五行8  鳴り響く凶兆の音

孝武帝こうぶていの末年、建康けんこうの東北で

雷のような音がした。


劉向りゅうきょうの説に基づくと、こうなるだろうか。


「雷は雲を叩きのめそうとしている。

 これは、君主が臣下に叩き潰される、

 その凶兆だ。


 特に、雲もないのに雷鳴があるのは、

 君主が臣下民衆に思いやらないために、

 謀反を被る兆しである」


それから孝武帝が殺されてみれば、

天下はあっという間に乱れた。

孫恩そんおん桓玄かんげんに建康を

踏みにじられたのである。



吳興ごこう長城ちょうじょう県にある、夏架かか山。

ここに石でできた太鼓があった。


太鼓の長さは三メートル近く、

太鼓の面は一メートル弱。

頑丈な岩の上に置かれていた。

この太鼓の音が金鼓のように

甲高いものであったとき、呉郡ごぐん周辺で

戦が起こる前触れとされている。


そしてその太鼓が安帝あんてい即位後間もなく、

大いに鳴った。

果たして、孫恩の乱が起きた。



孝武帝の治世末頃、

建康に奇形の豚があった。

一つの頭に、胴二つ分。


またその数年後にも、

建康で同じケースが発生した。

これは建武けんぶ年間と同じ現象だ。


後漢ごかん光武帝こうぶていの治世……ではない。

西晋せいしんの、湣帝びんてい

匈奴漢きょうどかん懐帝かいてい司馬熾しばしが殺され、

その後に立った、西晋の末代皇帝だ。


この豚が出現したあと、

宰相はは私利私欲に走り、

朝政を顧みず、阿諛追従の徒ばかりを

重んじるようになっていった。


これによって綱紀は徐々に乱れゆき、

ついには亡国に至ったのである。


……えー?

あそこに侫臣云々とか言い出したら、

さすがにひどすぎねえ?




晉孝武太元十五年三月己酉朔,東北有聲如雷。案劉向說以為:「雷當托於雲,猶君托於臣。」無雲而雷,此君不恤下,下民將叛之象也。及帝崩而天下漸亂,孫恩、桓玄交陵京邑。吳興長城縣夏架山有石鼓,長丈餘,面徑三尺所,下有磐石為足,鳴則聲如金鼓,三吳有兵。晉安帝隆安中大鳴,後有孫靈秀之亂。晉孝武帝太元十年四月,京都有豕,一頭二身八足。十三年,京都民家豕產子,一頭二身八足。並與建武同妖也。是後宰相沈酗,不恤朝政,近慣用事,漸亂國綱,至於大壞也。


晉の孝武の太元十五年の三月己酉の朔、東北にて雷が如き聲有り。劉向が說に案ずるに以為えらく:「雷は當に雲と托さんとす、猶お君は臣に托さる」と。雲無くして雷せるは、此れ君の下を恤れまずして、下民の將に叛さんとせるの象なり。帝の崩ぜるに及びて天下は漸や亂れ、孫恩、桓玄は京邑を交陵す。吳興の長城縣の夏架山に石鼓有り、長きは丈餘り、面が徑は三尺なる所、下に磐石有りて足と為し、鳴りたること則ち金鼓が如き聲なれば、三吳に兵有り。晉の安帝の隆安中に大いに鳴り、後にては孫靈秀の亂有り。晉の孝武帝の太元十年四月、京都が豕、一頭に二身八足有り。十三年、京都が民の家豕の子を產みたるに、一頭に二身八足なり。並びて建武と同じき妖なり。是の後に宰相は沈酗し、朝政を恤ず、近きに用事を慣らし、漸や國綱は亂れ、大壞に至りたるなり。

(宋書33-1_術解)

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