刃夜―③―

 24時間営業の珈琲喫茶店、”Perch”。


 時間の制約が無い所為か、客層も大学生や享楽帰りの酩酊者と、背景を選ばない。背景を選ばないこともあって、珈琲や甘味以外も、パスタは愚か麦酒も楽しめる。


その代わり、大規模店舗の珈琲店より、価格は割高傾向となっていた。


 ロックがここを選ぶ理由は、注文が多彩というよりは、目の前の赤毛の女性の存在が大きい。


「ジェニー……悪いな、大勢で押し掛けて」


 ロックは謝罪を、空いた円卓の端に腰掛けるジェニーに向けた。


「その代わり、フィリップに椅子代の弁償ね?」


「そっちは、シャロンに言ってくれ。ここを使わせて貰って言うのもアレだが、金を払う覚えもないし、特ダネも無い」


 ロックの座る円卓の向かいに、サミュエルとシャロンがいる。


立て替え先に突き出されたシャロンは、円卓の向かいに座るロックへ飛び掛かろうとしたが、隣のサミュエルに右手で制された。


飴色のジャケットに包まれた右腕の向こうで足掻くシャロン。彼女に合わせて揺れる水色と白の毛糸帽子の円錐が、不機嫌さで起立する猫の尻尾と重なる


「まあ、ロックに助けられたのもあるから、今は置いておいてあげる。せめてチップ代はボトルにね」


 そう言うジェニーの細い指は、硝子の展示台の上に置かれた大瓶へ。


銅、アルミニウムに紙幣が幾つか無造作に放り込まれている。


彼女の瞬きの奥の眼に、ロックは辟易した顔を映した。


 ジェニー=オースティン。


ロックより少し年上の赤毛の女性だが、大きな瞳と皺のない目尻による無垢さで、目の前の彼女は自分よりに見える。


彼女の纏う革ジャケットと群青のデニムが、肉体の黄金律を戦闘的と言うよりは活動的に映えさせた。


 バンクーバー市で未読者がいないと言われる無料情報誌、”A Flash Of Nano”。


主に路上生活者、留学生に企業など社会問題等を扱っている。


街を騒がせる話題や事件を追及する様は、高級紙でも舌を巻き、経済学を専攻する学生だけでなく、からの寄稿も後を絶たない。


目の前の女性は、そんな話題の情報誌の創設者にして、前線の記者でもある。


その設立にロックが――間接的にだが――関わっていることを、人伝で耳にしていた。


「注文なしのチップだけは勘弁してくれよ?」


 その間に入ってきたのは、黒人のフィリップ。体躯は、筋肉隆々ではないが、無駄な脂肪が無く、強靭で引き締まっている。


無駄のない肉体の持ち主の彼が両手に持つのは、茶色の盆の上に乗せられた三つのマグカップだった。


 それが、丁寧な動作で置かれていく。


 ロックは、珈琲に砂糖もミルクも入れない。


 シャロンの場合は、ホットレモネードで、冬の季節に相応しい注文である。


 しかし、サミュエルの場合は、


 ロックは視線で、サミュエルに胸焼けを訴えるが、


「……兄さんも飲む、ココア?」


 見当違いの弟からの善意を、ロックは顔を顰め、丁重に断る。


 ココアの上のホイップクリーム。更にチョコレートとシナモンの粉末がまぶされ、白と薄桃色のマシュマロも入っていた。


しかしながら、熱いココアの茶色と溶けたマシュマロの淡い色合いが混じった、得体のしれない飲み物――否、憚られる代物と化している。


「……見ているだけで糖尿病か高血圧になりそうだ」


 ロックは顔を顰めながら、手元の珈琲に口を運び、円卓に置かれた情報通信端末に目を向ける。


 待機画面で湖面の様に浮かぶ、一本の櫓を模した黒地の白抜きのイラスト。


「サマナーも含め、望楼ヴェルヴェデーレは今回の出来事を注視している……」


 サミュエルの言葉に、ロックはタブレットから視線を離す。


望楼ヴェルヴェデーレ


 ”サマナー”という人物を中心とし、技術の思わぬ形で当事者となった者たちによる、その悪用を監視する為の民間の反“UNTOLD”組織である。


その活動は多岐に当たり、ジェニーの経営する“A Flash Of Nano”誌や、珈琲喫茶店”Perch”の資金援助も含まれていた。


“ブライトン・ロック社”も監視組織に含まれるが、軍需産業、企業による独占や団体の使用に厳しく制限を課す反面、命導巧ウェイル・ベオ命熱波アナーシュト・ベハ使いを手元の戦力として保有するを抱えている為、望楼ヴェルヴェデーレと対立していると言ってもいい。


 しかし、それでもロックがエリザベスから接触を許可されているには理由がある。


「サロメの動きは?」


 ロックは珈琲を飲んでから、口を開いた。


 “望楼ヴェルヴェデーレ”の監視範囲は、政府、企業だけでなく大小問わない組織や団体――無論、も含める。


“ブライトン・ロック社”、”ワールド・シェパード社”に望楼ヴェルヴェデーレは、サロメの所属する”ホステル”のUNTOLDによる破壊活動を警戒。


その動向の監視する為、三者は情報を共有していた。


無論、この協力関係は、何れの強硬派からも良い思いはされていない為、“”扱いであるが。


エリザベスとブルースは、“も探る為、接触に許可を出したのだ。

 

 Perchは、その際の接触や情報交換に使われる拠点の一つである。


「本当の顔を見せずに、こそこそやっている……恐らく、バンクーバーで色んなアクセスを得ているよ。“ワールド・シェパード社”、バンクーバー市やB.C.ブリティッシュ・コロンビア州、移民社会……下手したら、アメリカも」


 ロックは、サミュエルの眼に映る嫌な顔の自分を見て、


「……何でアメリカが関係あるんだよ?」


「“鬼火”のヘンリー=ケネス=リチャーズ。英国で暮らせなくなった彼を、アメリカがコンタクトを取ってカナダに入国させたみたい。彼の狙いは、僕かブルースへの復讐もあるけど、視野を広げると、ナオト=ハシモト専務の失脚……かな?」


 サミュエルがココアを一口入れ、苦い顔でロックは考えを整理しながら言う。


「ナオトを倒すまではいかないが、事態の収拾に時間が掛かれば、アイツの責任になる。また、アイツに友好的な勢力も減らせる。米法人企業の護衛の名目で、人員を送ることも出来る」


「エリア51も、これを足掛かりにして研究の主導権を取り戻したいんだと思うよ」


 サミュエルの推測を聞きながら、目の前の珈琲を、ロックは賞味しながら思考に入る。


 “UNTOLD”の扱いは、元々、エリア51の管轄だった。航空技術を主に扱うので、当然“”も含まれている。


しかし、その主導権を英国の“ブライトン・ロック社”に奪われた。


アメリカ政府はそういった研究がエリア51で、共和党は愚か、民主党の意向も超えて行われるのは不本意だろう。


その結果が、大統領権限から離れた、“原子力委員会”による“原子爆弾製造”だった。


UNTOLDが政府の手を離れ、第二の米国製”大量破壊兵器”を作った汚名は避けたい。


たとえ、“ワールド・シェパード社”を通しても、UNTOLDを“ブライトン・ロック社”から奪取し、手元に置きたいはずだ。


「ミカエラ=クライヴ……ビリーの件で、彼女は兄さんを相当恨んでいるからね」


 過去の事実を躊躇わずに言う弟、サミュエルがロックは苦手だった。


 “ワールド・シェパード社”の専務となる筈だったミカエラの弟――ビリーも含めて、クライヴ姉弟の、UNTOLDに向ける敵意は並大抵のものではない。


特に姉の執念は、と言っても過言ではなかった。


まして、彼女の弟の死に、ロックが間接的に関わっているから、この事態は笑えない。


「カラスマのオラクル語学学校を、その傘下に入れたがっている。移民や留学生に、労働ビザと市民権を餌にこき使いたいだろうし」


 ロックたちが先ほど退けた者達は、実行部隊の”スコル”だろう。


彼らに街の壁の外に向けて銃を撃てても、言語の壁は崩せない。


また、民間軍事会社の募集人員は、軍隊経験者の中途採用だと、どうしても報酬が高くなる。“ウィッカー・マン”の様な未知の存在と戦える人材は、雇うよりも対費用効果の面から、


外資による利益に掛かる税金は、中東動乱に比べれば、ゼロでは無いが


語学学校が、座学と初歩訓練をこなし、身元保証も兼ねているのは都合が良かった。


「“ウィッカー・マン”は人類の敵、と刷り込めば躊躇いもない。語学学校卒業後のキャリアを提供しやすい」


 オラクル語学学校の評判も高くなることを、ロックは考える。


 ロック達“ブライトン・ロック社”の協力者の排除に、カラスマとカイル=ウィリアムスが乗り出さない訳がない。


「ついでに、“ワールド・シェパード社”の社員を兄さんが、も出来る……日本の諺でいる『江戸の敵を長崎で討つ』ってやつだよね?」


 サミュエルの言葉で、ロックは、珈琲とは違うが舌に伝わる。


 ロック達や、彼らと交流している専務のナオトが共通で危惧していることは、“ワールド・シェパード社”が傭兵時代に中東で行った殺し合いを、大都市で行うことだ。


人類の敵を倒す為に、は無用な敵を作り、最終的に味方からの離反者も出す。


英国で何度か刃を交えたロック達“ブライトン・ロック社”からも、人間然とした争いで離反する者が後を絶たなかった。


命熱波アナーシュト・ベハ使いも含めて。


「それでも、兄さんはと違って、死者を出さないようにしている。相手と装備を見ながら、攻撃しているよね」


 ロックは、サミュエルの言葉に肩を竦める。兄の苦い顔を無視しながら、弟はココアを飲んで続ける。


命熱波アナーシュト・ベハで強化された打撃……“ウィッカー・マン”の外装が壊れる程の衝撃なら、相手を気絶させるには申し分ないからね」


 弟の眼に映る俯き加減のロックを他所に、サミュエルはココアを傾けた。


「ついでに、兄さんが羽交い絞めにして銃を撃たせた女性……お腹を守っていたけど、妊婦だったんじゃないの? そもそも、妊婦がで、ということは、社会保障に社会福祉……は愚か、相談も碌に出来ない程、困窮していたから……。それに撃たれた奴らは、バンクーバーで燻っていたギャング達……違う?」


 “ワールド・シェパード社”の傭兵は、移民二世だけでなく生活困窮者もいる。反社会的勢力に身を置いて社会に復帰した者、精神疾患で職を得られない者に、生活設計に失敗した女性もいた


当然、方が集団を支配する。


所属する会社からを提供されても、力関係が変わることはない。


 ロックがその装甲を攻撃し破壊することで、武装した荒くれ者達への威嚇も兼ねていた。


命熱波アナーシュト・ベハによる強化による攻撃は、情報端末が集まっている兜の顎付近か、最も強固な腹部に限定している。また、荒事に慣れている者には、腕や膝も潰すことを心掛けていた。


「殺されるよりは、がやり直せるからな。それに、あんな物騒な銃を撃つことで、も学べたんだから、子供への良い情操教育になるし、再就職先に傭兵を選ぶ気も無くなるだろ……撃たれた奴らも含めて」


「……『”ワールド・シェパード社”からが出るから』という言葉が出ないなら……僕から見たは、ではないようだね」


 サミュエルの指摘に、ロックは珈琲を一口入れ、口端を釣り上げて、


「それに、多様性を求めて戦うなら、いろんな敵が来ることも想定して欲しいけどな。金目当てで、譲れないモノを背負わずに戦う奴らの授業料が、命導巧ウェイル・ベオじゃなくて、俺らの拳かだ。金に目が眩んで、人を撃つのが禄でもないことを学べて、会社から金と休暇も貰える……感謝してほしいものだ」


「金目当てで銃を向けた後の休暇と臨時収入が、病院のベッドや保険は笑えないけどね――って、今は、兄さんと“ワールド・シェパード社”の福利厚生の討論の為に時間を割いたわけじゃないからね。調べて来たよ。サキ=カワカミについて」


 サミュエルの言葉に、ロックは、息を呑んだ。


「サキが、白光事件の生存者というのは知っている?」


「生存者というのは聞いたが、深くは聞いていない。とは言っていたが、どれほどだ?」


 ロックがそう言い終えると、シャロンが電子情報端末を目の前に置く。


液晶画面に映る日本人の男女をサミュエルが示した。


「厳密に言うと、関わっていたのはの方が、ね。カワカミ博士……夫婦ともどもAI研究、特に“2045年問題”の研究と克服に力を入れていた」


 示された端末に表示される情報は、技術的特異点シンギュラリティの克服方法としての一つの提案だった。


 人工知能の問題として、深層学習の汚染が挙げられる。


最近、人工知能によるSNSの応答の結果が、“”と“”だったというのは、有名な話だろう。


また、欧米の開発者中心で電脳空間が作られた為、祖母と検索したら、白人しか現れなかった事例と枚挙に暇がない。


 それらを予言していたカワカミ博士は、こういった。


『機械はあくまで機械でしかなく、使う側によれば、益にも厄にもなる』


AIも人間と共に学ぶ存在にするため、AIの蓄積された学習データと人間を常に同期させる。


その同期で更新させたデータを、ビッグデータにして保管。


そうすれば、誤った判断をさせず、知識を更新し、常に人間を学びながら、AIも使いこなせるとした。


「その手段として、“リア・ファイル”。ムーアの法則の限界でもある、熱の発生による半導体の発展の妨げもなくなる」


ロックは一息ついて、珈琲を一口含む。


「同時に、熱量伝達にも役に立つから、発電や環境問題の解決にも繋がるわ」


 何時の間にか、フィリップから受け取った珈琲を飲みながら、ジェニーがロックの考えを引き継いだ。


「そのエネルギー開発の実験に、サキの両親が関わっていた。日本政府肝いりの実験でもあったけど、事故に続けて、翌年の震災もあって色々混乱しているって話よね?」


「日本の運動家によって現政権批判のために、悲劇のヒロインに担ぎ上げられそうになったかと思えば、国益主義者の日本復興の象徴にもされかけたらしい。周囲もその被害を受けた。しかも、“ヒロシマ”を引き合いに出される始末だ。事態の推移を重く見た政府が、“ワールド・シェパード社”へ秘密裏に、カワカミ博士の親類や関係者を近隣の自治体に避難させた。サキと友人も例外じゃない」


 ジェニーに話題を振られたフィリップは、鍛えられて隆起した黒い両腕を組みながら、溜息を口から吐きだした。


少数派マイナリティ―の置かれている現状に良い思いをしないのは、フィリップも同じだ。と、


 当事者ではなく、“輿”として担がれることしか選択肢を与えられず、断れば、圧力を加えるものとは違う理由――――で攻撃される。


 ロックの二つ名、“深紅の外套の守護者クリムゾン・コート・クルセイド”も欧州解放と同じ奇跡を起こすとも持て囃されている。


だが、“


 サキも、便


「兄さん、サキのことは気にしない方が良いよ」


 ロックは、サミュエルに言われ、意識を戻した。


は似ている……けど、?」


 クリームやマシュマロで溶けた、ココアをサミュエルは飲み干して言う。


「それでも、アイツは――」


噛み締めながらも、ロックは口を開けた。


「今度は誰の代わり? 僕たちの妹のレナ……それとも、サロメがファン?」


 サミュエルの止まぬ追撃に、ロックは口から出た反論を押しとどめる。


 返せず、弟の一言に言葉を無くしたのは、ロックが何処かでそう考えていることを自覚していたからだ。


ロックは、弟のサミュエル、妹のレナ、両親、そして何回かやって来る親戚や、近所の年上の幼馴染のジェニーと変わらない日常を、バンクーバーで過ごすことに疑いは無かった。


 しかし、“ウィッカー・マン”が出現してから、全てが変貌した。


「サミュエル。その言い訳はしない。だが、今までの生活、全てが仕組まれていた。仕組まれていたことを知っていた“ブライトン・ロック社”は、サロメ達“ホステル”も防ぐことが出来た筈だ。”ブライトン・ロック社”も、全て見ていただけで、目の前の親父やお袋を死なせた。レナは、今も生きているのか……分からない」


 最後の一口を、ロックは飲んで、


「“ホステル”に、“ワールド・シェパード社”……“ブライトン・ロック社”。全てを知る立場で、幸せに暮らしていた奴らの生活を破壊しておいて、生き残った奴らに“一つの道”しかないように見せ、そいつらを引き込む。俺たちの世界には考えられない力を示す。それに魅せられると、人間ではなくなる」


“ウィッカー・マン”の白銀の皮膚に映し出された、炎を背に


 ロックのは、“UNTOLD”に魅入られた者達の傲慢さで灰に消えた。


 その怒りを胸に、常に思い出すのは、最後に遺したファンの言葉。


『あなたという人間の物語は、終わらせない。私は命をあなたに繋げたい……誰の為でもない、あなた自身が、この世界で生きて欲しいから』


 口を乾かせながらロックは、


「“深紅の外套の守護者クリムゾン・コート・クルセイド”……そんなもんじゃない。一人殺しても楽になる訳が無い。むしろ、“リア・ファイル”の力は、命を粗末に扱わせる魔力がある。命熱波アナーシュト・ベハ使い、“ウィッカー・マン”……“UNTOLD”……それに、サキを縛らせたくないだけだ」


「サキは『!』って、そう言ったの?」


 サミュエルの乾いた言葉が、問いかける。双子の証である、青い湖面の眼が、ロックの噛み締める顔を冷徹に映した。


「叫びたいんだ。でも、言えない程疲弊している。リリスや周囲がアイツを神輿……最悪、にしようとする奴らが周りにいるからな」


 ファンの託したロックへの遺言。


彼女は、その中に“”。


自分が生きる為に、命はあること。


だから、“”。ファンは単純にすら、許さなかった。


――それが、分からないのに戦うのは、自殺と同じだ。誰かに使われて、それで終わりだ。


「だから、サキは人間だ……人間として死なせる。リリスやサロメ……“ブライトン・ロック社”も含めて、周りの好き勝手にはさせない」


 ロックは、サミュエルに向けて、重く口を開く。


「例え、サキを人間として生かす手段が“”……でも? 何時も通り、という丁寧な説明をありがとうね、兄さん」


 ロックの目の前で、サミュエルは盛大に溜息を吐き、端末を手元に戻し、液晶画面を叩いて閉じた。


 その様子を傍で見ていた、フィリップが同じ機種の情報通信端末をロックに手渡す。


区画の違う受信局に基づいて、契約会社も選定。当然、端末もその都度、新しいものを用意する。


用途ごとに道具を整えるという基本を行うことで、“望楼ヴェルヴェデーレ”は身元が明らかになることを防いでいた。


同時に、今使われている端末は、別途保管し、その後、手順に従って破壊する。


 ロックは、手慣れた操作で電子手紙の機能を立ち上げ、転送された資料をブルースとエリザベスにも送信した。


「ロック、サキちゃんって女の子になんだ……」


 ジェニーの一言を聞いたシャロンは、サミュエルに抱き着く。弟の右腕にしがみ付いた彼女は、左目の下を左手で伸ばし、舌を突き出す。


 サミュエルと一緒になる為に、ロックをサキへ宛がうつもりなのだろうか。


 取り敢えず、抗議として鋭い視線を返しておいた。


シャロンと言う少女は、ある理由からサミュエルと一緒に行動をしている。


しかし、彼との接し方は、人から見れば恋仲に見えるが、実際は彼女の一方通行だ。


好意を向けられている当の本人に聞いても、彼女への思いは大抵はぐらかされる。


“恋は盲目”と言う慣用句からすれば、ロックはシャロンの視界に入らない筈だが、最近、彼はを自覚し始めた。


例えば、である、と。


「いや……ジェニー。違うだろ。文脈読め、便所紙……で拭われる方」


「人は見たいものしか見ないから……カエサル曰く。まあ、書くのは勘弁してあげるけど、取り敢えず、に会わせなさい。二人でいるところ見かけたら、積極的に声を掛けるから」


 恋仲を既定路線に、私的空間の侵食も辞さない醜聞記者根性を、幼馴染の女性は隠そうともしなかった。


 ロックは抗議の声を上げようとしたが、それを呑み込む。


 周囲は、それを囃し立てる真似をしない。


 サミュエル、シャロンの二人が、ロックの眼差しの変貌に気付いたからだ。

 

カウンターを挟むフィリップとジェニーの息を呑む音が、響く。


「恋する者の邪魔をする奴は、馬の後ろ脚……の雰囲気の様ですね」


 象牙色の眼と石榴色の唇の女――サロメの、ふざける様な陽気な声に反して、周囲の空気が敵意で引き締まる。


彼女の羊の角と、上半身の前面を隠した、ほぼ全裸の容姿も目を引くが、ロックは、一際目を奪われたのは、だった。


 象牙色の眼の隣に立つ男の血の様な紅い目は、肥沃な河を席巻した王国を死に追いやった嵐を連想させる。


 首なし騎士の割れた胴体から出た短髪の偉丈夫の名。


ロックの口から、意識せずが漏れた。


「アンティパス……」


 アンティパスは、ロックの呟きに沈黙を守る。


だが、彼の右手にある槌の様な穂先の大剣の鈍い煌き。


それが、言葉の代わりにロックへの敵意を表している様だった。

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