五行4  言不従の妖、ほか

言不従……の前に、

殷仲文いんちゅうぶんさんにまつわる、

謎エピソードを。


殷仲文、桓玄かんげんを裏切ったはいいが、

東陽とうよう、お世辞にも要地ではないエリアに

左遷させられている。


そこで、鏡で自分の頭を見なかった。

あるいは、鏡の頭を見なかったのだろうか。


いずれにせよ、道理にもとる

振る舞いであったため、

間もなく殺された、という。



ではここから改めて、言不従。

言葉にまつわる様々な志怪だ。

もうこの辺志怪って

言い切っちゃっていいよね?



孝武帝こうぶていが立ちこそしたものの、

いまだ元服していなかったとき。


清暑せいしょ、と言う名の宮殿が建てられた。

が、すぐに倒壊。


これを受けて、人々はいう。

「清暑」という言葉の響きは、

、という言葉の響きに通じる。

ゆえに、楚人の悲憤が

込められているのだ、と。


いやいや、別の人が言う。

何わかったよーなこと言っちゃってんの、

予言書を確認なさいよ、

しんの次は楚が立つって書いてあるっしょ?

つまり清暑伝の倒壊は、桓玄かんげん、すなわち、

楚が興ることを指してたんだよ!


なっなんry



こちらも孝武帝の御代の話。


ガキンチョが二つの鉄板を、

地面に向かい合わせで打ち込んだ。

これに「鬥族とうぞく」、一族が戦う、と命名。


間もなく王國寶おうこくほう王恭おうきょう

つまり太原たいげん王氏の二人がいがみ合い、

軍が動く事態にまで陥った。



桓玄は江陵こうりょうに治所を得ると、

蟠龍ばんりゅうと言う名の書斎を建てた。


後日この書斎に劉毅りゅうきが入るのだが、

ところで劉毅の幼名、蟠龍なんですよね。



桓玄が司馬元顕しばげんけんらを倒し、

宮中での権勢を確かなものとした。

これを記念して改元させようとした。


その候補は「大亨たいりょう」。

すると遐邇沄かじうんなる人がいう。

この人の詳細は謎。


「二ヶ月くらいで終わるでしょう」


なので桓玄、

この言葉の意味を探りながらも、

三月頭くらいに改元のことを発布した。


また篡奪ののちは、今度は建始けんしと改元。

すかさずツッコミが入る。


「いやそれ司馬倫しばりんが立てた

 元号と一緒ですよ!?」


司馬倫。かの八王の乱の火付け役。

西晋せいしん時代、宮中で牽制を奮っていた

賈南風かなんぷうを倒し、かつ司馬衷しばちゅうを廃位、

皇帝を自称するもすぐに殺された人。


いや、ある意味ドンピシャですが。


なので桓玄、やっぱり永始えいしにした。

まぁ、今度は王莽おうもう、つまり前漢ぜんかんを滅ぼした

あの人が権勢を握った時の

元号だったわけですが。



桓玄、帝位に就いたとき、

司馬道子しばどうしを「安成あんせい」に幽閉した。


また安帝あんていを廃位したときには

永安えいあん」宮に移し「平固へいこ」王とした。

弟の琅邪ろうや王、司馬德文しばとくぶんについては

石陽せきよう公にし、二人を揃って

尋陽じんよう」城に住まわせた。


識者は揃って

「どこがやねん!」

とツッコんだそうな……


……ええと、この話に

ツッコミどころがあるんですね?


オーケーオーケー、

頑張って解釈するよ。




晉安帝義熙初,東陽太守殷仲文照鏡不見其頭,尋亦誅翦。占與甘同。晉孝武泰元中,立內殿名曰清暑,少時而崩。時人曰,「清暑」者,反言楚聲也。果有哀楚之聲。有人曰:「非此之謂,豈可極言乎。讖雲,代晉者楚,其在茲乎?」及桓玄篡逆,自號曰楚。太元中,小兒以兩鐵相打於土中,名曰「鬥族」。後王國寶、王孝伯一姓之中,自相攻擊也。桓玄出鎮南州,立齋名曰蟠龍。後劉毅居此齋。蟠龍,毅小字也。桓玄初改年為大亨,遐邇沄言曰:「二月了。」故義謀以仲春發也。玄篡立,又改年為建始,以與趙王倫同,又易為永始。永始,複是王莽受封之年也。始徙司馬道子于安成,晉主遜位,出永安宮,封晉主為平固王,琅邪王德文為石陽公,並使住尋陽城。識者皆以為言不從之妖也。


晉の安帝の義熙の初め、東陽太守の殷仲文は鏡にて照らし其の頭を見ず、尋いで亦た誅翦さる。占ぜらると同じうせるを甘んず。晉の孝武の泰元中、內殿の立ちて名づかるに清暑と曰い、少時にて而して崩る。時の人は曰く、「清暑」たるは、楚なる聲の反言なり、と。果して哀しき楚の聲有り。有る人は曰く:「此の謂に非ず、豈に言を極めんや。讖に雲えらく、晉に代りたるは楚、其れ茲に在りや?」と。桓玄の篡逆せるに及び、自ら號して楚と曰う。太元中、小兒の兩鐵を以て土中に相い打たば、名して曰く「鬥族」と。後にして王國寶、王孝伯は一姓の中にして、自ら相い攻め擊すなり。桓玄は南州に出鎮し、齋を立て名づけて曰く、蟠龍と。後にして劉毅は此の齋に居す。蟠龍は、毅が小字なり。桓玄は初にして年を改むるに大亨と為せど、遐邇沄は言いて曰く:「二月にして了らん」と。故に義を謀るに仲春を以て發したるなり。玄の篡立せるに、又た年を改めて建始と為さんとせば、趙王倫と同じきを以て、又た易えて永始と為す。永始は、複た是れ王莽の封を受けたるの年なり。始め司馬道子を安成に徙したるに、晉主は位を遜き、永安宮に出で、晉主を封じて平固王と為し、琅邪王の德文を石陽公と為し、並び使尋陽城に住まわしむ。識者は皆な以て言不從の妖なりと為す。

(宋書31-1_術解)



どうしよう、なんかだんだん上級者向けになってきたぞ……

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