徐羨之6 補政
いざというときに皇帝を守るため、
なのだろうか。ここについては、
ロジックが見いだせていない。
劉裕の臨終の床に侍り、
そして劉裕、死亡。
あとを継いだ劉義符は、
以下のようにコメントをした……
と、されている。
まぁ間違いなく、傅亮の原稿だ。
「太上が崩ぜられたとて、
政務を止めるわけにはゆかぬ。
しかし、朕は未だ太上の喪失より
立ち直れそうにない。
故に徐羨之、傅亮よ。
そなたらはスタッフを率い、
月に一度は宮廷に足を運び、
重要なる決済をこなすようにせよ」
高祖不豫,加班劍三十人。宮車晏駕,與中書令傅亮、領軍將軍謝晦、鎮北將軍檀道濟同被顧命。少帝詔曰:「平理獄訟,政道所先。朕哀荒在疚,未堪親覽。司空、尚書令可率眾官月一決獄。」
高祖の不豫せるに、班劍三十人を加わる。宮車にて晏駕し、中書令の傅亮、領軍將軍の謝晦、鎮北將軍の檀道濟と與に同じく顧命を被る。少帝は詔して曰く:「平理の獄訟、政道は先んずる所なり。朕の哀荒せるに疚い在り、未だ親覽に堪えず。司空、尚書令は眾官を率い月に一には獄を決すべし」と。
(宋書43-6_寵礼)
なんつーか、マッチポンプ感半端ねえんだよなぁ……この段階で、すでに晋書の言う「矯稱遺詔」が決められていた印象が、非常に強い。つまり徐羨之以下の臣下として、劉裕に従うのに異存はないが、そのドラ息子にまで従う意義はない、だからどうにかしてドラ息子を排除できるよーな筋書きを組み立てたい、みたいな流れがあったんじゃないか、という。
そして、傀儡として劉義隆を上げようとしたら、既にやつの王華王曇首による調教が完了していたため破滅するしかなくなっていた、みたいな。
寒流門人の台頭を、ポスト劉裕期ではなんとか踏み潰せていたが、東晋以来の名族の権勢を保つのはいろいろ無理ゲーだったのだろう。そのため宋書に「おれら名族を脅やかしやがったクソども」として恩倖伝を立て、ディスりまくったのではないか。
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