劉穆之4 同志との懸隔  

劉裕りゅうゆうを引き立ててくれたひと、

王謐おうひつが死んだ。


これにより、宮中では

なきな臭い空気が流れる。


功績などを考えれば、王謐の次に

ナンバーワン臣下の座につくべきは、

劉裕だ。


だが、このとき劉裕は京口けいこうにおり、

一方で王謐の部下として働いていた

劉毅りゅうきらは建康けんこうにいた。

つまり、劉毅らにしてみれば、

鬱陶しい劉裕を締め出せるチャンスなのだ。


そこで劉毅らは、一計を案じる。

王謐の後釜に据えるべきは、

家格的にも陳郡ちんぐんしゃ氏の嫡流、

謝安しゃあんの孫である、謝混しゃこんがふさわしい、と。


そして劉裕については、引き続き京口で

徐州じょしゅう刺史として勤務してもらおう……

言ってみれば、

「地方官のトップでいてください」

と、突きつけようとした。


はじめこの話を孟昶もうちょうに回し、

次いで孟昶が、皮沈ひしんという人に語る。


そして皮沈から、謝混を揚州に、

劉裕を徐州に配置したい、と語らせた。


先にこの話を聞いたのが、劉穆之りゅうぼくし

ふむふむなるほど、と話を聞き、

何食わぬ顔でトイレに行くふりをする。

だが、向かったのは劉裕のところである。


こっそりと、劉裕に言う。


「皮沈の言葉には承諾しないでください」


劉裕が理由を問うと、さらに言う。


「ここで席次を譲って、今さら

 使いっ走りに甘んじるのですか?


 劉毅殿、孟昶殿は、確かに貴方様を立て

 クーデターを成し遂げられました。

 が、それはあくまで指示系統的な

 名分としての推戴であり、

 彼らが貴方様に従いたい、と

 思ったからではありません。


 実際のところ、現在の彼らとは

 勢力も均衡しており、

 いつどのタイミングでお互いを

 潰し合おうか、と狙っているところ。


 このようなタイミングで、

 揚州ようしゅうを他人に譲るわけには参りません。


 揚州を、いちど王謐に預けたのは、

 あのタイミングでクーデター関与者が

 いきなり大権を握れば、

 貴族層よりの反感が集中し、

 それこそ劉牢之りゅうろうし殿の二の舞に

 なりかねないための、仮の措置でした。


 しかしこのタイミングでまた揚州を

 誰かに譲り渡してしまえば、

 劉裕様の発言力にも制限が加わります。


 そして、そのまま取り返しが

 つかなくなるでしょう。


 劉裕様の功績がずば抜けており、

 かつ発言力が圧倒的なのは

 周知の事実。


 故に、彼らは劉裕様を中央から

 遠ざけようとなさっているのです。


 ならば劉裕様は速やかに建康入りし、

 まずは共に今後のことを検討しよう、と

 劉毅殿、孟昶殿に

 直接提案すべきなのです」


劉裕はこの進言を採用。

劉毅らによる権勢工作は頓挫した。




揚州刺史王謐薨,帝次應入輔。劉毅等不欲帝入,議以中領軍謝混為揚州,或欲令帝於丹徒領州,以內事付僕射孟昶。遣尚書右丞皮沈以二議諮帝。沈先與穆之言,穆之偽如廁,即密疏白帝,言沈語不可從。帝既見沈,且令出外,呼穆之問焉。穆之曰:「公今日豈得居謙,遂為守蕃將邪?劉、孟諸公俱起布衣,共立大義,事乃一時相推,非宿定臣主分也。力敵勢均,終相吞咀。揚州根本所系,不可假人。前授王謐,事出權道,今若復他授,便應受制於人。一失權柄,無由可得。公功高勳重,不可直置疑畏,便可入朝共盡同異。公至京邑,彼必不敢越公更授餘人。」帝從其言,由是入輔。



揚州刺史の王謐の薨じたるに、高祖は次に應じ入輔せんとせど、劉毅らは高祖の入りたるを欲さず、議して中領軍の謝混を以て揚州と為さんとす。或いは高祖に令し丹徒にて州を領ぜしめんと欲し、以て內に事を尚書僕射の孟昶に付す。尚書右丞の皮沈を遣りて以て二議を高祖に咨らんとす。沈は先に穆之と言せば、穆之は偽りて起ちて廁に如かんとし、即ち高祖に密疏して白いて言えらく「沈が言にては從うべからず」と。高祖の既にして沈に見えたるに、且つ令し外に出だしめ、穆之を呼びて問う。穆之は曰く:「公が今日、豈に謙に居し、遂には守藩の將と為らんや? 劉、孟の諸公は公と俱に布衣に起ち、共に大義を立つれど、事うるに乃ち一時は相い推せど、臣主の分を定めんと宿したらざるなり。力は敵し勢は均しく、終には相い吞咀せん。揚州は根本の系りたる所、人に假すべからず。前に王謐に授けたるは、權道に出でたるに事したれば、今、若し復た他に授かば、便ち應じて人より制を受けん。一に權柄を失わば、得べき由無し。公が功は高く勳は重かれば、直置すべからざるを疑い畏る。便ち暫し入朝し、共に同異を盡くしたるべし。公の京に至りたらば、彼れ必ずや敢えて公を越え更さらに餘人に授けざらん」と。高祖は其の言に從い、是の由にて入輔す。


(宋書42-4_規箴)




王謐のこと劉穆之が諱呼ばわりしていて、あっ……って思いましたが、まー何と言うか、残んねーだろうがよこんな密談よ、というね。あくまでこの当時の状況に合わせた解説であって、「前授王謐,事出權道」この辺はさすがに言ってねえだろ、という感じはする。前回も書いたが、そんなん言い出せるなら劉穆之の官位はもっと高いところにあったはずだ。


クーデターが劉毅、孟昶、何無忌かむき、劉裕辺りを中心として動き、一番強かった劉裕に先陣を切らせて、そこを操ろうとしたのが劉毅、孟昶、という図式かなー。そしたら劉裕の下に劉穆之がついたことで想定外の権勢を得ちゃった、という。「力敵勢均,終相吞咀」の記述とか見ても、この段階で劉裕の権力はそれほど突き抜けすぎてはいない。けど、この辺の駆け引きは宋書からかなり削られちゃっている感じもする。


というのも宋書は、その列伝の配置からしても「桓玄を倒した英雄」であることに劉裕の権威の源泉を求めているから、「桓玄を倒したから、そのまま一気にスターダムに登りました」と書かなければならない。そうすると「劉毅孟昶と牽制合戦をしていた」は、変に書き出しておくわけにもいかないんだろう。残っててくれてた方が、こっちとしては面白かったんですけどねー。


宋書がこう言うところで劉裕を突き抜けた英雄として書きたがるから、後世の人間としては「ライバルとの葛藤がなくてつまらない時代だ」的扱いになっちゃうんだよなーって思うの。けどなんだかんだで、その痕跡を残してくれてた事には感謝しないと、なのかな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る