劉穆之11 南:残された者

劉裕りゅうゆうが即位した時、

ふと劉穆之りゅうぼくしのことを思い出し、嘆息した。


「穆之さえいてくれれば、

 俺の統治を良く支えてくれたろうにな。


 ガラにもねえが、詩経しきょうを思い出しちまう。

 人之雲亡,邦國殄瘁。


 あいつひとりが死ぬだけで、

 こうも国が病むのかよ」


すると、そこに応じるのが范泰はんたいだ。


「聖上が極位におわし、

 英賢たちは宮中に満ちております。


 劉穆之殿にこれまで多くの艱難を

 乗り越えて来られた功績があったとて、

 かれにはもはやこの国の運営に

 口を出せる余地などございません」


范泰としては、かれらなりの運営に対する

自負心の表れだったのだろう。


が、劉裕にとっては、違った響きを帯びた。


まずは、こう答える。


「お前は伝説の名馬、

 驥騄きろくを見たことがないだろう?


 一日にして千里を駆け抜けるという、

 その俊足の凄まじさを」


そして劉裕は、ぽつりと漏らすのだ。


「あいつが死んで、

 誰もが俺をも軽んじやがる」


劉裕が劉穆之のことを追慕すること、

常にこのような感じだった。




及帝受禪,每歎憶之,曰:「穆之不死,當助我理天下。可謂'人之雲亡,邦國殄瘁。'」光祿大夫范泰對曰:「聖主在上,英彥滿朝,穆之雖功著艱難,未容便關興毀。」帝笑曰:「卿不聞驥騄乎,貴日致千里耳。」帝后復曰:「穆之死,人輕易我。」其見思如此。


帝の受禪したるに及び、之を憶ゆる每に歎じて曰く:「穆之死なずば、當に我が天下に理したるを助けたらん。人の雲亡にて、邦國は殄瘁す、と謂うべし」と。光祿大夫の范泰は對えて曰く:「聖主の上に在まし、英彥は朝に滿ちたり、穆之に艱難を著くるに功ありと雖も、未だ便ち興毀に關せるを容れん」と。帝は笑いて曰く:「卿は驥騄を聞かざるか、貴なること日に千里を致したるのみ」と。帝は后に復た曰く:「穆之死し、人は我を輕易す」と。其の思いたるを見たること此くの如し。

(南史15-1_傷逝)




范泰

この期に及んでようやく初登場でいいような軽い存在じゃない、デタラメの重鎮。この人が関わった人物を上げてみると謝安しゃあん司馬道子しばどうし王忱おうしん司馬元顕しばげんけん桓玄かんげん司馬休之しばきゅうしとなる。あらゆるビッグネームの下でスタッフとして勤務しており、しかもざっくばらんな性格であったため、劉裕に気に入られてもいたという。けど驚くほど治績が残ってない。もうちょっと書いといてくれてもいいんじゃないですかねえ……。



つーか劉裕の引用「人之雲亡,邦國殄瘁」とか、范泰の発言中にある「未容便關興毀」に、ぐわっしと心臓を掴まれた。


劉裕の判断はほぼ劉穆之の判断だった、って言っていい。そのような人間の判断が「もはやかかわる余地なぞない」と言い切るのは、敷衍すると「劉裕に口出しする余地がない」と判断しうる材料ともなる。そこに劉裕が「いまの運営状態がとにかく不健全だ」と言ってる。いやまだ確定は出来ない話だけれども、ただわかることとして、宋書武帝紀の即位後の劉裕には、一切精彩がない。それってもしかして……とは、妄想してしまうのだ。



なお引用元は詩経より、大雅「瞻卬」。https://blogs.yahoo.co.jp/raccoon21jp/40808999.html

によれば、原文訳文は以下。


天何以刺、何神不富。

舍爾介狄、維予胥忌。

不弔不祥、威儀不類。

人之云亡、邦國殄瘁。


天は我を刺してどうしたいのか、

神はなぜに福禄をくれないのか。

汝はいい加減や元凶を捨て置き、

ただただ我を忌み嫌う。

ちゃんとした弔いもできず

ちゃんとしたお祝いもできない、

威儀は廃れ地に落ちた。

そしてついに人々は逃亡する、

わが邦國はもう死んだも同然だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る