謝晦11 配備の腕    

劉義隆りゅうぎりゅう徐羨之じょせんし傅亮ふりょう謝世休しゃせいきゅうを殺害。


また弟の謝皭しゃしゃくや、その子の謝世平しゃせいへい

兄(謝瞻しゃせん)の子の謝紹しゃしょうらを収監した。


樂冏がくけいという人が謝晦に使者を飛ばす。


「徐、傅の二公、及び謝皭殿は

 既に殺されました」


それを聞いた謝晦、

先に徐羨之、傅亮に哀悼を捧げる。

子弟らへの凶問は、その次だ。


そして鍛錬場に赴くと、

遂に軍備の編成を呼びかけた。


元々、劉裕りゅうゆうの下で、

実務を行ってきた謝晦だ。

いざことを構えるのであれば、

計略はいくらでも思いつく。


諸手配についても手慣れたもの。

いちいち細かな指示なしで、

あっという間に準備が整っていく。


二、三日もすれば、

謝晦軍は精兵三万もの軍勢となった。




太祖誅羨之等及晦子新除秘書郎世休,收皭、皭子世平、兄子著作佐郎紹等。樂冏又遣使告晦:「徐、傅二公及皭等並已誅。」晦先舉羨之、亮哀,次發子弟凶問。既而自出射堂,配衣軍旅。數從高祖征討,備睹經略,至是指麾處分,莫不曲盡其宜。二三日中,四遠投集,得精兵三萬人。


太祖は羨之ら及び晦の子の新たに秘書郎に除せられたる世休を誅し、皭、皭の子の世平、兄の子び著作佐郎の紹らを收む。樂冏は又た使を遣じ晦に告がしむるらく:「徐、傅の二公、及び皭らは並びて已に誅さる」と。晦は先に羨之、亮の哀を舉げ、次いで子弟の凶問を發す。既にして自ら射堂に出で、軍旅を配衣す。數しば高祖が征討に從いたれば、經略は備睹し、是に至りて麾を指し處分せるに、其の宜しきを曲盡せざる莫し。二三日の中、四遠より投集し、精兵三萬人を得る。

(宋書44-11_仇隟)




なかなかに情報量が多い。


例えば先に徐羨之、傅亮への哀悼を捧げることで、自分があくまで「社稷の臣」であることを貫いている、という振る舞いになるし、また、何を言ってみたところであっという間に三万もの兵が集まるのもすごい。劉裕は中央にのみ軍備が集まるよう仕向けていたはずで、たとえ江陵とは言えどそんなおいそれと兵力を確保できない状況下にあったはずである。そんな中で、あっさりと三万を集める。


いや、三万「しか」なのかもしれないけど。ただ、宋書の書きぶりでも「この段階で三万を集めるのはただ事ではない」的な印象があるんですよねえ。


そしてもう一つ重大な話があって、江陵に対して建康が「朝敵である」と宣言した時、そのタイムラグからして、どうしても軍備を整える時間的猶予は存在する。存在するんです。しないはずがない。


じゃあ、412年の劉毅討伐。


あの無防備さって、いったい何なんだろね?

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