少帝 劉義符

劉義符1 即位と侵攻   

少帝 劉義符りゅうぎふ 全7編



少帝、諱は義符、幼い頃のあだ名は車兵しゃへい

劉裕りゅうゆうの長男である。


母はちょう夫人。


西暦 406 年、

つまり桓玄かんげんを倒した2年後に、

京口けいこうで生まれた。


それまで劉裕には息子がいなかったため、

義符の誕生を、劉裕は

ことのほか喜んだという。


10歳になると

豫章よしょう公であった劉裕の世子となった。

つまり、正式な後継ぎ、と言うわけだ。


劉義符は膂力に優れ、騎射に長け、

また音曲をも解した。


劉裕がそう公となると宋世子に、

419 年に宋王となった暁には宋太子に。


そして皇帝となると、皇太子になった。



423 年の5月、劉裕が死亡。

同日、劉義符が即位。時に18歳。

大赦を行った。


傅亮ふりょう徐羨之じょせんし謝晦しゃかいが後見人として

劉義符の補佐役についた。


同年11月、流星が營室けいしつをよぎった。

この予兆に呼応するかのように、

12月、北魏ほくぎ軍が

滑臺かつだいを攻撃、占拠した。




少帝諱義符,小字車兵,武帝長子也。母曰張夫人。晉義熙二年,生於京口。武帝晚無男,及帝生,甚悅。年十歲,拜豫章公世子。帝有旅力,善騎射,解音律。宋臺建,拜宋世子。元熙元年,進為宋太子。武帝受禪,立為皇太子。永初三年五月癸亥,武帝崩,是日,太子即皇帝位。大赦。以尚書僕射傅亮為中書監,司空徐羨之、領軍將軍謝晦及亮輔政。冬十一月戊午,有星孛于營室。十二月庚戌,魏軍克滑臺。


少帝は諱を義符、小字を車兵とす、武帝が長子なり。母は張夫人なり。晉の義熙二年、京口にて生まる。武帝には晚きまで男無く、帝の生まるるに及び、甚だ悅ぶ。年十歲にして、豫章公世子を拜さる。帝は旅力を有し、騎射を善くし、音律を解す。宋臺の建つるに、宋世子を拜さる。元熙元年、進みて宋太子と為る。武帝の受禪せるに、立ちて皇太子と為る。永初三年の五月の癸亥、武帝の崩ぜるに、是の日、太子は皇帝位に即く。大赦す。尚書僕射の傅亮を以て中書監と為し、司空の徐羨之、領軍將軍の謝晦、及び亮は輔政す。冬十一月の戊午、星孛を營室に有す。十二月の庚戌、魏軍は滑臺を克つ。


(宋書4-1_為人)




爵位ホルダー継承者の名称辞典みたいな感じになってますな。



營室

現ペガサス座辺りにある正座。離宮、てきな意味合いを持つ星座であり、ここに流星が過った、と言う事は、中央から離れた地方に侵略が起こることを示している。

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