王鎮悪2 花々しきデビュー

劉裕りゅうゆう南燕なんえん征伐に出ていた時、

ある人が王鎮悪おうちんあくを推挙してきた。

ある人が誰なのかは不明。


この頃王鎮悪は

天門てんもん臨澧りんほう県、

いわば江陵こうりょうの南西にある

片田舎の町の長官であったが、

いきなり劉裕からの召喚を食らう。


そして召し出され、

しばし劉裕と話せば、なんだこれ。

劉裕、めっちゃやべえ、と感じた。


まあいいから、今日は泊まってけ、な?

そう言うと、翌朝には

突然諸将の前に引き立て、言う。


「こいつは王鎮悪、王猛おうもうの孫だ!

 名将の家門にまた将才あり、

 たぁ、まさにこいつのことだな!」


そう言って劉裕、ものすごい圧で

王鎮悪を取り立ててしまった。


仮の職務とは言え、

いきなり劉裕直属の幹部にまで

つけてしまうほどの高評価。



実際、南燕征伐後の盧循ろじゅん戦では、

查浦さほ、つまり河港での

上陸防衛戦に従事。


ここでえらい勢いで

功績を上げたという。



そのため、あっという間に

博陸はくりく県の五等子に封爵された。




廣固之役,或薦鎮惡於高祖,時鎮惡為天門臨澧令,即遣召之。既至與語,甚異焉,因留宿。明旦謂諸佐曰:「鎮惡,王猛之孫,所謂將門有將也。」即以為青州治中從事史,行參中軍太尉軍事,署前部賊曹。拒盧循於查浦,屢戰有功,封博陸縣五等子。


廣固之役にて、或るもの鎮惡を高祖に薦め、時に鎮惡は天門の臨澧令と為れるに、即ち遣りて之を召ぜしむ。既にして至りて與に語らば、甚だ異たらば、因りて留め宿せしむ。明くる旦に諸佐に謂いて曰く、「鎮惡、王猛の孫にして、將門に將有りと謂いたる所なり」と。即ち以て青州治中從事史と為り、中軍太尉軍事に行に參じ、前部賊曹に署す。盧循を查浦にて拒み、屢戰にて功有らば、博陸縣五等子に封ぜらる。

(南史19-5_暁壮)

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