118 兄(上)


「俺に任せてください」


 真也は苗を落ち着かせるようにそう告げ、保健室を後にする。

 苗は真也の言葉を完全に信用したわけではなさそうなものの、それでも多少落ち着いた様子だった。


 自信満々に苗に告げたものの、帰路につく真也は頭を悩ませる。


「任せろ、とはいったものの……どうすれば……」


 苗から聞いた、『九重家の真実』は、真也にとってあまりにも現実離れしており、それに対して真也はどうすればいいのか、皆目見当もつかなかった。


「九重先輩のお父さんは全力でサポートする、とはいってたけど……」


 九重家がサポートしたいと言っていた『ハイエンド』たる真也が、『苗を見捨てないでください』と衛護にいえば、それで解決する問題なのだろうか。


 解決しそうな気もしたが、しかし、そんな方法ではなんの意味もないように感じられた。


「まずは、確認から、かな……」


 考え事を続けるうちにいつのまにか学園を出て『東雲学園前駅』へと着いた真也は、自分の家とは逆方向の電車に飛び乗った。




 真也は、九重家の最寄りの駅前のファミレスに入り、時間を潰す。

 光一は保健室で『稽古がある』と言っていた。それが終わった頃に訪問するのが良いだろう。


 光一に、『話したいことがあるので、稽古が終わったら連絡が欲しい』と、そしてまひるには『ちょっと用事があって帰るのが遅くなる』とメールを打ち、それから頭を悩ませる。


「俺は、どうするべきだ……?」


 真也はノートを取り出し、見出しを書き込む。


 『苗先輩を救う方法』


 『救う』と書くとまるで自分が大層な人間になったような気がして居心地が悪かったが、それでも、彼女をこのままにしておくわけにはいかない。真也は『今後も苗先輩と一緒にいる方法』とノートを書き直して、ペンを走らせる。


 『ひとつ、苗先輩が生徒会長になれれば、『敗北』をしていないので大丈夫』これは、もうかなり手遅れである。

 正直、真也が保健室を出た時にはすでに生徒はほぼおらず、また、投票は明日の朝一番。


 一瞬頭をよぎった『相模先輩亡き者作戦』は、あまりにも乱暴すぎてノートに書くことすらなかった。



 『ふたつ、苗先輩が敗北しても、家族を説得できれば大丈夫』

 これが、目下一番達成すべき案件だ。衛護を納得させ、苗が今後も今まで通り生活できるようにする。


 本当に、今後生活できないのか、苗の思い込みではないのか。それを確認する必要があるだろう。

 苗はいつも自分に自信がなく、光一との関係性を含め、勘違いをすることも多い。彼女の思い過ごしという線はないだろうか。その確認を、光一にする必要がある。


 しかし、本当のことだったとして、光一や衛護は、真也に真実を話すとも限らないが……。苗の様子から丸ごと嘘ということは無いにせよ、それでも、苗の言葉を全て鵜呑みにするのも、危険な気がした。



 『みっつ、苗先輩が見捨てられたとしても……』


「あれ……苗先輩、元のお母さんの家に行くことはできないのかな?」


 苗が『九重』でなくなる、と言っていたが、それはどの程度のことなのだろうか。

 もともと『七瀬苗』と名乗っていたのなら、また七瀬苗というの名前に戻るだけだとしたら?


 それならば、名前が変わっても、今後も一緒だ。



「これも確認だな」


 光一はどうか分からないが、衛護であれば間違いなく知っているだろう。なにせ、苗の処遇を決めるのは、おそらく当主であり父親である衛護だ。


 蛇のエボルブドでなければ、そして『必勝』でなければ九重ではない、というむちゃくちゃな思想に衝撃を受けていたが、しかし、考えてみれば苗字が変わる程度の問題なのかもしれない。


 しかし、どうしても真也の頭をちらつく情報があった。


『九重家は、一切の痕跡なく暗殺のできる一族』


 まさかとは思うが、しかし、苗の必死な様子からも、決して無いとも言えない。


 ふと視線をスマホへ移すと光一からのメールが来ていた。


「さて、いくか……なにはともあれ、先輩から話を聞かないと」


 真也は結局解答欄が埋められなかったノートをしまって立ち上がった。




 いつもは道場にしか足を踏み入れたことのない九重邸、その本邸の応接室に真也はいた。


 光一があらかじめ真也の来訪を連絡していたのか、インターフォンに出た男性は真也の名前を聞くと、何も言わずに屋敷へと迎え入れた。

 本邸の中は落ち着いた雰囲気でまとまっているが、置かれた調度品はすべて真也の目から見ても高級そうで、真也は身構える。


 緊張の面持ちで、応接室のソファの隅に腰掛ける真也に、木内と名乗った年老いた男性は紅茶を差し出す。


「ミルクティーとのことでしたので、アッサムをお持ちしました。まもなく坊っちゃまが参りますのでもう少々お待ちください」

「は、はい」


 坊っちゃま。真也は驚いて口に出るかと思った。

 その呼び方は家の雰囲気からは相応しいかもしれないが『坊っちゃま』というワードを真也は初めて直接耳にした。

 城内の持つアッサムとやらの入っているポットも、真也の目の前に置かれたカップも、青い模様が書かれた明らかに高そうなものだった。


 木内が静かにポットから紅茶を注ぎ、壊さないかと不安になりながらおずおずとカップへと手を伸ばす。


「い、いただきます」

「はい。どうぞごゆっくり……」


 木内は紅茶の入ったポットをテーブルに置き、真也に一礼すると、静かに応接室を後にした。


 真也は紅茶の良し悪しはわからないものの、紅茶からはとてもいい匂いがして、カップを持ち上げる。


「あ……」


 カップを唇に添わせてから、九重家のオーバードの異能を思い出し、心のどこかで不安を覚え、静かにカップを置いた。


「考えすぎ、だよなぁ……」


 真也が自分の小心さに嫌気がさした時、応接室のドアが開いた。


「間宮、すまん、待たせたな」


 光一は真也の向かいのソファに体を下ろし、メガネを外す。

 光一はカラーコンタクトをしていると感づかれぬようにメガネを掛けているだけであり、その偽装は、この場では無意味だった。


「えっと……」


 じっと見つめられた真也は、ノートにまとめた質問票を思い出すが、いざ口に出すとなると二の足を踏んでしまう。

 真也のはっきりとしない様子に、先に口を開いたのは光一だった。


「……苗から聞いたか」


 光一は、苗の様子、そして、真也に対する『異様な信頼』から、全てを明かすかもしれないと踏んでいた。

 それは、当主である衛護が真也に伝える予定のなかったことであり、光一の予想した最悪の状態である事を示していた。


「本当なんですか?」

「というと?」


 真也の質問に、光一は質問で返す。

 真也が『どこまで』苗から聞いているか、分からなかったからだ。


「苗先輩は、元々七瀬という名前だったって」


 真也の言葉から、光一は『苗が、九重家に引き取られている』ことは知っていると判断する。


「……そうだ」

「本当に……蛇のエボルブドでないと、『九重』じゃないんですね」


 次の言葉で、『蛇のエボルブドであるから、苗が九重と名乗っている』というところまで、苗が真也に相談したことを把握し、静かにため息をつく。


「苗先輩は、不安がってました。失敗した自分が、九重ではなくなってしまうのではないかって」

「……そうか」


 そして、『九重の掟』である、『九重に敗北は許されない』という事情まで知っていることを知る。


 光一は、もはや真也は全てを知っているのだろうな、と観念して息を吐き出し、ソファにもたれかかった。


「……否定は、しないんですね」

「ああ。苗は……全てを話したのか」


 光一の反応から、苗が言っていた内容が全て真実だったと真也は理解し、顔を歪める。

 こんな荒唐無稽な話、苗の思い込みの方が、どれほど良かったか。


 気分が沈み込みそうになるが、真也は『そんな場合ではない』と光一に質問を続けた。


「その、苗先輩は、どうなっちゃうんでしょうか……」


 真也の質問に、光一は目を伏せて答える。


「……俺には、決める権限などない。……父上がどうするか、だな」

「過去『九重でなくなった人』、っているんですか?」

「俺も、過去調べたが……全く分からん。居ないのか、それとも……九重でなくなる、とはそれほどの事なのか……」


 光一の言葉に、真也は固唾を呑む。苗がどうなってしまうのか、光一ですら全く分からないというのは真也の予想外の状況だった。


「……九重先輩は、どうするつもりですか」

「……どう、とは?」

「九重先輩の、苗先輩のお父さんが……衛護さんが、苗先輩を、九重と認めなかったら」


 真也の言葉に、光一は目をつぶる。


 少しの間が流れ、そして、光一は静かに口を開いた。



「……従う」



 その言葉は、真也が最も聞きたくない言葉だった。

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