030 東雲学園
季節は巡り、春を迎えた。
昨年の初冬にこの世界へとやってきた真也にとって、この世界で初めての春であり、人生で初めての高校生活が始まる季節である。
アラスカに人が住んでいないとか、中東の三分の一が営巣地とか、第一次世界大戦が起こっていないとか、元の世界での知識がまったく役に立たない社会の近代史を頭に詰め込み、中卒認定試験に合格した真也は、喜び勇んで津野崎へと報告した。
それに対する津野崎の返答は軽いものだった。
「そうなんですか。流石ですネ。あ、いや、おめでたいとは思ってますよ、ハイ。でもまあ、間宮さんなら合格して当たり前、というか。
……あぁ! 拗ねないでください! お年玉と合格祝いあげますから、ネ!
あ、そういえば、東雲、入学決まりましたよ。おめでとうございます、ハイ」
拗ねた真也は、そんな風に東雲学園の合格通知を聞いたのだった。
真也は津野崎にドキドキを返せ、と言いたかったが、レイラの東雲行きをまひるにバラした手前、ありがとうございます、と当たり障りのない返事しかできなかった。
なにはともあれ、人生の折り目。
しかも、真也にとっては未知である『異能者士官高校』での高校生活が、始まろうとしていた。
「お兄ちゃん、はやくー!」
記念すべき入学式の朝、玄関からまひるに呼びかけられた真也は、それでもまだ自身の部屋の中にいた。
「ごめーん、すぐ行くー」
大声で、すぐ行く、とは言ったものの、真也は今日の服装について最終判断を下せないでいた。
東雲学園高等部の制服は、校章の入った紺色のブレザーと、学年を表す徽章のみ。高等部1年生は、小さな緑の徽章を胸元につける決まりだ。
しかしながら、その下に着る服は全くの自由。これが大いに真也の頭を悩ませた。
普段、まひるはパーカーを着込んでいたり、スカートでなくショートパンツで登校することもあるのだ。
真也は、無難に白いシャツと落ち着いたえんじ色のネクタイを合わせ、ベージュのチノパンを履く。
普通なら数秒で決まる、その普通の組み合わせに至るのに思考が3周はした。
それほどまでに、高校の初日というものは、真也にとって一大事なのである。
真也は手早く鞄や携帯などを手に取って玄関へ向かうと、まひるが手慣れたコーディネートで真也を待っていた。
ちなみに、東雲学園中等部の制服もブレザーのみ。色は高等部と違い、グレーである。まひるの胸元には昨日から、中等部2年生を表す、オレンジの徽章がついている。
今日はそのブレザーにシャツと膝丈のスカートを合わせるという、普段の通学時とは違った大人しめの服装だった。
まひるは真也の姿を確認すると、頬を赤らめ、もじもじとする。
「どうしたのまひる? トイレ?」
「違うっ! 東雲のブレザー着たお兄ちゃん、かっこいいなぁって」
はにかみながらそう告げるまひるの頭を、真也が撫でる。
お世辞だとしても、コーディネートに頭を悩ませた真也からすれば、まひるのお墨付きは嬉しかった。
「ありがとう。お待たせ、行こうか」
「うん!」
2人は家を出て電車に乗る。2人の家から学園までは電車で一度乗り換え、移動時間は合計40分といったところだ。
新東都名物、朝の満員電車は恐ろしいほどに真也の体力を削る。
「…お兄ちゃん、大丈夫?」
「あ、ああ」
ぎゅうぎゅうと押される感覚は、たとえ肉体的に強化されていようとも精神的にきついものがある。また、人が多いことで酸素も薄い。
真也は、ドアのすぐ横にまひるの体を滑り込ませ、そこに蓋をするように立っていた。
片手でポールを掴み、もう片手で壁を押す。
途中乗り込んでくる人々は皆、壁につかれた真也の腕…正しくは、その腕に巻かれた識別バングルを一瞥する。
その後避けられるようなことはないものの、やはり珍しいのだろう。真也のブレザーにも目が集まった。
真也は小声でまひるに質問する。
「あのさ、やっぱり東雲って有名なの? いろんな人が俺のブレザー見てる気がしてさ」
「そこそこ有名だよ? 世界有数の士官高校だもん」
「そっか」
「うん。東雲に通ってる、って言えば、お兄ちゃんモテるかもねー?」
「…へぇ」
モテる。それは健全な男子『高校生』の真也にとっては重要なことだった。
そんな真也の足を、まひるが踏む。
「いたたた」
「本気にして、変なこと考えないの! もうっ」
「…言ってきたのはまひるじゃないか…」
「ほら、お兄ちゃん、次で降りるよ!」
まひるに引っ張られるように電車を降りる。
それからリニア電車に乗り換えると、同じブレザーを着た生徒たちの姿が多くなった。
最終的に降りた駅名は、『東雲学園前』。
埋め立て地1つをほぼ占有するその学園は、駅の北口を降りると直ぐに校門が鎮座していた。次々に、同じブレザーを着た生徒たちが校門へと吸い込まれていく。
真也は、あたりを見回す。
なんらかの金属でできた高い壁に囲まれており、学園の中は窺えない。
校門の前には、『第62回 東雲学園入学式』と書かれた看板が置かれており、その近くで記念撮影をする家族が散見される。
その人数は非常に多く、東雲学園の入学生の多さを感じさせる。
写真を撮る生徒の中には識別バングルのない者もいた。
それは、異能者士官学校において珍しく、異能者連盟の一般職員を目指す非オーバードを受け入れている東雲学園の特徴ともいえる。
「ここが東雲学園か…」
「うん。ご入学、おめでとうございます。ふふ」
「…ご丁寧にどうもありがとうございます、はははっ」
お互いに、ふざけあって丁寧なお辞儀をする。
「真也!」
不意に真也の後ろから声がかかる。
こちらへ駆け足で向かってくるのは、レイラだった。
レイラは、紺色のブレザーの他には、茶色のローファー、グレーのスカートにワイシャツ姿で、高校生らしい格好だった。
真也は、まひるに合わせてカジュアルな格好を選ばなかった自分の判断を褒めた。
真也とまひるは、レイラにも入学祝いの言葉をかける。
「レイラ、おはよう。入学おめでとう」
「レイラさんおはよー! 入学おめでとー!」
レイラはその言葉に笑顔で返す。
「ありがと、まひる。真也も、おめでとう」
3人はそれぞれ、入学式の看板の前で記念撮影を終えた。
「じゃ、中等部の校舎はあっちだから、また放課後ね!」
「また後で」
「いってらっしゃい、まひる」
真也とレイラの言葉に、まひるははにかむ。
「なんか、いいね。同じ学校って! いってきまーす!」
まひるはそういうと、1人先に校門の中へ走っていった。
真也とレイラも続いて校門を抜ける。
学園の中は、埋め立て地を丸々利用しているのだから当たり前だったが、広大だった。
いくつもの校舎が立ち並び、広い運動場が遠くに見える。
真也のイメージする高校とは違い、どちらかといえばドラマで見た大学のキャンパスに近かった。
学園の資料やホームページ、入学にあたっての書類などから把握はしていたものの、実際に見るのとでは、大きく違う。
「ここで、3年間過ごすんだね。広いなぁ」
「そうね。日本でも有数の学校。流石」
呆気にとられていたのは真也だけではなく、レイラもだったようだ。
レイラは、新入生と思しき人の流れの先に、受付、という文字を発見する。
「新入生、受付、向こう」
「ありがとう、行こっか、レイラ」
「うん」
真也はレイラとともに受付へ進もうとするが、1人の生徒に目が止まる。
一見、小学生の高学年にも見える背の低い少女だが、着ているブレザーは真新しく紺色で、胸元の徽章は緑色。真也と同じ新入生だ。
黒いボブカットに整った顔立ち、真っ白な肌の、人形のような可愛らしさを持つ生徒だった。
本人よりも大きめに購入したのであろうダボっとしたブレザーの他にはタイトなデニムパンツとグレーのパーカー。左腕には識別バングルが巻かれ、オーバードだと分かる。
その顔は、真也の知り合い…前の世界の中学の同級生であり、友人でもあった
「どうしたの? 真也」
「あの人…」
真也の言葉に、レイラも目線を向ける。
同じ生徒を見つけたのであろうレイラが、真也に質問する。
「ん? あのエボルブドの子、どうかした?」
「…いや、なんでもないよ。ごめん、待たせて。行こっか、レイラ」
真也は頭を振り、レイラと共に入学式の受け付けの列へと並んだ。
「…それに、あれはちょっと、伊織とは違いすぎるよな…?」
そう言って真也は、かの生徒の頭部を見る。
そこには、真っ白なウサギの耳が生えていた。
さらには、小さな口と鼻とは対照的に、大きく宝石のように輝く瞳は、真っ赤だったのだ。
レイラがエボルブド、と言ったのはその特徴からだろう。動物の一部が人間にくっついている、という津野崎の言葉通りの姿だった。
しかし真也は、心のどこかで「もしかして」という疑念を打ち払えなかった。
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