082 叙勲
ロシア、オホーツク軍港に併設された軍病棟。その一室に、津野崎は居た。
高く昇った日が病室内に差し込み、カーテンが風で揺れる。聞こえてくるのが軍人たちの掛け声でなく小鳥のさえずりなら100点と言えるほどの陽気だった。
真っ白な部屋の中で、同じく真っ白なベッドに腰掛けた津野崎は、思案するように目を細める。
「……で、今に至る、と」
「……はい」
津野崎が腰掛けたベッドから、返事が返される。
ベッドの上に横たわっていたのは、真也だった。
負傷したために、病室で絶対安静を言い渡された真也は事の顛末を津野崎に報告していたのだ。
オホーツク軍港へと戻ってきたのは、真也だけではない。
東雲学園の生徒全員がバンによる営巣が落ち着いたタイミングを見計らい、営巣地を後にした。
予期せぬバンのため、合宿の模擬最終除染は中止。夜のうちに生徒たちは帰還。
真也が目を覚ました時には、日はすでに高く昇っていた。
真也からの報告を受けた津野崎は、口を開く。
「そのプロスペローと名乗った殻獣は、人型殻獣甲種でしょうネ」
津野崎の言葉に、真也は驚く。
「……プロスペローも、過去確認されていたんですか?」
「いえ。ただ、乙種……女性型がいるのだから、男性型もいるのでは、ということで用意されていた種別です、ハイ。予測できたら用意しておきたい研究者ごころ、と言いますか。
だから、かっこよく言ってみたものの、本当にそうかどうかも良くわかりません。ハイ」
えへへ、と頭をかく津野崎に、真也は「はあ」とため息混じりの返事をした。
「殻獣を意のままに操る殻獣。間宮さんの盾を『後退』させられるほどの力を持ち、しかも、人間の感情を読み取る……。中々に厄介な存在ですね、これは」
「……プロスペローは、見つかっていないんですか?」
「見つかっていません。ただ、深手を負ったとのことでしたし、今後は営巣地と国境の監視体制を密にし、追い詰めていく方針です、ハイ」
「そうですか……」
暗い表情の真也を励ますように、津野崎は明るい声を出す。
「安心してください。もしも日本まで間宮さんを追ってきたら、日本支部の総力を持って捕獲します。聞きたいことも、山ほどありますしネ」
津野崎は、真也に対して微笑むと、言葉を続ける。
「なんにせよ、生きていて良かったですよ。間宮さん。最初に聞いた時はもう、その報告で私が死ぬかと思いました」
「はは……いてて」
真也は、腹部を抑えて痛みを口にする。その様子を見た津野崎は、真也の手を握り、言い含めるように真也の目をみて話す。
「安静にしていてください。友枝さんの『四つ葉』と違って、『双葉』の異能は体に負荷がかからない分、治りも完璧ではないですから」
現在、真也の体に穴はもう空いていない。
真也が気を失った後、その場にやってきたソフィアが、無線で衛生兵を呼び、ロシア支部の正規軍人の『双葉』の異能者、治癒の力を持つオーバードが応急処置を施したのだ。
真也は津野崎の言葉に頷くと、気になっていたことを津野崎へと口にする。
「あの、他のみんなは?」
真也は、プロスペローに腹を貫かれた後からの記憶は曖昧ではあるが、プロスペローを追い払い、レイラに抱きとめられたところまでは覚えていた。
その次に意識があるのが、このベッドの上。津野崎がベッドに腰掛けた後だった。
「まず、レオノワさんは、トイボックスと共に叙勲会に出ています。勲章を貰った後に取材を受ける予定で」
「レイラが……勲章を。喜多……いや……トイボックスと?」
「ええ。もちろん、他のアンノウンの皆さんも。ただまあ、会に呼ばれているのはレオノワさんとトイボックスのみですね。
今回の報告はレオノワさんからも聞きました。
間宮さんも大変活躍されたようですが、しかし、間宮さんに関しては、ちょぉっと話がややこしくなるので今回の作戦における活躍についてはあまり報告をしないように他のメンバーにさせてもらいまして。
ですので、最大功績者はレオノワさん、ということになってます、ハイ」
津野崎は、思い出したように手を叩くと、話を変える。
「あ、そうだ。今回のアンノウンの作戦は、表向きには404大隊による『新規営巣の場所の観測』という事になりました」
「なりました?」
「前も言ったかと思いますが、皆さんの作戦は事後報告です。ですから、それらしい作戦を東雲学園から出してもらいましてネ。
その際、女王を発見、『捕獲した』というのが、レオノワさんの功績でして、叙勲会に呼ばれています」
「はぁ」
「一応、過去何度か女王の捕獲は試みられていたんですが、警戒心が強く、捕獲された事例は少ないんです。ロシアで言えば今回で3度目ですね。100年間で、3回目です。
女王は謎が多く、また、死ぬ事なく営巣地から運び出せば、次の営巣には影響しません。ですから、これでロシアは殻獣研究において大きなリードを得る事になるでしょう。しかし、捕獲したのは『日本支部』のレオノワさんです。
ですから、この殻獣の所有権は日本支部が口を挟めなくもないので、先に大々的にロシアで宣伝する必要があったんでしょう。『ロシア人の士官学校の生徒、しかもロシア支部の少将の娘が、女王を捕まえた』とネ」
「うわぁ……」
政治のドロドロした話に真也は眉をひそめる。
「そして、作戦に援軍として参加したトイボックスは、生徒たちの護衛をしたことを讃えての叙勲ですネ」
真也は政治的な話はよくわからないが、それでも気になった点を挙げる。
「でも、トイボックスは、アメリカ支部ですよね? トイボックスが同じ営巣地にいたって事がわかれば、アメリカ支部が女王について口を出す権利を与える事になるんじゃ?」
「ふっふっふ、惜しいですね、間宮さん。でも、いい着眼点です。
逆ですよ。トイボックスはいたけれど、生徒を守る方に居て、女王捕獲とは無関係である。その宣伝のためです」
「……うわぁ」
津野崎の言葉に、真也はもう一度声を上げた。
コンコン、とノックの音がして、真也はドアの方を見る。
「どうぞ」
真也がノックに対してそう返すと、病室のドアが静かに開く。
「レイラ!?」
そこに立っていたのは、レイラだった。
絹のようにしなやかな金髪がまばゆい光を浴び、光を返す。
しっかりと糊の効いた深緑の軍服の襟元では、リボンのついた大きな白銀の勲章もまた自信げに光っていた。
ただ唯一光っていないのは、彼女の表情。
彼女を知らない者には無表情にしか見えないが、真也の目には、レイラの中に多くの感情が渦巻いていることが分かる。
特に、本来なら記者の相手をしているであろうこのタイミングで病室へきたレイラの浮かない表情に、真也も津野崎も、なんと言うべきかと思案する。
「……まあ、あとはお二人でドウゾ。私は、間宮さんが起きた事を知らせてきますんで、ハイ」
思案したのは真也だけだったようだ。
早々にギブアップした津野崎は、ベッドから立ち上がると、そそくさと病室から去っていく。
途中レイラと津野崎がすれ違うが、レイラは一瞥もせず、津野崎は意図的に見ないようにして、お互い不干渉のまま、真也への面会者は入れ替わった。
開いた窓から吹き込む春風によってカーテンがたなびき、レイラの髪の毛もまた、そよぐ。
「レイラ……あの、おはよう?」
「おはよう。でももう、こんにちわ」
「そんな時間だったんだ」
「いま、目が、覚めた?」
「少し前にね。津野崎さんに昨日起きたことを話してた。
そういえば、叙勲会は?」
「それは終わった。15分前」
「取材は?」
「抜け出した。優秀なデコイが一緒だった。記者は、『最強』に、ぞっこん。そっちに、任せた」
「そ、そう」
レイラは話しながら、ベッドのそばまでやってきて腰掛ける。
「……目が、覚めて、良かった」
レイラの抱く感情の一つは安堵。
「なんで、あんな無理、した?」
「えと、それは……」
次に真也が読み取れたのは、怒り。
「私が、弱かった、せい……?」
そして、後悔。
真也は、昨日の自分の『無茶』を思い出し、それに対してレイラに何か言わなければとも思うが、それでも言葉は出なかった。
「もう、やだよ。私を、一人に、しないで。……お願い」
恐怖。
「……ごめん」
「真也、次は自分を最初に守って」
「それは……」
「真也。私、強く、なる、から。約束して」
レイラはそう言うと、ベッドの上の真也の体を抱きしめる。
真也は、おずおずとレイラの体を抱きとめ、鼻にかかった金髪に、くすぐったさを感じた。
「……レイラ」
「なに?」
「レイラが危なくなったら、俺は何度でも、君を守るよ」
「……なんで? 私は、真也を守ってほしい」
「それは、レイラの考え。俺の考えは、違う」
「……そう言われたら、返す言葉、ない」
レイラは真也から体を離すと、頬を膨らませながらも微笑む。
「なら、私、頑張って、強くならないと。……真也に、渡すものがある」
レイラはそう言うと、上着のポケットの中から、小さな箱を取り出す。天面がガラス張りになったその箱の中では、小さな青い宝石のついた金色の勲章が輝いていた。
「それ、勲章?」
「うん。真也の分」
「へえ、それが今回の作戦の、俺の分かぁ」
レイラの襟元についた勲章と比べると、確かに小ぶりだったが、それでも綺麗な勲章だった。
「いや、今回のは、後日、貰えるはず」
「え? じゃあ、これは?」
「……私が、昔、貰ったもの。真也に、あげる」
レイラはそう告げると、勲章の入った箱を真也へと差し出し、恥ずかしそうに髪をかきあげる。
「え、いや、それは……」
「ううん。正式な功績ではないけど、真也の功績を称えて。私から、叙勲。守ってくれて、ありがとう」
真也は、少し迷った後、レイラから勲章を受け取る。
それは、自分がレイラを守ることができた証明であり、どんな勲章よりも、真也にとって素晴らしいものに思えた。
真也は箱の天面を開けると、中の勲章の縁を手でなぞる。細かな細工の凹凸が、真也の指に返ってくる。
そんな真也の様子に、レイラは少し頬を染めて、言葉を続ける。
「それ、私の目と、髪の色」
「えっ?」
「……大切に、してね?」
真也はもう一度勲章を見る。青い宝石と、金色の台座。確かに、レイラの色だった。
「もちろん!」
真也の言葉にレイラは微笑み、思い出したように話題を変える。
「……そういえば、真也、気を失う前、何か言ってた」
「あ、えっと……」
真也の記憶はあやふやだったが、幸か不幸か、その瞬間の事は覚えていた。
『俺……レイラのこと……』
真也は、その言葉の続きを言うべきかと迷うが、言うならここしかないとも思えた。
麗らかな陽気。爽やかな風。そして、小さな叙勲会の後。悪くない雰囲気。伝えるなら、今かもしれない。
真也の言葉を待ち、じっと自分を見つめる青い瞳に心を高鳴らせながら、意を決して口を開く。
「その……俺」
バァン!
ドアがけたたましい音を立てて開き、人が飛び込んでくる。
「間宮! もう大丈夫なのか!?」
派手な音とともに病室へと飛び込んできたのは、目尻に涙を湛えた伊織。
「シンヤ様! 目が覚めましたのね!!」
「まままままみやしゃん! おおお、おからだはぁ! も、もう平気なんですかぁ!?」
ソフィアが同様に病室へと飛び込み、その後に、完全に涙腺を崩壊させた美咲。そしてユーリイが続く。
秋斗、冬馬、夏海、晴香。直樹に姫梨。Aクラスのクラスメイト。ウッディや担任の江島までもが押し寄せ、あっという間に病室が人で埋まる。
「シンヤ様! シンヤ様、おケガの具合は!?」
「だいぶ良いよ。ソーニャのおかげで助かったって聞いたよ。ありがとう」
「とんでもございませんわ! ああ、シンヤ様……シンヤ様ぁ!」
「……間宮、大事な時に助けられなくてごめん」
「いや、仕方ないって。こっちこそ崖から落ちた時、助けられなくてごめん。あの後、大丈夫だった?」
「え、あ……い、いいよそんなの……間宮が無事なら」
「助けられなかったのは私も一緒ですぅ! ごごご、ごめんなさい間宮さぁん!」
「いや、喜多見さんはもっと大事な任務があったし」
一気に騒がしくなった病室。しかし、真也にとってとても心地の良い喧騒だった。
レイラに気持ちを伝えるのには失敗したが、回答を聞かずに済んだことで、真也は心の何処かでホッとしてもいた。
真也は、騒がしさに頬をほころばせながら、隣で急に騒がしくなったことに驚いている少女の金色の髪のひとふさを、こっそりと、優しく撫でたのだった。
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