038 ナンパ
「オーバードだからいいんじゃん。エボのオーバードなんて普段ぜってぇ会えない訳だし」
「えー、でもまあ確かに顔はいいよな。背も低くてロリっぽいし」
「そこに目がいくおまえの方がやべーだろ。てか確かに、下手したら中学生じゃね? あれ」
「それはそれで興奮する」
「うははは、サイッテー! ぎゃはは」
もう暗くなった花袋の街並みの、その片隅で行われる下卑た色を纏った、男たちの会話。
伊織の持つウサギの耳はオーバードとしての異能だ。
その能力の1つは、広範囲の音を聞くことにあり、それは危機察知としては非常に優秀な能力であり、伊織を助けてきた。
しかし、同時にその耳は伊織の胸中に関わらず、彼に対する範囲内の言葉をも拾ってしまう。
異能に恵まれた自分に対する敵意も。
伊織を貶めようとする陰口からくる害意も。
そして、伊織に向けられる劣情も。
口に出されれば、全て、彼には聞こえてしまう。
「やな会話だ…」
伊織は、そう呟く。下手に絡まれるのが嫌で、決して男たちの方を見ない。
しかし、絡まれるかもしれない不安から、伊織は2人の会話を意識から遠ざけることができない。
「ちょっと声かけてみねぇ?」
「ま、いってみますか」
伊織は、自分の格好を思い出す。
さきほど炭酸で濡れたブレザーを脱いだため、今の伊織は完全に私服だ。男物の服とはいえ、女性でも通る線の細さは伊織の容姿と相まって、少女的な印象の方が強い。
普段はブレザーという、『東雲』という防御があったからこの手の奴らも話すだけで、滅多に声を掛けて来なかった。
一瞬、逃げてしまおうかという考えがよぎる。
しかし、今の伊織はそれが出来ない。
目的を達成していない以上、真也を1人残して帰るわけにはいかないからだ。
ゲームセンターの方へ戻ろうかとも思ったが、伊織が彼の元へ向かうのも躊躇われた。
自分を男として扱う真也に『ナンパされたから助けて』などと言うのは、伊織にとって屈辱以外のなにものでもない。
「くるな…」
そう祈るように、威嚇するようにぼそりと呟くが、それが男たちに聞こえる訳もなく、二人組は伊織の前までズカズカと歩いてくる。
「ねー、君、こげぶた好きなの? かわいーから、こげぶた超似合うねー?」
視界に入ってきた二人組は、恐らく大学生だろう、一人が色黒の茶髪で、もう一人は、根元が黒くなっている、汚らしい金髪だった。
伊織は茶髪男の言葉をシカトをする。
お前達と話す気は無い、という明確な態度でそれを示す。
しかし、茶髪男はしつこく話しかけてくる。
「ねーってば。おれもこげぶた好きなんだよねー。ほら、これ、ぬいぐるみ」
1人が、伊織にスマホの画面を見せる。
『こげぶた』という単語に反応してしまい、伊織はちらりとその画面を目で追った。
男の差し出したスマホの画面、そこには『こげぶた』のぬいぐるみを脇に抱えた色黒の男の姿があった。
その男は、裸だった。
伊織は驚き、さっと目を背ける。
その反応に気を良くしたのか、男たちは伊織により近づいて話しかけてくる。
「あ、ごめんこれ俺裸だったわ!」
「うはははは、おまえなー、なにグロ画像見してんだよ、ははははは。
ごめんねー、あとでこのバカ殴っとくからー」
伊織は目線をそらしたまま、何も言わずにシカトを続ける。
二人組は伊織が一向に動かない事から調子に乗り、伊織を取り囲むように挟んで立つ。
「ごめんごめん。ところでさ、この後ってどーすんの? 一緒に遊ばない? 君みたいな可愛い女の子1人だとこの時間は危ないよー?」
「変な奴に声かけられちゃうよー?」
変な奴、それはお前達だ。そう思いながらも、そう返すのは相手の思うツボだと、伊織は違う言葉を静かに言い放つ。
「ボクは男だ」
「いやいやー、その嘘は無理あるっしょー」
伊織の言葉は、金髪の男に即座に否定される。
「そんなに俺たちのこといやー?」
「嫌だ。それくらい、分かれよ」
無意識に伊織の手に力が入る。最近感じていなかった、嫌な汗が手に溢れる。
「えー、そんなこと言わずにさー? ちょっとだけ、先っぽだけだから」
「ぎゃはは」
この男の笑い声が嫌だ。目がいやだ。
伊織は、嫌悪感を怒りに変えて、言葉を放つ。
「友達と来てるんだ、構ってる暇はないんだよ」
口を突いて出たその言葉に、二人組が興味を抱く。
「え、どんな子?」
「関係ない」
「ちょっとー、つれないなー」
その言葉とともに、男が伊織の肩に腕を回す。
伊織は、体を縮こめ、小さく震える。
嫌悪感の矛先が、怒りから徐々に恐怖へと変わっていく。
伊織は、男性でありながら男性恐怖症だった。
自分を女だと思い込んで絡んでくる男、男と知ってもなお劣情を向ける男たちに、いつしか恐怖を感じるようになってしまっていたのだ。
自分にはない屈強な体。自分にはない低く威圧するような声。それらは全て、オーバードとしての能力で跳ね返せるものだが、伊織は割り切ることができなかった。
大きい男は怖い。力の強い男は怖い。
だからこそ伊織は、強い自分を前面に出し、自分を守っていた。
それでも、ここまで接近されてしまうと、伊織の『強い自分』という殻が悲鳴をあげ、弱い自分が行動を阻害してしまう。
「…触るな」
辛うじて残った『強い伊織』が、男たちに言葉を投げつける。
「触るな、って怖ー。さっきからさ、だいぶ強がってるけど、耳は正直だよねー、そんな怯えなくてもいいじゃん」
その言葉に、伊織はハッとする。
伊織の耳は周りの音を拾うために忙しなく動いていた。
心の中で強くあっても、本能的に逃げ場を探してしまう。
その伊織の耳の様子は、男たちを増長させる結果となっていたのだ。
「やめとけって、おまえがビビらせて異能でも使おうもんなら、この子捕まっちゃうぜ? それは嫌だよねぇー?」
男たちは言外に、伊織を脅していた。
オーバードが起こす殺傷事件は、非常に重く扱われる。それを知っている彼らは、先にそれを口に出し、伊織の行動を縛る。
金髪男が伊織の耳元で囁く。
「…ねえねえ、その友達の女の子と一緒に、4人でこの後遊ぼうよ? お泊まりとかしちゃう? はははははは、なんつって!」
一度、怖がっている自分を客観視してしまったら、もうダメだった。
この男たちの笑い声がいやだ。目がいやだ。
怖い。
すぐそばで聞こえる、最低な声。伊織は総毛立つ。強い伊織が壊れそうになる。
助けて。
反射的に助けを求めた伊織の耳が音を拾う。
今日、何度も聞いた足音を拾う。
伊織が足音の方を見ると、こちらに走ってくる真也が見えた。
真也は伊織が絡まれているのに気づくと、顔が険しくなり、こちらへ向かう速度をどんどんと早めていく。
「伊織!」
「間宮ぁ!」
伊織の声は震えていた。
伊織は叫ぶと同時に二人組の間から抜け出し、真也の後ろへとさっと回り込む。
伊織の両手は、真也のブレザーをしっかりと握っていた。
「え、友達って男?」
「あー、もしかしてカレシさん?」
「びみょー。俺らに乗り換えね?」
二人が話しかけてくるが、伊織の目も、耳も真也しか捉えていなかった。怖い、怖かった。その言葉が頭の中を支配していた。
「伊織、知り合いか?」
「知らない。急に声かけられた」
「…そっか。分かった」
真也は、二人組を正面から見据えると、伊織の前へ半歩出て、伊織を男達から隠す。
「あーごめんね、カレシ君。1人に見えたから声かけちゃったわ」
「いや、カレシではないですけど。って言うか…」
「あ、そうなの? じゃあ、この子とアドレス交換したいなーなんて」
真也の服の袖をギュッと握る伊織。
その伊織の様子に、真也はぐっと相手を見据えると、ハッキリとした声で、拒絶する。
「いや、無理です。伊織が嫌がってるんで」
「そんなこと言わずにさー、キミからもお願いしてよ? ね?」
お互いに口調は平和だが、徐々に怒りが見え隠れする。とくに金髪男のそれは顕著だった。
「無理です。伊織をほっといてくれますか」
「あのさ、お前ただのダチなんだろ? ならなんでそこまで言うワケ?」
真也は、絶対に引かない覚悟を決めていた。
伊織がこの手の奴らのせいで、どんな思いをしてきたか。
『ボクはもう、誰も信用しないって決めたんだ』
『なあ、間宮。お前は…お前だけは、ちゃんと『友達』でいてくれるか…?』
元の世界で、悲痛な伊織に打ち明けられた言葉。
それから真也は伊織と友人になり、いつしか伊織は笑うようになって、ちゃんとした、伊織を理解してくれる友人も増えた。
それを、その頃の伊織の絶望を、『今』この伊織が感じているのなら。真也は何があっても彼を『守る』と決めていた。
「あんた達には関係ない。帰れよ」
「ハァ!? 何様だっつってんだよ」
金髪男は早くも怒りが限界に達したようで、真也への口調を荒げる。
金髪男にとって、もはや、伊織のことはどうでもいい。年下にナメられるというのは、なによりも癪に触る事だった。
「おいコラ。ガキが調子に…」
一歩踏み出してくる金髪男。しかし、茶髪男があることに気付き、金髪男の肩をつかんで呼び止める。
「…おい、ちょっと」
「あ?」
「いいから」
調子に乗った高校生に怒りが込み上げていた金髪男は、それでも相方の声に動きを止め、茶髪男がぼそりと金髪男に告げる。
「男の方も腕輪してる。しかも東雲だわ、あのブレザー」
「うわ…クッソまじかよ…クソ…まずったな」
先ほどまで、頭に血管が浮き出るほどに怒っていた金髪男は、がらりと表情を変える。
それは、怒りを表した時のように急なものだったが、それよりももっと露骨な態度の変化だった。
「いやー、ごめんね、いやならしょうがないよねー。俺ら、用事思い出しちゃった。帰るねー。ごめんなー、呼び止めて。すぐいなくなるから!」
「んじゃーねー、ごめんねー!」
その言葉を残し、男たちは真也や伊織の反応を待たず、人混みの中に走るように消えていった。
「え?」
ナンパ男たちの声が聞こえなかった真也は、何が何だかといった表情で固まっている。
「ま、間宮……あいつら、もう行った?」
真也の後ろから、伊織の不安そうな声が真也の耳に届いた。
「あ、ああ。なんか…帰った」
「そ、そっか…なんか、ごめん。ありがとう間宮…」
「いや、いいよ。それより、大丈夫だったか?」
「うん…」
こちらから離れていく二人組の声が、伊織の耳にだけ雑踏を越えて届く。
「クソが…カレシもオーバードかよ。しかも東雲って。バケモノ校じゃねーか!」
「あっぶねー、東雲の奴のオンナに手ぇ出すとか、下手したらマジで殺されるわ俺ら」
「とりあえずしばらく花袋寄らねえようにしようぜ」
「あ、ああ。つか、あのオンナ、それ知ってて心ん中で俺らを笑ってたんじゃねーの?」
「…クソが!」
適当な事を言いながら、それでも二人組の声からは、確かな恐怖が感じられた。それだけで、少しだが伊織の心は晴れる。
その声に気を取られていた伊織に、真也はもう一度声を掛ける。
「伊織、大丈夫か?」
「あ…うん」
伊織は小さく頷く。そして、真也へと小さな願いを口にした。
「あのさ、この後ファミレス行かない?」
「え…、帰るの、遅くなるぞ?」
それは、本来の『話を聞く』と言う目的のためだと伊織は言い聞かせる。
心細くて、誰かと一緒にいたい。そんな事は、決してない。そう言い聞かせる。
「間宮が、無理なら……別に、いい…」
耳を折りたたみそう告げる伊織の背は、ただでさえ小さい伊織が、もっと小さく見えるほど頼りないものに、真也の眼に映る。
その姿に、真也は伊織の背を軽く叩き、言葉を返す。
「いや、行こう。これで帰るのもなんか癪だしな」
そう言うと、真也は花袋の街を先導するかのように歩き出した。
伊織はその真也が、自分を守る頼もしい存在に見えた。
伊織は、ワザと少しだけ真也から離れて、後ろを歩く。
さすがに、これ以上街中で『弱い伊織』を表に出すのは、恥ずかしくて耐えられなかった。
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