第六章 Hash

姦計―①―

午後9:57


 エリザベスは、目の前の存在に驚きはしなかった。


 怒りが心から生じることもない。


 あるのは、と言う事実の認識だけだった。


「ガブリエル、久しいな」


 リリスから発せられた一言は、プレストンと、エリザベスの個人警備隊に”ワールド・シェパード社”の戦闘員に、再度銃を構えさせる。


「やめろ!」


 エリザベスの凛とした一言が、周囲に響いた。


「私たちでは、殺せない……死体が増えるだけだ」


「物分かりが良い……いや、


 リリスは足を宙に置いて、苦々しく吐き捨てたエリザベスを、嘲笑を込めた。


からな……な」


 エリザベスは口の端を微かに吊り上げながら、サキを乗っ取ったリリスを見据える。


「殺したくない……不思議だな」


 腕を広げ、革帯で引き締まる胸部の谷間を強調しながら、リリスは笑った。


「我がこの肉体を手に入れることは、あの時のダンディーで宣言していた。数ある肉体の中で、適性があった……つまり」


音もなく、エリザベスの眼がリリスの顔を大きく映す。


エリザベスの鼻の当たる距離で、吐息を浴びせながら、


「我にで、この肉体は我の物。元の持ち主はのと同意語だ」


「違うな……リリス」


 エリザベスは、鼻で笑う。


のは、お前だ。肉体を捨て、確固たる個も無く、誰かの肉体を通してしか、に触れられない。しかも、特定の人物を怖がらせて従わせて、な。サロメにしても、ホステルにしても……お前たちは、から都合よく逃げているだけだ」


「”蔵書庫の天使エンジェル・イン・アーカイヴ”……その一人である、お前も、同じようなものだろう?」


 エリザベスは、リリスから出た言葉を噛み締めた。プレストンの戸惑う顔は、微かに口を歪ませた自分が映る。


「そうだ。同類だ。“UNTOLD”に踏み込んでいるからな。しかし、不思議だ。『!』と断言できる」


 エリザベスが言葉を発する度に思い浮かべたのが、サキだった。


 自分のは、殆どサロメや、リリスと変わらない。


アニカも指摘していた。だが、それでもサキは認めてくれた事実がある。


 エリザベス=ガブリエル=マックスウェル――”エリー”という存在を。


「私は、人間だ。お前が求めるサキ、お前の求めるロック=ハイロウズも。常に、に向き合い、そうあろうと願っている。私は、彼らを見届ける。一人の……」


「なら、見届けろ……。お前の言う””たちが、我の前で、変えられない運命に屈服する……その姿をな」


 エリザベスを遮る様に、リリスから光の泉が湧き出る。


 一陣の風が吹き、光は薄い布を作った。


左右対称で、黒と白。


黒い顔は、短髪の女性。


白い顔は、ローマ歩兵の兜ガレアを身に着けていた。

 

二つの盾は翼の様に広がり、リリスの浮く高度を上げる。


 親友の体を乗っ取ったリリスは、蠢き始めた雲に呑まれていった。


「プレストン、行くぞ……”ワールド・シェパード社”とオラクル語学学校にも教えてやらないとな」


 老執事が付き従い、エリザベスは護衛に向け、


が起きる、と」


午後 10:01


『ブルース、君は……色々と魅力的過ぎるんだよ?』


「羨ましい? 日本語では、こう言うのを”モテ期”って言うんじゃない?」


 ブルースの頬を暴風が撫でる。


散発的な熱波と熱風が、苔色の外套を靡かせ、彼の雨に濡れた体を温めた。


耳に付けた小型の中近距離通信機器と、そこから伝わるナオトの音声諸共、風雨がブルースを流し飛ばさんとばかりに、叩きつけている。


『少なくとも、それは多くの、またはから好意を抱かれること前提じゃないかな?』


「俺の目の前にあるのは、違う?」


 ブルースの眼前には、三体の蟹の胴体が雨に濡れた土瀝青の路地を滑走で迫ってくる。


その内の二体の胴体から伸びる長く畳まれた脚部が、雨に打たれていた。


最後の一体の持つ異常に発達させた肩部、腕部と拳が、ブルースの目を引く。


“ワールド・シェパード社”と警察の合同で開発したと言われる、対”ウィッカー・マン”兵器――”蹄鉄”。


蟹の甲羅の様な操縦部の胴体と、それを支える多脚を含め全高、約三メートル。


胴体とそこから延びる一対の排気口が、”蹄鉄”に見えるのが由来である。


ブルースも現物を今日まで目にしたことは無かったが、現在の人海戦術に変わる兵装であるという情報を得ていた。


丈夫な機械の外骨格に、”ウィッカー・マン”を押し飛ばすほどの馬力を持つ内燃機関によって、格闘戦も行える。


また、蹄鉄の種類によっては、小型噴進爆弾も搭載していると言われていた。


その結果、個人の持ち得るは倍増し、機体ごとで異なる特徴を活かし、戦略の幅を広げることを期待されている。


“蹄鉄”の名前は、アメリカ独立戦争で活躍した”ラ・ファイエット広場”の傭兵から取られていた。


長い脚を畳んだ2体は、跳躍型”ラ・ファイエット”。


肩と腕が肥大化した機体は、格闘型”コシュチュシュコ”。


後、2,3種類あった筈だが、ブルースはその名前を思い出せなかった。


それに、カイルの乗っていた機体が、見当たらない。


ロックの追跡で、何体か行ったのかもしれない。


ナオトに持たせたブルースの携帯端末を通じて、少し前に警告を送信しておいた。


“コシュチュシュコ”の鋼鉄の手が、思案する彼に迫る。


命熱波アナーシュト・ベハの高出力電場と磁場の障壁で、ブルースの頭部に掠らないよう、両腕の剣で受け流した。


ブルースの前方――つまり、ナオトの運転する車の背後――では、”ワールド・シェパード社”の装甲車や警察車両が、警告鍾を鳴らしていた。


「ウィッカー・マンを倒す」と言う人類の悲願の兵器と謳われているが、鋼鉄の蟹は、無差別に血の色を求めている様に見える。


『ブルース……ロボットの学習プログラムで鬱に近い状態にすることが出来るというのは聞いたことあるけど、と言うのは聞いたことが無いよ』


 そういって、ブルースの””が大きく揺れる。


大きく揺れた足場をかすめる飛翔体。


彼左側の歩行者用路地で、大きな小型噴進爆弾の種が植えられ、化学燃焼の炎の花が咲いた。


「……ナオト、運転が少し怪しくない?」


『韓国製のSUVとか、左ハンドルに乗ったことないから……腹筋に来ると危うくなる』


 あくまで、独立独歩なナオトの受け答えに、ブルースは前から来る飛翔体に身を低くした。


当たるとは思っていなかった。


ただ、爆発の衝撃と足元のナオトの蛇行運転に振り落とされんように、足に力を入れていた。


「無駄口止めるから……俺が武器を使える程度の安全運転で、お願いね?」


 ブルースは、二丁のヘヴンズ・ドライヴを構える。


 ナオトの運転する青いSUVの上に、ブルースは立っていた。


SUVは、婦女暴行しようとしていた、韓国人の馬鹿坊ちゃん共から、ふんだくったものである。


ヤコボから鍵をくすねた後、被害者女性たちは”ワールド・シェパード社”と警察に、無事保護された。


警察が女性たちを確保した瞬間、”ワールド・シェパード社”からの銃撃を合図に、ブルースとナオトは、非売品の韓国製SUV車に乗って逃げた。


バンクーバーでは、非常事態の為、緊急車両及び特別指定された車両以外の通行が禁止。

市街の非該当車両は、脇に止められ、持ち主が全くいない状態で放置されていた。


渋滞のない道路の移動は、走る車の配慮の手間を省いてくれたが、”ワールド・シェパード社”と警察は、肝心のまで与えてくれる筈も無い。


ブルース達は、止まることなく、追いかけられている。


ついでに言うと、蹄鉄と”ワールド・シェパード社”の装備に、SUVが、雨風と疾走する車から生じる冷気に晒されることになった。


『英国の車番組で、韓国車を煙草かサンドイッチと同じ値段と宣ったり、白色家電くっ付けて揶揄していたけど……意外と丈夫だね、これ』


「異文化理解、大いに結構。だけど、俺の耐久性はも理解して欲しいかな!?」


 ナオトが変なところに感嘆している所に、SUVの上で仰天するブルースを他所に、警察車両が二台接近。


 分かれて挟撃を仕掛けようとして、ブルースから見て右からの車両がナオトの運転席へ向けて幅を寄せる。


ナオトの進行方向の左側に車両が滑り込み、ブルースの視界の前後左右が大きく


 大きな振動が足から伝わったのを確認すると、SUVの前方左が一台目の警察車両の前方を抉る。


ナオトが左へ把手ハンドルを切ったのか、その勢いでSUV右後方が反時計回りに回転。


右側に滑り込んだ警察車両の衝突の衝撃で、SUVは回転を維持しながら前方に飛んだ。


『凄いね……SUVだけあって耐久性抜群だ』


「というか、俺のは、!?」


 目まぐるしく変わる周囲が収まると、ブルースの体幹が、足元から大きく揺れる。


 吹き飛ばされたナオトの青いSUVが、路地へ乱暴に着地した。その衝撃が車の屋根に密着した両足にも伝わる。


 SUVの後ろで二台の警察車両が、車体を凹んで減速する姿をブルースは見送った。


 しかし、彼の目の前で、蹄鉄に内蔵された加速装置で滑走する”コシュチュシコ”が強肩を振るわせながら、二台の車を吹き飛ばす。


 強肩から右腕が伸びたが、ブルースを空振り。


 突き出した左腕が車後方を、掠った。


『まずいな……スマホのニュースサイトに、僕たちが車両泥棒をしたことが流れている』


「あと一つ言うと、スマホ見ていたことによる””や””も速報されそうだから、前見て!?」


 ナオトからの通話に、ブルースは泣きださんばかりに、ショーテルを突き出した。


態勢を整える為に、コシュチュシコが減速。


小型噴進爆弾の群れが、強肩の鉄蟹を覆いながら、飛来してきた。


コシュチュシコの背後から噴進爆弾の排出煙を昇らせながら、二台の”ラファイエット”が躍り出る。


ブルースは、ヘヴンズ・ドライヴのナノ銃弾から放った強力な電磁場を車の屋根の上に展開。


破壊された小型噴進爆弾の爆音と熱波の幕が、三体の蹄鉄と追跡車両に下りた。


だが、蹄鉄と車両は蛇行させながら、ブルース達の乗るSUVに食いつく。


「上のヘリを見ろ。ご丁寧に、軍隊まで出て来やがった!」

 

ブルースの目視で、二カナダドル程の大きさで浮かぶ、軍用ヘリが見える。


 相当、都市部の低い高度で飛んでいた。


『ブルース、君にはこの車を、守ってもらわなければならない』


「それも正しいけど、も少し上げてくれない!?」


 耳に付けた中距離無線通信機からの、ナオトの声にブルースは絹を裂かんほどの叫びを上げた。


 ブルースの靴の裏では、ナノマシンで強化された分子間ファンデルワールス力を発するナノ繊維が車の屋根に張り付いている。


トッケイヤモリは、足の裏に“ラメラ”という肉皺を持っている。


ラメラは、大きさ5ミクロン、長さ100ミクロン強の剛毛で、先端が多数に分かれた箆の形を作っている。


箆の先端は、幅が0.2ミクロン、長さ0.2ミクロンの三角形が、1本の剛毛に100個から1000個存在すると言われ、トッケイヤモリには650万本と言われている。


そこから生み出せる接着力は、理論上、剛毛を面の垂直に動かして40マイクロニュートン。水面に動かした場合は、200マイクロニュートンとなる。


ヤモリ一体の体重100gにつき1ニュートン掛かり、自分の脚一本で全体を支えられる。全身の場合は、接着面で1300ニュートンの重さを支えられる。


飛び交う電子の磁場で生じる分子間ファンデルワールス力は、50から60ミリジュールの付着力を持ち、10ナノミリメートル内でしか効果が無い。


だが、同力は理論上、、接着面が広がるとその力は加算される。


ブルースの力は、全身でへばりついてはいないが、体重6000から7000ニュートンの人間車両砲台と化している。


車両の後ろに迫っている人型戦車に、“ヘヴンズ・ドライヴ”から銃弾を放った。


空気抵抗を無視し、加速化されたナノ加工銃弾は、衝撃波を伴って3体の蹄鉄の胴体に向かう。


だが、鉄の蟹を弾く雨粒と共に、弾丸は宙を舞った。


『ブルース、先ほど走っている道だが……パークドライブだ。もしかしたら……』

 

耳に付けた中距離無線通信機から伝わるナオトの声に、ブルースは考える。


軍のヘリコプターの動き、交通規制された路地に、背後は警察車両、”ワールド・シェパード社”の車両と同社の”蹄鉄”。


「橋にたどり着いたら不味いな」


 パークドライブを抜けたライオンズゲートブリッジの向こう側は、”ワールド・シェパード社”の拠点がある。


このままでは、袋の鼠だった。


 ブルースは、ヘヴンズ・ドライヴの照準を警察車両に向け、発砲してナノ加工弾をばら撒く。


 狙いを定めることは、出来ない。


どれだけを発しても、転向力は変えられないからだ。


銃弾が、弾道を逸れつつも、背後の車両と二足歩行兵器に向かう。


警察車両と”ワールド・シェパード社”の装甲車の車体表面を削り、タイヤを撃ち抜いた。


 それぞれの車両の車輪のゴム部分が破裂し、蛇行。


後続車両は、先行する蛇行車の波に呑まれ、事故車の渦を作った。


『背後を見ろ、ブルース!』


 ナオトの叫びに、ブルースは振り返り、SUVの進行方向に目を向けた。


 車両前方に”蹄鉄”――ラ・ファイエット――が一機、降り立つ。


 ブルースは、“ヘヴンズ・ドライヴ”の弾丸で、“ラ・ファイエット”の脚部の関節部分を狙った。


両脚へ放たれるナノ強化弾丸は、右脚部を貫いた。


しかし、大きな胴体は倒れない。


彼は脚部に目を向けると、”蹄鉄”ラ・ファイエットの脚部の走行キャタピラが、土瀝青の路地を滑走していた。

 

ブルースの後ろ髪を、突風が撫でる。


コシュチュシュコの腕が、SUVの屋根の上を潰さんと、振り返り様のブルースを捉えた。


伸びる鉄腕の拳は、成人男性の胴体の大きさ。


解体現場の鉄球付きショベルと同じ速さというおまけ付きである。


ブルースは、足についていたナノ繊毛を引き剥がしながら、避けた。


右半身を大きく切って右足を引いたので、左足と左半身だけで”コシュチュシコ”と対面になる。


ブルースは、左脚一本で上体を大きくのけ反らせた。


彼の腹の上を、鉄球拳の微風が擽る。同時に肉迫してくる人型兵器を避けんと、ブルースの足元の車が反時計回りに、大きく凸を描いた。

 

急襲と急な方向転換に絶えられず、ブルースは左脚一本で振り回される。


脚一本で体を支えるブルースは思わず、コシュチュシュコの突き出した右腕にしがみついた。


肥大化した両肩の蹄鉄が、上半身を左右に振り回しても、トッケイヤモリの接着力のお陰で落ちない。


ショーテルで、ブルースの両手が塞がっている為、両腕を交差させて鉄腕に引っ付いている。


蹄鉄からの攻撃を受けない反面、ブルースの行動範囲は限定された。


 状況を頭で整理していると、ブルースは背筋が凍り付く。


「もしかして……」


 ブルースのごちた言葉と戸惑いが、衝撃でかき消される。


が、SUVのだ。


 コシュチュシュコの鋼鉄の拳が放たれるとともに、苔色の外套の戦士は、ナノマシンで作られた両腕のラメラを消す。


拳の放った反動で、宙を舞い、両手から腰の後ろに”ヘヴンズ・ドライヴ”を留めた。


引き戻された鉄蟹の剛腕に、ブルースは右腕一本を掛ける。

 

肩部発達型”蹄鉄”の機械仕掛けの右拳は、ナオトのSUVに届かなかった。


鉄塊から離れたSUVは、逆時計に大きく回転。


前から迫る”ラ・ファイエット”の左側を、SUVは回転から生まれた推力で抜けた。


コシュチュシュコの行き場を失った拳は、ラ・ファイエットの甲羅胴体に迫る。


当たる寸前、ブルースは、その時に得た衝撃の反動で、脚を振り子にした。


右腕を離して跳躍し、大きく二体の人型兵器を離れる。


警察車両のボンネットに、苔色の外套の背を盛大にぶつけて着地した。


 警官は、飛んできたブルースに驚いてハンドルを大きく切る。


車体の先端は、三時の方向を振り切り、回転滑走を行う。


 ブルースの壊したパトカーが路地を蛇行させられ、後続の警察車両を阻んだ。


減速する警察車両を突き飛ばしながら、”ワールド・シェパード社”の車両がブルースに迫る。


窓越しから、電子励起銃が覗いていた。


壊れながらも惰性で走るパトカーの屋根に上り、目の前の光景にブルースは息を呑む。


 ”ワールド・シェパード社”側にが、からだ。

 

それは、の”ラ・ファイエット”。


 その姿を見つけた時は、大きく距離を離して、ナオトのSUVの上を飛んでいた。


 更に、先ほど殴り合った二体の蹄鉄もナオトの駆るSUVを、視界に入れる。


 ブルースの目の前で、ナオトの駆る青いSUVが、三体の死んだ蟹に囲まれていた。


 彼は、両腕の銃を前方と背後に狙いを定める。


二丁拳銃自体は、命中精度は高くない。相手の注意を引くのが関の山である。


引き金に指を掛けた時、追跡者たちの背後で大きな黄金が突き立った。


“ワールド・シェパード社”と警察車両の運転手は、背後の火柱に茫然とし、速度を落とし始める。しかし、速度を落とし始めた車両を一台ずつ爆炎が呑み込んでいった。


警察の灯す警告灯よりも、煌く炎柱が路地の幅一杯に広がる。


円柱の中心には、左半身が銀色に染まる男――ケネスが浮いていた。


「さあて、サロメ! お望み通りかましてやるぜ!!」

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