
苗は頷くが、しかしそれでも、不安そうに光一を見上げる。
「でも……本当に、説得できるんですか? その……母上も」
苗の口から出てきた『母上』という言葉に、光一は顔をしかめた。
「それは……」
「母上にとって、今回の一件は私を九重から追い出すいい口実になります。あの人が黙っているなんて、ありえません」
「……だろうな。しかし、父上が下した結論に、あの人は口を挟めんよ」
二人にとっての『母上』とは、つまりは次期当主の光一の母であり、苗の母ではない。
幾ら、『我が子かわいい』の過ぎる光一の母も、流石に九重家当主に逆らう様なことはできないだろうと、光一は判断する。
彼らの抱える問題は、まだまだ多い。
しかし、これ以上真也に手を借りるわけにはいかない。二人にとって恩人である彼に、醜い争いを見せるのは憚られた。
「なあ、苗。お前は、今後も九重でいたいのか?」
ぼそり、と光一が呟き、苗が一瞬だけ驚きに体を硬直させる。
「……俺は今回、そこが不安だった」
光一が真也に手助けを頼んだのは、満流の一件のためだけではない。
むしろ、満流から言質を取ることは、光一だけでもなんとか成し遂げることはできただろう。
しかしその後、苗を説得する……『自分の家族として、家に残ってもらう』説得は、光一ひとりで成し遂げられる気が全くしなかった。
『敗北する余地のあることに手を出すな』。
それは九重家の掟であると同時に、ずっと光一が一歩足を踏み出せない原因でもあった。
だからこそ、苗が心を開いているであろう真也の協力が、光一にとって必須だったのだ。
そして光一の予想通り……予想以上に、真也によって苗の説得を成し遂げることができたが、それでも、光一は苗に質問した。
「一度の敗北も許されぬ様な、こんな家だ。俺は『次期当主』だ。決して離れられんし、覚悟も、ある。
しかし苗、お前は……当主になるわけでもない。覚醒したために家に縛り付けられているだけだ。……そんな家に、お前が居てくれるのか、正直俺は不安だった」
『父は掟に縛られ』『母は自分を危険視する』。こんな家に、彼女が残ると判断した、その理由を知りたかった。
「九重家に今後もいること……本当のことを言うと、嫌でした」
苗は苦笑いを浮かべながら、本音を晒す。
「嫌でしたけど……でも、私にとっては、仮初めでも家族です。
……母上と今後仲良くなれるのか、分かりません。でも、一人でも『家族だ』って思ってくれている人がいるなら、私はここに残りたいんです」
苗が家族であろうと努力してくれなければ……それを、教えてくれなければ。光一自身もいつまでも苗に一歩踏み出すことなどできなかった。
この新たな二人の関係のおかげで苗が家に残ることを納得したのであれば、光一にとってこれ以上嬉しい言葉はない。
「苗、ありがとう」
「いえ、こちらこそ。……現金な話に聞こえるかもしれませんけど」
「そんなことはないさ。俺だって、似た様なものだ」
「でも、当主だから残る、って」
「『残らなければいけない』と『残りたい』は、違うだろう?」
「……そう、ですね。その通りです」
二人は笑いあい、安堵から光一は眼鏡を外し、ソファへと腰掛ける。
達成感から、ふう、吐息が漏れた。
そんな光一の向かいに座った苗は、身を乗り出す。
「それと……私が家に残りたい理由は、実はもう一つあります」
「なんだ?」
「九重でなくなってしまったら……死すことになるのか、それともどこか遠くへ行くことになるのか分かりませんが、今と違う環境になってしまうでしょう?
そしたら、やっと出会えた人と、離れ離れになってしまいますから」
「……一応聞こう。誰だ?」
お互いに相手が誰かすぐに分かったものの、苗は人差し指を唇に当てて微笑む。
「兄さんには教えません。プライバシーの侵害です」
光一は短く笑い、「そうか」と返事した。
「ただ、ヒントはあげますね、兄さん」
苗は軽い調子で話していたが、その瞳が、不意に曇る。
「私、自分の肌、嫌いなんです」
「……そう、か」
苗の肌……つまりは『蛇のエボルブド』の証。体の側面を走る鱗のこと。
九重の証であるその肌が、苗は嫌いだった。
苗は自分の手をわき腹に添え、静かに語り出す。
「……三年前、『私の母』が死んだ時の話です」
「殻獣災害、だったな」
「はい。私が不意覚醒し、しかもキネシス能力だったため、多くの人を救うことができました。
でも、母は……私を罵倒しました」
「何?」
覚醒したての苗の活躍で多くの命が救われたにもかかわらず、苗の母は、彼女を罵倒した。
その理由がわからず、光一は眉をしかめる。
「母は……衛護さんを、恨んでました。
自由な恋も許されず、ただ『蛇のエボルブド』を生むためだけに体を捧げた相手を」
苗の言葉に、光一は衝撃を受ける。
衛護が全ての『妻候補』と円満であるとは光一も思えなかったが、実際に聞かされるのでは話が違う。
そして、いつか自分も衛護と同じ様に『妻候補』たちを取るときがくると思うと、少し身震いした。
「そう、だったのか……」
「そんな男と『同じ肌』を持つ私に、母は動揺して罵倒した後、泣き叫び、私から逃げました。その結果……」
母は死んだ。そこまで苗は口にしなかったが、光一は先に頷いた。
騒ぎながら単独で目立つ存在を、殻獣が優先的に狙うというのは、光一でなくとも簡単に想像できる。
「だから、私もこの肌が嫌いです」
苗が自分のわき腹に当てた手に、力がこもる。
「自分の母に嫌われた原因。自分の母を失った原因。……私の人生を狂わせた原因。
でも、私が生きるために必要なもの。
……嫌いでも、それでも私に逃れる手などない。文字通り、私の一部ですから」
苗はそこまで言うと、今度は慈しむ様に、自身の鱗を服の上から撫でる。
「でも、そんな私の肌を、『綺麗』って言ってくれた人がいるんです」
「……そうか。そんなことが」
恐らくは、苗の肌を真也が確認した時のことだろう。
光一は、当時真也がそんなことを口走ったのかと、少し複雑な気持ちになりながらも苗の言葉を待つ。
「それだけでも、私にとっては嬉しくて、『お近づきになりたいな』なんて思って」
苗の表情に、徐々に色が戻る。頬には喜色が浮かび、口の端が、無意識に上がる。
「しかも、その人は、私のことを『気遣って』くれるし、私のために『悩んで』、『守って』くれるんです。
自分には出来なさそうなことでも、必死に考えながら、私の前では『安心して』なんて言うんですよ?」
とうとう恥ずかしさが限界を超えたのか、苗は自分の頬に手を当てながら、それでも、言葉を止めなかった。
「好きにならないわけ、ないじゃないですか」
「だから、九重家から放逐されても、私のことを覚えていて欲しかった。でも、彼は……それすらも、ひっくり返してしまった。だったら、これからも彼と一緒に過ごしたい。だから、家に残るというのも、少しあります」
本当に『少し』か? と光一は勘ぐったが、しかし、それを口に出す様な野暮なことはしなかった。
苗が家に残る理由。『光一』か『真也』か。確認したところで『負ける余地があること』に手を出すつもりはなかった。
苗の表情からしても、だいぶ分が悪い勝負だった。
「そうか。……苗の恋路、俺は応援しよう」
光一が応援をするという言葉に苗は微笑み、それから、少し意地悪そうな顔で、質問する。
「それは、『九重家』としてですか? それとも、『兄として』ですか?」
「……そうだな……九重家次期当主としては、諸手を上げて」
ハイエンドのオーバードが親類となる。それは『九重』にとって大きなメリットだ。
しかし光一は、少し困った様な顔で言葉を付け足す。
「だが、兄としては、少し複雑な気分だ」
光一の言葉に、苗は吹き出す。その笑いは光一にも伝播し、そして二人はどちらからともなく、帰宅の用意を始めた。
「ねえ、兄さん。間宮まひるさんのこと、どう思います?」
「……どうとは?」
「妻候補に」
「な……そんなこと、できるわけがなかろう」
九重家の『妻候補』は、場合によっては……しかも、高い確率で『九重ではないもの』として扱われる。
他でもない真也の妹をその渦中に巻き込む様なことを、光一はしたくなかった。
しかし、苗は食い下がる。
「九重の掟がなければ? 単純に一人の女性としては?」
「間宮まひるは中学生だぞ? 今の彼女は、子供にしか見えん。
それに……今そんなことを考えてる場合ではないだろう」
これから二人には、『両親を説得する』という大仕事が残っている。
その様な状態で、未来の話に花を咲かせるのは早いと光一は苦言を呈した。
「そうですね。急に変なことを言って、ごめんなさい」
「別に構わんが……」
急な苗の提案に光一は首をひねり、顔を背けてレンタルスペースを後にする。
「さあ、帰るぞ」
「はい」
苗は先を行く兄の背を見ながら、再度呟く。
「……いいと、思いますけどね」
『彼との恋』には多くのライバルがいる。負けるつもりはないが、光一にした提案は、苗としては『良い代案』だった。
もしも、もしも光一とまひるが婚姻を結べば。
そうすれば、苗は二人目の『兄』を得られるのだから。
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2019/10/12 タイトルを変更しました。
虫の化け物が闊歩する平行世界で『最硬』の異能者に覚醒した俺、異能者士官学校生活を満喫する。
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黒の棺の
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