巻43 劉裕に後事を託された三人

徐羨之1 能吏の官歴   

徐羨之 全11編

 既出:劉裕67、劉裕68、劉裕69

    劉義符1、劉義符3、劉義符5

    劉義符7、劉義隆2、劉義隆3

    劉義隆4、五行7、五行9、

    劉穆之10、王弘5



徐羨之じょせんしは、字が宗文そうぶん

東海とうかいえん県の人、つまり何無忌かむきと同郷だ。


祖父は徐寧じょねい庾亮ゆりょうに引き立てられ、

最終的には江州刺史こうしゅうししにまでなりかけたが、

着任前に死亡。

父親は徐祚之ゆそし上虞令じょうぐれいとなった。

つまり、家格としては劉裕りゅうゆうと同じか、

やや上、といったところである。


そんな徐羨之、若い頃には

宮廷の高官であった王雅おうがの主簿となり、

そこから劉牢之りゅうろうしの功曹に転じた。

尚書祠部郎、つまり中央への転勤は断り、

桓玄かんげんが実権を握った頃には、

その従兄弟、桓脩かんしゅうの參軍となった。


桓脩の軍府のもとで

劉裕と同僚になり、親交を重ねた。


そのためクーデターが起こると、

劉裕の幹部として働いた。

その後劉穆之りゅうぼくしと同じ尚書省に配属。

さらには謝混しゃこんの副官となった。

ここで抜群の手腕を見せ、謝混に

その存在感を知らしめたようである。


その後、司馬徳文しばとくぶんの下での勤務を経て、

再び劉裕の部下として参与。


劉裕が司馬休之しばきゅうしを討ちに出た年には、

鷹揚おうよう將軍、琅邪ろうや內史となり、

さらには司馬徳文の庶務を請け負う役に。


そして劉裕が後秦こうしんに打って出た年、

劉裕の副官として、建康で

劉穆之のサポートにあたった。




徐羨之,字宗文,東海郯人也。祖寧,尚書吏部郎,江州刺史,未拜卒。父祚之,上虞令。羨之少為王雅太子少傅主簿,劉牢之鎮北功曹,尚書祠部郎,不拜,桓脩撫軍中兵曹參軍。與高祖同府,深相親結。義旗建,高祖版為鎮軍參軍,尚書庫部郎,領軍司馬。與謝混共事,混甚知之。補琅邪王大司馬參軍,司徒左西屬,徐州別駕從事史,太尉諮議參軍。義熙十一年,除鷹揚將軍、琅邪內史,仍為大司馬從事中郎,將軍如故。高祖北伐,轉太尉左司馬,掌留任,以副貳劉穆之。


徐羨之は字を宗文、東海は郯の人なり。祖は寧、尚書吏部郎、江州刺史、未だ拜さずして卒す。父は祚之、上虞令なり。羨之は少くして王雅の太子少傅の主簿、劉牢之の鎮北功曹、尚書祠部郎は拜さず、桓脩の撫軍中兵曹の參軍と為る。高祖と府を同じうし、深く相い親結す。義旗の建つるに、高祖は版し鎮軍參軍、尚書庫部郎、領軍司馬と為す。謝混と事を共にし、混は甚だ之を知る。琅邪王大司馬參軍、司徒左西屬、徐州別駕從事史,太尉諮議參軍を補せらる。義熙十一年、鷹揚將軍、琅邪內史を除せられ、仍かに大司馬從事中郎と為り、將軍は故の如し。高祖の北伐せるに、太尉左司馬に轉じ、留まりて任を掌り、以て劉穆之に副貳す。

(宋書43-1_為人)




徐羨之

抜群の事務手腕をもって劉裕、劉穆之を支えた人。その功績もあって、宰相にまで上り詰めている。しかし少帝劉義符を廃位殺害した後、その罪に問われ、自殺させられた。


そんな徐羨之が、どのような出世ルートをたどっていたのかが描かれている。途中に挟まれる司馬徳文や謝混への配属が妙にきな臭く感じるのは結果を知っているからではあるのだが、ほんに謝混と劉裕の関係っていろんなところにヒントが散らばってそうで困る。

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