刃夜―⑦―

午後8:32 グランヴィル通りストリート 

イェール・タウン内のアパートメント


 二十階の高層住宅のベランダから見える紅。


 季節を選ばず咲く薔薇か、春の陽気を待つ日除け傘か。


 少なくとも、何れにもはない。


窓から自分を迎える、は、よく分かっていた。


「今、このような場所に来られても困ります」


 犬耳の黒兜を脱いだ、白の装甲の女。


 口から出た拒絶の言葉とは裏腹に、室内光と夜の闇により、能面の様な顔から”笑顔”を浮かぶ。


「ナニーに見つかったらどうするのですか……?」


サロメに向け、カラスマ。


光の角度で変わる顔の眼に映る、赤い唾帽子と乳房の谷間が、胸に描かれたハートの窪みを描いたドレスを纏ったサロメ。


それが、紅いドレスの裾を靡かせながらに立っていた。


「これから。それなのに……お仕事ですか?」


 轟音と共に白煙が、コンドミニアムの森を超えた場所から上がる。


けたたましく警鐘音を鳴らした、警察車両、救急車両に消防車両が、雨降る夜の静寂を切り裂いていった。


 夜に合わない喧騒に、サロメは象牙眼を輝かせる笑みに満ちた顔を、カラスマに見せながら、


「サロメ……私の職業は、を行うに座ることですよ?」


 カラスマの髪から洗髪料の匂いが、サロメの鼻を擽る。薔薇ではなく、ラベンダーだった。


「それに、子持ちの私に。はありません。見る方でも十分面白いですよ? それが仕事なら、猶更。享楽として、お酒が飲めないのが残念ですけどね」


 見上げて言うカラスマの眼で、サロメは石榴色の唇を吊り上げた。


が為に、私と手を組む……刹那的ではありますが、中々面白い趣向です」


「刹那的ではないわ、サロメ。母親にとって子供は……自分の痛さで産んだものは掛け替えのないものなの。その子が安心して暮らせるなら、何でもするわ?」


 カラスマの沼の眼の煌きが捉えたのは、サロメの同伴者


 四本足の”クァトロ”が、二体。象牙眼の魔女の後ろに聳え立つ、コンドミニアムの塔の頂点で佇んでいた。


人類の敵”ウィッカー・マン”を映すカラスマの眼に、恐怖による揺らぎは見当たらない。


を、子供の為に使う……。子供は未来の宝ですから」


「だから、”ブライトン・ロック社”、”ワールド・シェパード社”も争わせる。泥沼になれば、動員する戦士を組織は増やさざるを得ない。育成機関としての儲けも得られ、前線にも出られる」


 サロメの石榴色の弧月の弧が、笑みで大きく広がる。


「それに、人が集まるならも必要だわ。投資移民たちへ売ることも出来、産業も潤うわ。薬や売春に苦しみ、教養や言葉が分からない人たちも、”ウィッカー・マン”が掃除してくれ、


 サロメは、夜の気に当てられたカラスマと言う淑女を見る。


 彼女がカラスマと出会ったのは、四年前のバンクーバー。


亭主の配偶者暴力から、子供と共に逃げていたのを見かけた。


彼女に惹かれるものを感じたサロメは、匿うことにした。


心に逡巡するを見定める為だったが、カラスマから語られる過去にサロメは興味を引いた。


日本の何処かの町で、物心がつき始めた時にカラスマの父親は失踪。


母子家庭相応の苦難が降りかかるが、彼女たちは乗り越えた。


乗り切ったカラスマから、サロメはを感じた。


カラスマ曰く、のモノらしい。


カラスマの母親から受け継いだ気質による向上心で、日本の義務教育を通しては、全て右肩上がり。


高等教育への切符も手にし、カラスマは海外にも当然、目を向けた。


母親が生みの親以前に、付き合っていた男性との思い出の場所と聞かされた地――バンクーバー。


労働休暇ワーキングホリデーにより、語学と労働の両立に成功したカラスマは、海外展開を視野に入れている日本企業への就職を目指した。


 母親の背を見ていたが、彼女が海外で暮らすことは出来ないことを、カラスマは理解していた。


母親が生きている時に、その答えを得ることは叶わなかったが、カラスマが高等教育の時で得た知識を活かすことが出来、海外展開を行っている日本企業を探した。


 その甲斐あって、ある日本商社のバンクーバー支店に就職が決まる。


しかし、が、カラスマの運命を狂わせた。


”とも言える、駐在員の妻の面倒、を扱う本社の社員に挟まれながらも、商取引の慣習の違いをすり合わせる日々。


英語圏に来た日本人の傍若無人さに、カラスマは消耗していった。


仕事ではなく、むしろ「」のお守り。


それに耐えられなくなったカラスマは、学生時代に制限していたバンクーバーでの活動範囲を広げて””。


留学時代なら避けていた、””や””の行為にも染め始める。


 自分探しの一環で、現地人しか行かない酒場で見つけたのが、夫となる人物だった。


彼は聞き役に徹し、彼女は精一杯吐き出した。


だが、の違いが分からなかったのが、彼女の人生の汚点となる。


 その果ての””が、も決定づけた。

 

 商社の仕事も寿退とは程遠く、本社の指摘したと彼女のの水掛け論に終わる。


会社から離れ、享楽に耽る生活を通し、夫となった人物の刹那的で浪費家である一面が、日を追うごとに明らかになってきた。


浪費家の間に生まれた子供との時間も、カラスマの精神を蝕んでいく。


また、夫の育児への責任感が気質持ちで、接し方のも激しい。


季節労働者で建築業界とは聞いていたが、絵に描いたような駄目男だとは思いもしなかった。


は、夫の刹那的な生き方によって膨れる債務と、育ちゆく子供に表れ始める。


サロメと出会ったのは、彼女の亭主の暴力が、カラスマだけでなく子供にも、牙を剥き始めた時だった。


 サロメは、カラスマの商社時代の経歴に注目した。


語学に関しては、英語を第二外国語と教える教員資格、TESOL(Teaching English to Speakers of Other Language)を保有。


 カラスマによると、日本の大学を休学し、初めのカナダ留学をした時に取ったらしい。


企業も投資をするのは、商品ばかりでなくにも行う。教育を通して、更に戦力となる人材を育み、売り上げに貢献させる必要があるからだ。


彼女の背景を活かす為に、サロメはカラスマを助けることにした。カラスマの中に潜むものを見極めたいというも、大きかった。


浪費壁を持つ男は、カネにモノは愚か、も同じように扱う。


サロメは色目を使い、カラスマの夫を油断したところで殺した。


死体を隠したが、未だに見つかっていない。


 それから、カラスマを語学学校校長に仕立て上げる。


 語学学校に天啓オラクルと付けたのは、サロメでなく、カラスマだった。


“ワールド・シェパード社”の教育も担当することで、同社の活動を支援と共に、戦力も把握できる。


土地は、その”ウィッカー・マン”対策で投資移民たちの機関投資家の管理する実態のない会社や協賛する団体に買い取らせれば良い。


 それが、“ベターデイズ”である。


“ウィッカー・マン”の襲来を受けた住居と土地の情報を取得。高所得移民の管理する住居を建て、留学生とホストファミリーを滞在させ、金を循環させる経済圏。


 ”ウィッカー・マン”を倒そうが、それに倒されようが、


 TPTP加盟国の、外資系企業を守ることで”ワールド・シェパード社”も活動範囲を広げることも可能だ。


「一層のこと、五輪キャンプと同じ、対”ウィッカー・マン”専用キャンプでも作らせましょうか……の前には、が必要ですから。ベターデイズにも働いてもらわないといけませんね」


 まるで、カラスマは子供の飯事ままごとを楽しむ様な口調で続ける。


「それに、イーストヘイスティング通りストリートから逃れたホームレス達――加えて、も使わせて頂こうかしら。スムーズになるわね。紅い外套の守護者クリムゾン・コート・クルセイドという存在――も有効に使わないと」


 ”ウィッカー・マン”襲来以来、路上生活者は壁の向こうで命を絶たれるか、壁の近くで雨風を凌いでいた。


支援者がいる場合は、路上生活者用に開放された宿泊所にも行ける。


そうでないものは、過酷なに身を費やすしかない。


ウィッカー・マン襲来前、前市長は生活弱者向けの住宅建築を計画、建設を行おうとした。


だが、反対運動がエレン=ウェザーマンによって、引き起こされた。


カラスマも、その中にいた。


 住宅問題で逼迫しているのは、犯罪当事者、配偶者暴力にあえぐ路上生活者である。


だが、カラスマ達住宅反対派は、「」と言い、も含まれる生活弱者をことを宣ったのだ。


「自己責任だから」と、不条理に喘ぐ単身親世帯を攻撃し、路上に這いつくばらせる。


サロメは、に興味があった。


カナダの活動への報酬として、サロメは、カラスマにグランヴィル通りストリートのイェール・タウンの高級コンドミニアムの一室も提供した。


 訓練されたベビーシッターもサロメが用意したが、カラスマによって拒否された。


 カラスマが、日本の労働休暇ワーキングホリデーの女性を選んだからだ。


 カナダ全土で保育士不足であり、バンクーバーでは待機児童問題がある。


 また、日本の保育士資格を現地に書き換えることも出来るが、どうしても一年以上掛かる。


 ベビーシッターの場合、現地の保育士資格が無くても、保育士と同等の仕事が可能で、そちらの需要も多い。


 特に移民二世、三世の子供には、非英語圏の外国人ベビーシッターが強く求められている。


 しかも、彼女の子供を世話するベビーシッターへの報酬は、安く済ませている。


 労働休暇ワーキング・ホリデー用査証で、渡加した日本人女性に、法的な知識や保護者も皆無。


 所謂、机の下の取り決めアンダー・ザ・テーブルで支配していた。


 カラスマの母親譲りの


 サロメは、に気付いた。


 彼女たちの視界に、。自分たち中心だから、彼女の中には愚か、もいない。


出自を問わず、人を””を方便に排除し、価値観の一致する者は、飴と鞭で従わせる。


 当然、アンドレ=リー以前のバンクーバー市長は、公共住宅反対運動を「」と敵対。


裁判所も市長を支持する形で、反対活動を不当とした。


 だが、選挙で選ばれた現市長は、し、投資移民受け入れに緩和の姿勢を見せる。


 “ウィッカー・マン”に立ち向かう為の、技術が必要になった。外資や人材も。


非常事態の下の政策過程で、ベターデイズ、カラスマの運営するオラクル語学学校、市政府との繋がりが作られたことは、想像に難しくないだろう。


宙ぶらりん内閣ハング・パーラメントのスプリングショーも、雇用と産業を守る方便で、黙認するしかない。


“ウィッカー・マン”との戦いが市内に持ち込まれれば、も出るだろう。


その何人かを助ける為に、”ワールド・シェパード社”も出動する。


多くを助けられなくても、何人かが予算が計上されるだろう。


 カラスマの””が、バンクーバーを


 その為、、“”の


――同類相哀れむではなく、同類までも殺すとは……。


 何処までも、と考えるが故に、を知らない。


そういう者は、共通して何処かにいるとされる「」を探す。


カラスマと彼女の母親の楽観論――それによる多様性は精々、色映えが良く、美味しそうな、日本の程度でしかない。


自分を見出し、弁当の中身に


 ただ、用意した枠に収まるのは、自分たちの目を楽しませるでしかない。


それ故、カラスマの眼に映る””は、


「自分は何処までも、今いるところにしかいない。ですよね……?」


 サロメが小さく言って、コンドミニアムの頂点から見下ろす”ウィッカー・マン:クァトロ”の一体に話しかける。


 ”四つん這い”は、ただ雨に打たれるまま動かない。


 カラスマは、話していて気分が良くなったのか、足を軽やかに部屋の奥に運ぶ。


 その様子を見送ると、サロメは目を閉じる。


 瞼の裏に浮かぶのは、木片と銀鏡色の爆風。


 ロック=アンドリュー=ハイロウズは、喫茶店内に突っ込んできた”クァトロ”を数体屠る。紅い外套は、肥沃なる河の栄華の都を屠った紅嵐を思わせる荒々しさで、翼の剣を振るった。


 サミュエル=パトリック=ハイロウズは、距離を置きながら、覆いを外した散弾銃で”四つん這い”を、左胸ごと撃ち抜く。


彼に連れられた桃色のトレーナーの少女は、サミュエルに近づく”ウィッカー・マン”に触れ、”クァトロ”同士を戦わせていた。


 協力者の人間たちが見えないが、ロック達が早い内に逃がしたのだろう。


 前に並んでいた”ウィッカー・マン”を紅い外套の少年が、仁王立ちの灰褐色の偉丈夫ごと斬りかかる。


アンティパスと呼んでいた男は、肩幅で構えていた足腰を崩さず、ロックの翼の様な剣から放たれた右袈裟斬りを、大砲の様な剣で受け止めた。


 紅色と砂漠色の衝突が、硝子の食品展示棚とエスプレッソマシンを、破壊と衝撃の渦に飲み込む。


 遠心力に浮いた店内の机や椅子が、サロメの瞼裏に広がる視界を覆った。


一房に揺れる金の長髪を結んだ男が、輝く何かを振り下ろされる場面に立ち会い、サロメは思案。


――本当の自分は、探すものではない。は、世界の全てと戦うために、自分を作り上げていった。

 

遠い喫茶店で、様々な情念が込められた二対の青い眼光に貫かれた象牙眼の魔女は、愛おしさと狂おしさを全身で味わう。


――本当の私を求めて、彼らは””を屠っていく。


 銀鏡色の生命の群れが、少年たちの前に倒れていく度に、サロメの中で昂ぶりが増していった。


――そして、サキもリリスも……”燔祭”を通して、本当にあるべき姿を作り上げていく。


 サロメは、瞼に映る破壊の残響から、夜空に集う雲に目を向ける。


バンクーバーでの、血と魂の蠢きを雲が受肉し、律動しているように見えた。


「無数の熱と魂が……集まっていく。たった一人の完全なものを作り上げ――」


 その先を、サロメは言わなかった。


硝子越しのカラスマと目が合ったからだ。


彼女の左手に葡萄酒用のグラス、右手には葡萄酒の入った瓶。


そういえば、カラスマから、酒は余り嗜まないというのをサロメは思い出した。


育児故に、酒は良いものと思われない。


しかし、口では興味のない素振りを見せながら、内心高まる何かを抑えつけられないように映る。


「私はこれから、仕事に出ます。貴女と祝杯をあげたいところだけど……これは、前祝として受け取って頂戴?」


言葉を出さず、サロメはグラスを受け取った。


 考えていることは違うが、カラスマも同じくを感じている。


その愉快さを、酒の肴にしようと、サロメは決めた。


カラスマから注がれる葡萄酒の音が、サロメの耳に心臓の鼓動の様に伝わる。


血の様に紅い葡萄酒の残響に浸るサロメの背後で、激しさを増す雨音。

 

 カラスマの後ろで、受像機の映像と音声が流れる。


 雨が長く続く余り、水害の発生の危険性の高い自治体で避難が行われているという一報。


専門家も、ことに、受像機の中で困惑の色を顔に浮かべていた。


 サロメは紅い葡萄酒を口に含むと、硝子の盃が彼女の笑みを映す。


 受像機の中の者達のを肴にしたサロメは、夜に広がる雨天に目を向けた。


二人の女を見下ろす雲。


その一つ一つが混ざり、青白い、月白色の光が帯び始めた。

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