王弘6  雑な貴顕    

王弘おうこうは察しも良ければ対応も抜群、

民からは多く尊敬を寄せられていた。


また立ち振る舞いは常に礼に適っており、

書簡における文体も礼に則っていた。


そのため多くのものが王弘の書を

まねるようになり、これが後世には

王太保おうたいほ家法として伝わった。


のだが、軽率にして威厳には欠け、

そもそもねじ曲がった性格、

自分の気が食わないものには、

容赦なく面罵を飛ばす所があった。



ある時、王弘に接する人が

王弘の家諱いえいみな、つまり彼に対して

話しかける時に無礼とならないように、

かれの父、祖父の諱を

知ろうとする者がいた。


それに対して、王弘は答えている。


「ワイのパッパの諱?

 蘇峻そしゅんと一緒やで」


ざ雑ゥ!

字体ちゃうやん!





弘明敏有思致,既以民望所宗,造次必存禮法,凡動止施為,及書翰儀體,後人皆依倣之,謂為王太保家法。雖歷任藩輔,不營財利,薨亡之後,家無餘業。而輕率少威儀,性又褊隘,人忤意者,輒面加責辱。客有疑其諱者,弘曰:「家諱與蘇子高同。」


弘は明敏にして思致有り、既にして以て民望の宗ぜる所にして、造次にては必ず禮法を存し、凡そ動止の施為、書翰の儀體に及びて、後人は皆な之を依倣し、謂いて王太保家法と為す。藩輔を歷任したりと雖ど、財利を營なまず、薨亡の後、家に餘業無し。而して輕率にして威儀少なく、性は又た褊隘にして、人に意に忤りたるの者にては、輒に面に責辱を加う。客に其の諱を疑いたる者有らば、弘は曰く:「家が諱は蘇子高に同じ」と。

(宋書42-16_簡傲)




蘇峻

しゅん」が sǐuěn

「峻」が sǐuěn

で、読みは一致している。


字が違ってもオッケーという事は、これ口頭での会話にて家諱を避けようとしたい、と相手が計らったことになる。としたら「こう」を避けるのってものすごく難しいような……?

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