第三章 A Greek Gift

策謀の夜―①―

3月20日 午後6:13 バンクーバー市内 簡易宿泊所


 来訪した女との付き合いは、それほど長くない。


 しかし、ヘンリー=ケネス=リチャーズにとって、目の前にいる、赤く反り上がった鍔付き帽子のは、不思議といるように思えてならなかった。


「……少なくとも、酒の臭いをさせて起きて良い時間ではありませんね。ケネス?」


飲みに行くんだ。そう変わんねぇよ」


 ケネスは、左手で後頭部を掻きむしりながら、


「ハッピーアワーと朝食で、一石二鳥だ……夕食と朝食を一緒に取れる。ってやつだ」


 投げやりな口調で、ケネスは後頭部から寝癖を乱暴な手櫛で整え、唾帽子の女を目に映す。彼女の目は、成人男性の脚がぎりぎり入るほどの広さの寝台で、彼は膝を曲げ切り、毛布で下半身を覆っているケネス自身を反射していた。


「……で、することで、ではないと思いますけどね」


 反り返った唾広の帽子から笑う彼女の眼光は、捕食獣のそれである。


 耳障りな笑い声と視線を遮る様に、ケネスは腰を覆う毛布を寝台の外へ投げ捨てた。


「そういう講釈を垂れる為に、突っ立っている訳じゃないだろ……サロメ?」


 ケネスの像を映す眼が、瞬く間に象牙色へ染まる。


 限界までに磨き上げられた一対の象牙の表面に、を隅々と映した。


「酒の臭いを醸し出しながら、を””と受け取れるなら、頭は働くようですね。安心しました」


 サロメの皮肉を受け流しながら、部屋に備え付けられた受像機に電源を入れる。


 丁度、天気予報の時間で、バンクーバーの冬季の雨季が長引く様を伝えていた。


 受像機を眺めるケネスの目の前に、サロメはプラスチックの手提げ袋を右手で突き出す。


 彼は、彼女の右手の袋を両手で分捕り、ベッドの上で胡坐を掻きながら中身の物色を始めた。


 プラスチック袋の中に入っているのは、三つの紙袋。


 一つ目の袋の中から出てきたのは、ラム酒の炭酸割の瓶が三本。


 瞬く間に、彼は空けていった。


「確かに、ここは安ホテルですが……あなたの食べ方を見ると、の方がに見えてきます」


 言葉を聞き流しながら、ケネスは、二袋目のサンドイッチとコールスローに手を付ける。


 サンドイッチは両手で掴み、一口で三分の二を胃袋へ。


 トマトの果肉と果汁、レタスの瑞々しさと乾いたベーコンの感覚を舌で認め、残りは、掛布団なき寝台の上へ放り投げた。


 コールスローに至っては、スプーンを使わず、容器からそのまま口に流し込む。


 マヨネーズの香りを纏い、彼が三袋目に差し掛かった時、


「こちらもお忘れなく。あなたが食い散らかすのは構いませんが、あなたの体が、のだけは勘弁ですので」


 三袋目のスープを取り出したケネスの手が止まる。


 サロメに差し出されたものを、時間を掛けて凝視し、右手で、ゆっくり受け取った。


 掌に収まる粉末の入った袋の端を齧って開け、粉末を全部スープに入れた。


 沈んだ粉末でカサが増したスープの山を、スプーンで弄りながら、


「金は天下の回りものとは、よく言う」


 ケネスが吐き捨てると、サロメは、


「悪事も千里を走りますからね」


「二つともってのは、同じだな」


 ケネスは鼻で笑い、5回スプーンを回したところで、スープを口に入れる。


 スプーンは、彼の口と容器を二往復。


 角切りのトマトと他の野菜、捩じれたパスタの感触が舌の上で踊るのを確認し、後は、コールスローと同じ様に、喉へ放る様に呑み込んだ。


 温かいスープで温まる全身と共に、右半身からもが胎動を始める。


 一人用の寝室に、二人もいれば、部屋の熱の上がりようは尋常ではない。


 ケネスも、内からの鼓動も確認して、


「俺の””でどうにかなる……どっちも変わらんか」


 赤い帽子のサロメに、笑顔を作る。


 象牙色の眼は、ケネスの左側に残った微かな肌色の弛緩と収縮しか見せない。


「少なくとも、お金を払っている間は、安心しています」


「金の分、仕事はするが……のは、勘弁だぜ?」


 目の前のサロメが眉を顰めた。


「叫ばれるのに、外国語と英語混じりの声は勘弁だ。日本語交じりは、特に。あの汚い発音は、安酒よりも頭に響く」


「不思議ですね……その割には、での仕事は乗り気だったのは……」


 サロメの言葉を聞きながら、ケネスはベッドの上で残った三分の一のサンドイッチを口に入れて、


「当たり前だ……酒が飲めるんだからな。雑音を酒が紛らわせてくれる。酒を飲みながら人を焼けたら、何も言うことは無い。屋外は論外だ。外で酒は呑めねぇし、””で寒い。つうか、全くに答えてねぇな。だ?」


 ケネスの経験上、サロメは「」のでなく、「」のは分かっている。


 後は、「」という主に二通り。


 その為に、ケネスはも同然で、カナダへのだ。


 象牙色の眼を覗き込んでも、サロメからの返答はない。


 彼は溜息を吐きながら立つ。


 備え付けの机と椅子に放られた衣服を、彼は乱暴に掴んだ。


 炎の柄の入った黒いトレーニングパンツに足を早く入れ、ローマ数字の三の入ったフード付きパーカーを纏う。


 パーカーから出たフードを被ったケネスを前に、やっとサロメが口を開いた。


「……二つです」


 ケネスは、突然言われて、首を傾げつつも、ローマ数字の八の付いた首飾りを付けた。


 彼の素振りが目に入らなかったのか、サロメは続け、


「仕事です。ある場所へ侵入。もう一つは……」


 隣から雑音と悲鳴が、ケネスの耳に入る。


 そのあとに続いた乱暴な足音が近づき、今、


 黒い犬耳を付けた戦士――”ワールド・シェパード社”の二人。


「……拠点を引き払います」


「早く言えよ!」


 吐き捨てるケネス。


 白と黒の兵士から、持つ同二色の突撃銃を突きつけられる。


 しかし、それが撃たれることは無かった。


 サロメの手に付いた、有角羊の頭蓋の手甲が速く、赤く反った鍔付き帽子が、音を立てずに距離を詰める。


 彼女は、黒白二色の兵士たちの心臓を、両手の手甲に付いた角で、音もなく貫いた。


 更に二人の犬耳の兵士が、倒れる仲間の屍を背に乱入してきた。


「ケネス」


 サロメの言葉と同時に、それは始まっていた。


 異変に気付いたのは、仲間を乗り越えて気付いた”ワールド・シェパード社”の兵士。


 彼らの手から二色の突撃銃が落ち、煙が上がる。


 ”ワールド・シェパード社”の兵士の一人が、紅蓮の炎に変わった。


 倒れた仲間の屍に燃え移ると、4人目が逃げ出した。


。全て、焼き払いなさい」


「フィットネスも業務込みとは、福利厚生のとんだ充実ようだ」


 ケネスは、口の端を笑みで釣り上げると、受像機から流れる音声が


 安ホテルの一室で燻っていた炎が、壁は愚か天井も紅蓮に染め上げる。


 刹那、雨天を消すほどの青い光が、窓を突き刺した。


 紅蓮の炎と蒼い光が簡易宿泊所全体に広がり、隣と廊下が騒がしくなる。


 ケネスにとって、耳障りな様々な言語が聞こえるが、不快さは微塵と感じない。


 全ての寝台、机や壁に受像機と種類を問わず、爆ぜる音が、全てをかき消したから。

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