033 四人
ホームルームが終わり、かなりの人数が教室に残って談話していた。
担任の江島の『10分以内に退室』という言葉は、裏を返せば『10分までは雑談して良い』ということなのだ。
東雲学園に在学する生徒たちは、その程度の裏の意味にはすぐ気付き、あちらこちらで交流がもたれていた。
真也は、4人だけ残れと言われたのになぜ皆帰らないのだろう、と疑問に持っていたが、30秒ほどしてその真意に気付く。
そしてその頃にはもう会話のグループが出来上がっており、真也は、今日は色々と出遅れ続きだと肩を落とした。
隣にいたレイラは、いつの間にか人に囲まれている。周りを囲んでいたのは女子ばかりだった。
「レイラさん、髪綺麗だねー」
「…ありがとう」
「目もすごーい。青いねー!」
「うん。青い」
どうやら、レイラのこの反応が基本であると分かったクラスメイトたちは、レイラとの距離を詰めていた。女の子たちに囲まれ、チヤホヤされるレイラ。
真也がちら、と周りを見ると、レイラに話しかけ損なったのであろう、直樹を含めた数人の男子がモジモジして様子を伺っていた。
レイラ、綺麗だもんなぁ、でも話しかけづらいよなあ、この女子の空気。と真也は彼らの気持ちに理解を示す。
女子との会話を楽しむレイラには、自分も他の男子同様に話しかけづらかった。
女子たちの賑やかな空気に押された真也は、席を立つ。真也が先ほどまでいた席も、すぐに女子たちが陣地を広げ、男子が入る隙間は生まれなかった。
真也はあてもなしに教室を歩き、窓際の席に伊織の姿を認める。
押切、間宮、喜多見、レイラ。
名前を呼ばれた4人はすべて特別部隊のメンバーなのだろう。
伊織の周りに人はいない。話しかけやすい状態だと認識した真也は、彼の元へ向かう。
すると真也の足音を察知したのか、伊織の耳がこちらを向き、彼の赤い瞳と目が合った。
「…なに?」
うさ耳を片方だけ横に倒し、不機嫌そうな表情と声色の伊織は、それでいても美少女然としている。
男だが、過去多くの男子生徒から言い寄られていたその美貌は、この世界でも変わらないらしい。
むしろ、うさ耳というパーツが付いたせいで、外見はより女の子っぽくなっている様に真也には思えた。
「あ、いや、特に用はないんだけど」
「…あっそ、ま、どうでもいいけど」
伊織はそう言うと、さっと顔を真也から背け、また窓の外を眺めていた。
真也の中に、仲良くできるか、という一抹の不安がよぎる。一度は仲良くなった相手だが、その冷たい態度は、元の世界の彼より増しているように思われた。
ふと伊織が真也の方を向き、口を開く。
「あのさ、キミ、名前なんだっけ?」
「間宮。間宮真也だよ」
「ふぅん、間宮ね。居残りのうちの1人か。だから話しかけてきたの?」
「まあ、そんなこと」
どうやら、伊織も居残り組の名前を把握していたようだった。
「それよりさ、間宮、今日一日、割とボクのこと見てたよね? 朝も、さっきも」
「え?」
朝、伊織を見ていたことに気づかれていたのか、と真也は後ろめたい気分になった。
「気付いてないとでも思った? 残念だったね、男で」
「男でも関係ないさ。押切とは友人になりたいと思ってたから」
その言葉に、伊織の耳がピクピクと動く。
前の世界の伊織とは仲が良かった。歯に絹着せぬ物言いだったが、なんだかんだ付き合いのいい奴だった。
もしこの伊織が同じような人間だとしたら、真也は友人になりたいと思っていた。
「変わり者だね」
「そうかな?」
「ボクと友達になりたい、なんて変わり者だよ」
「前、仲良かった知り合いと押切が似ててね。見た目も、話し方もそっくりでさ」
真也のその言葉に、伊織の耳がまたピクリ、と反応した。
「へぇ…女?」
自虐的な笑みを零す伊織。その表情は真也が昔何度も見た、他人と距離を取る時の表情だった。
真也は、伊織に対して返答する。
「いんや、男。兎の耳は生えてなかったけど」
「ふぅん。ボクみたいな男が他にいるとはね」
口調は余裕を見せているが、細かく動く伊織の耳は、その話に興味を抱いていると言わんばかりに真也に向けられていた。
真也の目線に気づいた伊織の耳が、後ろに向かってピンと伸びる。
「…あんまりジロジロ見ないでくれる?」
「あ、ごめん。可愛かったから、つい」
ポロリと本音をこぼす真也に、伊織は顔を歪め、細い腕で自分の体を抱く。
「…もしかして、間宮はゲイなの?」
「いやいやいや、違うよ! 単純に耳の部分のことだよ! …でも、男の押切に可愛いって言ったことは謝る」
その言葉に、伊織は耳の力を緩ませ、腕を下ろした。
「…ま、どうでもいいけど」
伊織はそう言葉を締めくくると、また窓の外を眺めはじめた。
今はこれ以上話すのは得策ではないな、と思った真也は、伊織とレイラと共に呼ばれたもう1人の生徒を見る。
高等部から東雲に来た、趣味は読書。たしか自己紹介でそう言っていた少女は、内気な雰囲気を纏っていた。
眼鏡を掛けており、猫背になっているため目立たないが、バストは健全な男子高校生にとって凶悪と言っていいものを持っている。
髪は染めているのか金髪のショートカットであり、活発そうなその髪型は、内気そうな美咲とは相反しているように感じられた。
美咲は席に着いたまま、胸の前で指先をいじりつつふらふらと周りを見ている。
真也は親睦を深めようかと美咲の席へと近づき、話しかける。
「あの、喜多見さん」
「ひゃい!? ま、ままみやししんやくんでしゅよね!? ななな、なんでしょうきゃ…?」
噛んでいない言葉の方が少ないほどの、あまりの噛みっぷりとオーバーなリアクションに、ただ話しかけただけの真也はなぜか申し訳なくなる。
「いや、ごめん、なんでもない。急に話しかけてごめん」
「い、いえ、こちらこそ…はいぃ…」
「…その、これから一年、よろしくね?」
「は、はいぃ、よ、よろしくおねがいしゃます!」
「しゃます?」
「す、すすすすいません! その、人とはは話すの、ににに苦手でぇ!」
苦手でぇ! と同時に美咲は顔の前で腕をクロスさせ、近づいてもいない真也を押しとどめるような構えを取る。
その大きな動きにつられて、美咲の胸元で大きな2つの塊がたぷん、と揺れた。
真也は一瞬目線を奪われながらも、美咲に言葉を返す。
「…そ、そっか。ごめん」
「……うぅ…こちらこそ…すいません…」
謝りながらも目の端に涙を浮かべる少女に、本当にこの人が特別部隊の隊員なんだろうか、と自分の予想に不安を持った。
教室に4人だけとなり、江島から向けられた視線に反応して、全員が江島の元に集まる。
「さて、お前達、残された理由は分かるか?」
その言葉に、お互いがお互いを見合わす。
恐らくは、特別部隊の件だ。しかし、入隊案内の書類に、機密であると言われた情報であり、たとえ担任であろうとも、言っていいものかと躊躇する。
全員が同じ考えなのだろう。レイラも、伊織も、美咲も、誰一人として口を開かない。
しかし、真也は気づく。美咲だけが、もごもごと口を動かしている事に。
喋る気だ。ただ、言い出すタイミングを図っているだけだ、あれは。
喋らない方が多分いいぞ、と真也がドギマギしていると、美咲が口を開く前に、江島が4人の態度に結論を出した。
「…ふむ、いい判断だ。軍属たる者、機密と言われた内容についてみだりに話さないのは大切なことだからな。まあおそらく、全員が想像している通りだ。君たちの軍務について、だ」
美咲は、最終的に言わなかったことに安堵している風だった。真也は、彼女の行く先が不安になると共に、そんな彼女でも所属できる特別部隊に対しても、不安を覚えた。
「君たちの所属予定部隊は、全学年混合だ。この後、専用のサロンで顔合わせを予定している。問題のある者は? いないな?」
学生生活だけではない、軍務として…特別部隊としての活動も始まる。
その緊張に、真也はゴクリと喉を鳴らす。4人全員が、険しい顔で江島を見ていた。
江島は参加不可の表明が出なかった事を確認すると教室のドアを開け、猫のしっぽをピンと立てて4人へと力強く言葉を放つ。
「よし、じゃあ先生について来いニャン!」
緊張の面持ちのまま、空気が固まった。
江島なりの緊張をほぐすジョークだったのだが、新入生4人にとって、それは笑っていいのかどうか際どいジョークだったし、実際笑えなかった。
「…ふむ。割とウケるんだがな、このギャグは」
ポリポリと頭を掻く江島は、顔を赤らめて、しっぽを丸めながら4人を別室へと案内した。
担任の江島に連れられてやって来たのは、こぢんまりとした建物だった。
建物内へと入ると、一年棟と同じように1階は広い空間が広がっており、エレベーターへと案内される。
「さて、エレベーターで地下階へ。そこで待っていてくれ。先生はここまでだ」
4人は、その言葉に頷くと、エレベーターへと乗り込んだ。一瞬の浮遊感ののち、エレベーターは下へ下へと進む。
「あ、あの、長くないですかぁ…?」
エレベーターの中の短い沈黙を破り、美咲がおずおずと口を開く。
「たしかに。このエレベーター、ボタンの表示、Bだけ。結構地下、なのかも」
「ふぇぇ…深いんですかぁ…?」
「あのさ、別にどうでもいいと思うんだけど」
その伊織の言葉に、真也は無意識に反応した。
「伊織、そんな言い方するなって」
エレベーターの空気が固まる。
真也は無意識に反応したがゆえに、『友人の伊織』と話す時のように…伊織が、他人に対して厳しく当たった時に諌めていた癖のまま喋ってしまったのだ。
伊織は、その真也の言葉に噛み付く。
「…なに? 急に」
「あ、いや、ごめん」
「…まあ、どうでもいいけどさ」
伊織の口癖であろう、どうでもいい、という言葉の後は、また沈黙が続いた。
長い沈黙の支配するエレベーターを降りると、広い居間のような空間だった。ソファやテーブル、暖炉のオブジェや飲食棚が並び、中には既に何人かの生徒らしき人たちの姿が見える。各々が好きに寛いでいるようだった。
真也たちが続々とエレベーターから降りると、不意に声が掛けられる。
「ああ、お久しぶりですネ、2ヶ月ぶりくらいですか?」
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